今のあなたにピッタリなのは? 女優・竹内ももこさんのために選んだ一冊とは/木村綾子の『あなたに効く本、処方します。』 LEARN 2021.04.14

さまざまな業界で活躍する「働く女性」に、今のその人に寄り添う一冊を処方していくこちらの連載。今回のゲストはハナコでもお馴染みの竹内ももこさん。パン特集や学び特集など、ジャンルを超えて軽やかに行き来する彼女に、「好き」との関わり方やその原動力となっているものについてを伺いました。

今回のゲストは、女優の竹内ももこさん。

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京都府の舞鶴市出身。特技は剣道(なんと、3段…!)で、趣味はパン屋さん巡り。学び特集(1178号)では袴姿での凛とした表情を披露したほか、パン特集(1182号)では複数ページに渡って出演するなど、Hanako常連の立ち位置を築きつつあります。

話題は、竹内さんとHanakoとの馴れ初めについて。

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木村綾子(以下、木村)「はじめまして。Hanakoをめくっていると、いろんなページでももこさんをお見かけしますが、Hanakoへの出演は何がきっかけだったんですか?」
竹内ももこさん(以下、竹内)「きっかけは2017年に出た『今、食べたいのはなつかしいパン。』っていう特集号でした。ピンポイントなテーマに熱量を注ぐ Hanako の姿勢に一目惚れしてしまって、「私、Hanakoに出たいです!」とマネージャーさんに伝えたら、編集部の方にお会いするチャンスを作っていただけたんです」
木村「編集部への “売り込み” が実って、今に至るんですね。女優のお仕事を始めたきっかけもお聞きしたいです」
竹内「21歳の時に事務所に入りました。自分に何ができるかはまだ全然分からなかったんですが、芸能のお仕事がしたいっていう一心で、えいっと飛び込んだ感じです」
木村「モデルやお芝居などのジャンルを決めるより先に、まずは事務所に入る方って珍しいかもしれないですね。ちなみに、事務所へはどういう売り込み方を?」
竹内「事務所の方にお会いする直前に、ちょうどテレビ番組に出る機会があったんです。街中でインタビューを受けて実家の母に会いに行くっていう内容で。その放送を、社長が偶然見てくれていたんです。「あれ? あなた、こないだテレビ出てましたよね!?」って(笑)」
木村「すごい!絵に描いたような幸運の持ち主!(笑)その番組がももこさんの名刺代わりになったんですね」
竹内「そうなんです。最初は、「帰省の新幹線代がトクした!」くらいの動機で受けた番組出演だったのですが、結果的に人生を左右するくらいの大きなターニングポイントになりましたね」
木村「『Hanako』に出るきっかけと言い、事務所への入り方と言い、自分の“したい”に純粋無垢で、聞いていて気持ちがいいほどです(笑)」

エピソードその1「東京は…好きだけど嫌いな街ですね」

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木村「京都から東京に出てきて3年ということですが、東京との相性はどうですか?」
竹内「東京は…好きだけど嫌いな街ですね(笑)。実は最近、ちょっとだけお休みをいただいて実家に帰っていたんです。帰ったというか、逃げた、って言い方のほうがふさわしい感じの、後ろ向きな帰省だったんですが…」
木村「実家に逃げ帰ったこと、私もあったな〜」
竹内「え、木村さんも!?」
木村「私は大学への進学を機に18歳で静岡から東京に出てきたんですが、上京してわりとすぐ、読者モデルとしてファッション誌に出させていただくようになったんです。当時、同じ雑誌に出ていた友だちは、お洋服やカメラ、音楽、映画…って、夢を掲げて突き進むように生活しているような子ばかりで。でも当時の私にはまだ、「これだ!」っていうものがなかったんです。そういうものを持っていないと、何者かにならないと、東京から弾き飛ばされてしまうような気がして、日々焦ってあれこれ手を付けるんだけど、空回りばっかりで…」
竹内「その気持ち、すごく分かります!」
木村「それで、24歳のときかな?突然ガソリンが切れてしまって。仕事も学校も全部投げ捨てて、逃げ帰りました(笑)」
竹内「え、24歳って、私と同じ歳の時じゃないですか! 木村さんはそこから、どうやって気持ちを立て直したんですか?」
木村「「あー、なんもなくなっちゃった〜」って、1,2ヶ月は腑抜け状態でしたね。家族はそんな私に対してとくべつ何かを急かすこともなく、「いっそこのままずっとこっちに居たら?」みたいなことも言ってくれてたんですけど、このまま逃げ帰ったままなのも違うなって気持ちにだんだんなってきて。東京のことを嫌いなまま、東京にいた自分のことも嫌いなまま、この先を生きていくのもしんどいなぁ…と。あとね、全部投げ捨てて逃げてきてるから、とにかく暇なんですよ(笑)。そしたらその空っぽを、好きなことから埋め直してる自分に気づいたんです。それである日、「あ、この自分でもう一回東京をやり直してみよう!」と思い立ったんです」
竹内「東京をやり直す!私、今まさにそれです。“東京やり直し元年”です(笑)」

処方した本は…『東京百景(又吉直樹)』

木村「これは、又吉直樹さんが18歳で上京してから約10年にわたる東京での生活と、その生活に付随した人や風景との思い出が綴られたエッセイ集です」
竹内「“百景”ってことは、東京にまつわるエピソードが100描かれているんですか?」
木村「そうなんです。綴られる多くは、貧しくアルバイトの面接にすら受からず、風呂なしアパートで暮らしながら、芸人という夢を叶えられるかもわからない焦燥の日々。たくさんの孤独と傷と寂しさを抱えて、自意識や欲望や怒りや嫉妬を持て余して、それでも、東京に生きることを諦められない姿が、100の景色に立ち上がって胸を突きます」
竹内「「武蔵野の夕陽」「下北沢駅前の喧騒」「高田馬場の夜」…、地名にもとづいたエッセイもあれば、「ゴミ箱とゴミ箱の間」「東京のどこかの室外機」「自意識の捨て場所」「昔のノート」…、そこにどんな風景を見ていたんだろうと興味を惹かれるタイトルもあって面白いです」
木村「又吉さんの“東京”を見つめるまなざしは、ももこさんがこれから東京で年を重ねていくうえでの心の支えになると思います。もしまた東京が苦しくなったときには、〈死にたくなるほど苦しい夜には、これは次に楽しいことがある時までのフリなのだと信じるようにしている。〉っていう言葉を杖言葉にしてほしいし、…あ!まさに“東京”を言い得ている文章もあるんですよ。〈東京は果てしなく残酷で時折楽しく稀に優しい。ただその気まぐれな優しさが途方も無く深いから嫌いになれない。〉」
竹内「わー、まさにまさに!」
木村「結局は人って、“何者か”になるのではなくて、自分自身になっていくしかないんだと思うんです。私は又吉さんと同年なので、同じ月日を東京に生きてきたことになりますが、その時間の中で彼は彼になり、私は私になっていったんだと読んでいて感じたんです。ももこさんも、焦らず丁寧に、自分という輪郭を手に入れていってくださいね」

エピソードその2「おいしいというより、幸せだなって」

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木村「ももこさんのご実家はフレンチレストランを経営されているとお伺いしましたが、帰省中はお店のお手伝いもされていたんですか」
竹内「お手伝いもしてましたし、そうじゃないときもずっとお店にいました。いつの間にかお店の中に“私の定位置”みたいな席ができて、そこにいると「余ったけど食べるか?」って、父がお料理を小皿に入れて出してくれたんです。気づいたらミニ・フルコースみたいになっていくサマが可笑しくて」
木村「素敵なお父様!きっと居場所を作ってくれていたんでしょうね」
竹内「毎回泣きそうになりながら食べてましたね。おいしいというより、幸せだなって思いながら。子どもの頃は、ご飯を食べながらその日あったことを家族に全部話すのが習慣になっていたので、自分にとって大切な記憶を取り戻していくような感覚でした」
木村「冒頭では、パンが好きでHanakoとのご縁に結ばれた話もしてくれましたけど、ももこさんにとって「食」という存在は人生の要になっているような気がします。人とのコミュニケーションであり、記憶を呼び覚ますスイッチであり、未来を切り開く要素でもある」

処方した本は…『cook(坂口恭平)』

木村「坂口恭平さんのことは何と紹介するのがいいんだろう…。建築家であり、ミュージシャンであり、小説家であり、画家であり…。肩書きにとらわれない表現活動をされている方なんですが、躁鬱病を長く患っていることも公言されていて、同じ病に苦しむ方を救うたえの活動にも勢力的です。躁鬱をテーマにした著作も数多く出版されているんですが、この本は、“料理”というおこないを通して自分の心と向き合っていくさまが綴られた一冊です」
竹内「治療のための料理ってことですね」
木村「はい。30日間に作った料理日記が、写真+言葉で綴られていくんですが、ページをめくっていくと、最初は土鍋で炊いたご飯だけだったものが、どんどん彩り豊かになっていくのが分かります。目玉焼きにベーコンを添えてみようと“思えた”喜びや、トマトの切り方や器を変えるだけで盛り付けが見違えることに “気づけた”幸福…。ここにあるのは単なる記録ではなくて、それを食べたことでその日を乗り越えたっていう証なんです」
竹内「実は料理に関しては、私も似たような経験がありまして。実家に帰る前に一度、深夜に号泣しながらお菓子を作ったことがあるんです。甘いものでも食べたら元気になるかなと思って少し無理して作っていたのですが、材料を混ぜてオーブンに入れて焼き上がる頃には、もうなんだか気持ちもラクになっていて」
木村「泣きながら作ったお菓子! ちょっと脱線しちゃいますが、いま、坂元裕二さん脚本のドラマ『カルテット』のセリフを思い出しました。“泣きながらご飯食べたことある人は、生きていけます。”っていう」
竹内「またしても名言が!」
木村「(笑)。話を戻しますが、苦しみもがきながらも、それでも食べ続けてきた人の証にふれることは、何よりの希望になると思うんです。少し大げさかもしれないですけど、食べるって、明日を生きようとする行為のことでもありますから」

エピソードその3「いずれ一緒にできたら面白いだろうな」

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竹内「突然なんですけど、今、働いてみたいなって思っているお菓子屋さんがあるんです」
木村「へぇ!どんなお店なんですか?」
竹内「どのスタッフさんも、お客さん一人ひとりが笑顔になるような接客を必ずしてくれるんですよ。嬉しい気持ちで食べるお菓子って、よりおいしくなるなって気付きが毎回あって」
木村「素敵ですね。食をコミュニケーションの場と捉えるももこさんにはぴったりな気がします。ももこさんって一見、何事にも軽やかに飛び込んでいってるように見えるけど、すごく芯がありますよね。そういう礎がしっかりしている人の言葉は、きっとお店の人にも届くと思います。ところでももこさんは、将来、何か挑戦したい夢とかはあるんですか?」
竹内「兄も飲食をやっているんですけど、ぼんやりとですが、いずれ一緒にお店をできたら面白いだろうなって思いはありますね」
木村「本当にご家族がお好きなんですね。今日一日お話を聞いていて、その未来に行き着くことはすごく自然な流れだと感じました」

処方した本は…『長いお別れ(中島京子)』

木村「この小説は、認知症に罹患した父の晩年をテーマにした家族の物語です。10年ほど前から認知症を患っている夫、それを支える妻、3人の娘、そして孫…。“連作短編集”といって、一連の物語を、章ごとに異なる人物の視点からみつめているので、ももこさんのように家族ひとりひとりとの距離感が近い人なら、それぞれの立場に立って“家族”をまなざすことができると思います」
竹内「私、親とか家族って自分の中で絶対的な存在として捉えているところがあって。ずっと元気だし、関係性がゆらいだり、誰かが欠けてしまうことなんてありえないって思ってしまう幼さが、自分の中にまだあると思います。父の晩年を描く物語かぁ…。向き合えるかなぁ」
木村「“人生の終焉”を描いているので確かに軽やかに読めるものではないし、読んでいてつらい場面もあります。でも、父の突拍子もない言動に振り回される家族の姿や、戸惑い、苦労など現実的な部分はしっかり描かれつつも、心和むようなコミカルなシーンやユーモアも散りばめられている。だから読後に残るのは、家族を思う温かさなんです」
竹内「辛い状況なのになぜか笑っちゃうって、家族あるあるだったりしますね!」
木村「もちろん、家族の誰かが“その時”を迎えることを想像するのは、ももこさんにはまだ早いとは思ってます。お兄さんとのお店もいつか実現させてほしいし…。でも、こういう本が存在していることだけでも覚えておくと、家族という関係性の変化も慈しむことができるんじゃないかなと思って、未来の処方箋としてオススメさせていただきました」
竹内「未来の処方箋! この本が、いつかの私の救いになってくれると思うと、“東京やり直し元年”の先に続く毎日も明るく過ごせる気がしてきました!」
木村「ふふふ。“東京やり直し元年”って言葉、ももこさんすっかり気に入っちゃいましたね(笑)」

対談を終えて。

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対談後、『cook』を購入してくれた竹内さん。「木村さんからの言葉や、紹介してもらった本はどれも私の心にピッタリで、まさに “処方” そのものでした。ふとした時に立ち止まって、自分だけのために開く本があることはとても心強いです!」と話してくれました。パン好きの友人と一緒に作ったという写真集『パンとキミ ももぱん記録#1 #2 』も絶賛発売中。おいしそうにほおばる姿が見どころです!

パンとキミ ももぱん記録

撮影協力:〈二子玉川 蔦屋家電〉

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