ドラマ『銀河の一票』 人間の善性を誠実に描くことで見えた希望。
主人公が着るピンクのスーツの意味。
カンヌ国際映画祭で濱口竜介監督の『急に具合が悪くなる』の主演の岡本多緒さんとヴィルジニー・エフィラさんが最優秀女優賞に輝いた。この映画は、ある女性二人が出会って、そこから運命が変わっていく話である。原作は、当時がんの転移を経験しながら生き抜く哲学者・宮野真生子と、臨床現場の調査を積み重ねた人類学者・磯野真穂という女性二人の同名の対談集であり、そこから一本の映画にしたものだ。私も、一足先に試写室で見せてもらったが、素晴らしい作品だった。
蛭田直美脚本、松本佳奈、藤澤浩和、瀧悠輔、稲留武が演出で現在、放送中のドラマ『銀河の一票』も、やはり女性と女性が出会ってから、運命が変わっていく話だ。そして『急に具合が悪くなる』も『銀河の一票』も、人間の善性を描き、現在の社会構造の問題点と、福祉の可能性が描かれていて、その結果、希望を感じるものになっていることが共通点のように思う。ほかにも共通点はあるのだが、公開前なので、映画が公開されたら、どこかでたっぷり書きたいと思っている。ここでは、5話まで放送されている時点での『銀河の一票』と、本作と同じ佐野亜裕美プロデューサーによる『エルピス-希望、あるいは災い-』について書いていきたい(主に『銀河の一票』については一話の話になってしまったが)。
『銀河の一票』で出会うのは、星野茉莉(黒木華)と月岡あかり(野呂佳代)のふたりだ。茉莉は与党・民政党の幹事長をつとめる父・鷹臣(坂東彌十郎)の秘書をしていたが、ある医大の学部長の転落死に父が関わっていることを伝える手紙を受け取り、その事実を突き止めようとしたことが父に知られて、秘書を解雇される。一千万円の札束(れんが)と共に。
話は前後するが、解雇される直前まで、父のサポートを完璧にこなしていた茉莉は、淡いピンクのスーツを着て、父の関係者との宴会に出席していた。二次会へタクシーで移動中、その中のひとりの出席者に「力になるよ」と肩や膝をさわられ、タクシーを止めて降り立つ。その場所で、幼い頃から大事にしてきた電球型のキーホルダーを亡くして探しているときにあかりと出会うのである。
このときの茉莉の気持ちの複雑さがピンクのスーツに表れている。仕事のためとわりきって着ていたピンクのスーツだが、自分が「おじさんたち好きそう」と思い、「よこしまな気持ち」でそれを着ていたことが、タクシーでの一件で嫌になっていた。しかし、あかりがそれを見て「おばさんも好きだよ、かわいいよそれ、似合ってる」と肯定したことで、茉莉も「私に似合うと思って買ったんです」と答えることができたのだった。
このやりとりだけで、もう10年くらい議論されてきた「ダサピンク」の論争に、ひとつの答えを出してくれている気がする。「ダサピンク」というのは、もとは女性向けの商品を作るときに、女性だからと安易にピンクのものを作ることなどから言われ始めた。そのことで、ピンクを女性が好きだと思わないでほしいという意見もあれば、ピンクを好きで何が悪いという意見もあった。このドラマを見れば、ピンクが女性らしさを象徴し、それを男性が好むことを利用していた部分もあるが、元に立ちかえれば、自分の好きなようにして何が悪い!という原点に戻っているように見える。
茉莉がタクシーを降りられたのは、父のやっていることがおかしいことであり、もうつきあってられないと思ったからだろう。それまでは茉莉も、「国民は簡単」「おじさんは簡単」と舐めていたところがあるし、だからこそピンクを着ればいいと考えていたのだが、そんな長年の考えのおかしさに気付いたからこそ、それまでのやり方を覆すことができたのである。そしてもちろん、そんなときに出会った、あかりに運命を感じられるのである。

『エルピス-希望、あるいは災い』からの連続と変化。
このドラマは、2022年の『エルピス-希望、あるいは災い』をプロデュースした佐野亜裕美が手掛けている。だからこそ、ドラマファンは期待を膨らませて放送を待っていたのだ。
ふたつの作品には、前作から連なっているような興味深いキャラクターが存在している。『エルピス』の斎藤正一(鈴木亮平)と、『銀河の一票』の日山流星(松下洸平)である。
斎藤は主人公でアナウンサーの浅川恵那(長澤まさみ)が働くテレビ局のエース記者で、後に局をやめてフリージャーナリストに。大物政治家に気に入られていて、また政治家の素質ももっており、将来は政界に行くのではないかということが示唆されていた。流星は、主人公の茉莉の幼馴染で、父の「子飼い」で民政党の若手のホープの衆議院議員である。
ふたりの共通点、それは、女性主人公が見つけた事件にまつわる事実について相談されると、いかにも「力になる」ふりをしながら、簡単に、それを暴かれては困る権力者にリークしてしまうところである! しかし、そんな彼らに対しての女性主人公の描き方はまったく違うのが面白い。
浅川恵那と斎藤は、かつてつきあっていた。事件のことをきっかけに、また交わるようになるのだが、斎藤は恵那が何か動いていることを知り、自分と権力者に有利な情報を聞き出すために、恵那の自分に対する抗えない恋心(とも何か違う気もするな)を利用するのである。恵那も、斎藤が自分を利用していることを知りながらも、なぜか彼に惹かれる気持ちを捨てることができない。その理由を恵那は、自分にはどうにもかなわない部分があることだと言っている。つまりは、斎藤には権力との圧倒的なつながりや経験があり、そして善にも悪にも使える知恵があるのだ。
茉莉と流星はどうだろう。流星は幼いころに実父の会社が傾き、包丁を持って自分を殺そうとしたことから、はだしで逃げて鷹臣に助けられ、ここまで来た人である。幼少期から一緒の家で育った茉莉のことは、妹のように思っているのか、いつも“心配”している。しかし、その心配は、茉莉が暴走して、自分たちの立場をかき乱さないかということが主であるように見える。当然、茉莉は彼に“正論”で諭されても、それが社会のためではなく自分たちの保身のためであることを知っているから、裏切られた瞬間に、過去の親密さなどなかったことにできているのである。
ここが、『エルピス』との大きな違いである。茉莉は流星にちゃんと腹を立て、決別し、自分の直感であかりという候補者を見つけ、都政の選挙で、対立候補となった流星と闘おうとしている。このことで、きっとどのような結末になっても、茉莉のその時点での気持ちは、苦いものにはならないであろうことが予想できるのである。
本当は、あかりと彼女を救ったスナックのママ、鴨井とし子(木野花)とのエピソードや、4話以降に登場するテンサウザンド(当選=とお せん)”と呼ばれるガラさんこと五十嵐隼人(岩谷健司)、そして西多摩市の元市長の雲井螢(シシド・カフカ)のことも書きたかったが、これはまたどこかで……。
とにかく、茉莉の周辺には、困っている人を助けたいという人がいて、これまでのドラマや映画のように、そのことが「胡散臭い」ことではないということが、誠実に描かれているところが、このドラマの希望なのである(そのためにも、ガラさんのやっていることや、そこにきている困窮した人たちに偏見を持つ近隣の住民を描くシーンもあるくらいだ)。そして、あかりが茉莉に向かって言う「きれいごとじゃないよ、きれいなことだよ」「きれいなことを諦めないって、いっちばん強いよ」というセリフが、このドラマを物語っていると言えるだろう。
そして、露悪的なことを描くことが、なにも人間の本質を描くことイコールではないと思えることは、『急に具合が悪くなる』との共通点でもあるのだ。
text_Michiyo Nishimori illustration_Natsuki Kurachi

















