「完璧」よりも大切なこと。
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まつだ・あおこ/『おばちゃんたちのいるところ』がTIME誌の2020年の小説ベスト10に選出され、世界幻想文学大賞や日伊ことばの架け橋賞などを受賞。その他の著書に、小説『持続可能な魂の利用』『女が死ぬ』『男の子になりたかった女の子になりたかった女の子』(いずれも中央公論新社)、エッセイ『お砂糖ひとさじで』(PHP研究所)『自分で名付ける』(集英社文庫)など。
子どもの人が小学生になって、これは面白いなと思ったことの一つは、本人が勝手に決めてくるようになったことだ。
たとえば、一年目は学童保育に通っていたのだけど、クリスマス会などの行事がある際に、イベントがあるよと聞いたその場で本人が参加を表明し、すでに本人が参加登録しています、と事後報告のプリントを持ち帰ったりするようになった。
保育園時代はもちろん、以前ならば、保育機関や学校からのお知らせを見て保護者が参加、不参加を子ども本人と話して決め、保護者が必ず連絡する必要が必ずあったけれど、それがないことに、「必ず」の中に小さな穴が開いたような、妙な清々しさを感じた。これはいいぞ、と。
その延長で、子どもの人の友人たちがどんどん我が家に遊びにくるようになった。
保育園の頃は、子ども同士で遊ぶ約束をしたと言って帰ってきても、説明が曖昧で、公園で、ということしかわからず、どの公園で何時から、といった具体性に欠け、親同士が連絡先を知らないと確認もできず、後で聞いてみると、相手側も詳細がわからなかったと言っていて、そういうもんだよなと納得しかなかった。
しかし、小学生になると、子ども同士の約束が一気に具体性を帯び、しかも、子どもの人が、我が家のごちゃごちゃさにもかかわらず、積極的に友人を家に誘うようになった。○○くんがお家に遊びに来るよ、と子どもの人が突然言い出すようになった当初は、まるで昭和のサラリーマンのようだ、と思ったものだ。
(昭和のサラリーマンは、仕事の後に妻に連絡をせずに同僚や部下を家に連れてきて、すぐに何品かつまみを用意できるのが「良妻」とされていた。私は子どもだったが、テレビや本の中でそういった描写をよく目にしていた)
○○くんの親御さんの連絡先もその時はわからず、これはまた保育園の時の約束のようになるかなと思っていたら、当日、子ども同士の約束を尊重してくれた○○くんのお母さんが、
「すみません、本人が約束したというので一応連れて来ました」とインターフォンを押してくれ、そこから、お休みの日に子どもたちがお互いのお家を行き来して、遊ぶ輪が広がった。

さて、お友だちが遊びに来るとはじめに聞いた時、私の脳裏に浮かんだのは、果たしてこの家は誰かを呼んでもいい家なのだろうか、ということだった。
我が家はとにかく物が多い。大きな原因は、親二人ともが出版関係の仕事をしているので、とにかく本が多いことだ。こちらは本が好きなので、本が多い状態の魅力もわかるのだが、世の中的には、すっきりしていて、おしゃれな家には本がない。あってもインテリアとして映える程度である。これはネットやインテリアの雑誌を見ても明らかだ。この時点でまず、分が悪い。さらに、子どもの人のおもちゃやさまざまな生活用品などが合わさると、「すっきり」は夢のまた夢だ。それに仕事でバタバタしていると、なかなか掃除もできない。
お友だちが最初に遊びに来る日の前日、私は大慌てて掃除をした。また遊びにきたい、と思ってくれる空間にできる限りしたかったのと、世間体みたいなものや、きれいな部屋を整え素敵なお菓子を用意している親のイメージが内面化されていたからだ。
けれど、いざ招き入れてみると、子どもたちは基本的に、一緒に遊べるうれしさ以上のものを特に気にしていないようだったし、すでにごちゃごちゃのせいか好きなようにしてくれるのでホッとした。わりときれい好きの子がいて、その子が来る時は、「〇〇くんが来る日だ!」と掃除をがんばるので、〇〇くんのおかげでむしろ部屋がきれいになるのもよかった。
子どもたちが遊びに来る時も、遊びに行く時も、お互い気をつかいすぎない、小さなことは気にしない雰囲気が親同士にあることにも、私の気負いを拭い去る心強さがあった。リュックに水筒やお菓子、遊びたいおもちゃを持って行き来する姿は楽しそうだ。
こっちも家に遊びに来てくれる時用に、買い物の際に飲み物やお菓子を買ったりするのが習慣になった。私が一度コンビニで買ってみたらおいしくて、子どもの人にも食べさせてみたら、うまいと気に入ったグミがあるのだが、遊びに来た子たちに出してみたらやはり大好評で「これもっとないの?」と聞かれるので、いっぺんに五袋ぐらい買っている。私の分込みで。

今ではサッと掃除しつつも、もうこの家はこういうものだと感じてください、と思うようにしている。我が家は親フリーランス二人、高い確率で「ばあば」こと私の母がいるので、子どもたちが遊びに来てくれている間、たいてい大人が二人は家にいられる。最近は、夜中に原稿を書いていて、朝頃に寝たら、起きた時はすでにお友だちが家にいて、出てきた私を見て「○○のママ、いたの」と言われ、「いました、すみません」みたいになるくらいのリラックスぶりだ。
一連の出来事は、そもそも完璧にはできないが、別にそこを目指そうとしなくてもいい。そもそも「完璧」とはなんぞや、そんなものはない、と私の気を楽にさせてくれた。そして、完璧を見せないことも、親の態度としてある程度は必要なことなのかもしれないとも思っている。完璧じゃなくちゃいけない、きれいじゃなくちゃいけない、ちゃんとしないといけない、と子どもたちが覚えすぎてしまわないためにも。
とはいえ、新たにお友だちが遊びに来ることになった時は、悪あがきだとわかりつつも、いまだにいつもよりも念入りに掃除をしてしまう。今後の目標は、さらに子どもたちが来やすい家にするために、物を減らすことである。
text_Aoko Matsuda illustration_Hashimotochan

















