「他者のことは、やっぱりわからない」作家・朝吹真理子が『信号旗K』で描く、対話の空気感と人へのまなざし。
あさぶき・まりこ/1984年東京都生まれ。2009年『流跡』でデビュー。2010年同作でBunkamuraドゥマゴ文学賞を最年少受賞。2011年『きことわ』で芥川賞を受賞。近刊『閉じた目』(新潮社)。2026年秋に『ゆめ』(河出書房新社)を刊行予定。
「わからなさ」をもっと知りたい。

『信号旗K』は、作家・村田沙耶香さんや音楽家・細野晴臣さん、デザイナー・黒河内真衣子さんなど、さまざまな人を訪ねた『GINZA』の連載をまとめた一冊。人との対話を通して、その場に流れる空気や記憶までも丁寧にすくい取っている。
「『信号旗K』の前の『デザイナー訪問記』も含めると、『GINZA』で7年近く毎月連載させてもらっていたので、誰かとゆっくり長く話すことが毎月ある、それが自分の中で面白いペースになっていました。
もともと、おしゃべりって、文字にしがたいですよね。人とお話しするときは発話だけではなく、雰囲気そのもので会話をしていて。それがすごく好きです。誰かに会う時って、会う前の記憶やLINEでのやりとり、それまで一緒に過ごした体感の蓄積があった上でお会いするじゃないですか。その二人の間で共有されている空気や、空間の雰囲気そのものを書いてみたいんですが、それは会話を書き起こすことでは伝わらない。面白いくらいに、あったことがなかったことになっちゃってるんですよね。発した言葉だけでなく、その場に流れているものをエッセイとして書いてみたいと思って始めました」
——書き起こしはAIでもどんどんできるようになっていますが、その場に流れていた空気まで伝わってきて、読者もまるでその会話に参加しているような気持ちになります。人と向き合う時に、心掛けていることはありますか。
「心掛けていることとは違うかもしれませんが、他者のことはやっぱりわからないと思っているんです。この本に出てくれた親友のことも、わからない人だと思っていて。初めて会う人も、すごく仲のいい人も、ある意味では同じような『わからなさ』があって、それを知りたいという気持ちがあります」
——「もっと知りたい」という気持ちが、朝吹さんの原動力なんですね。
「同じ電車に乗り合わせた人たち全員を知りたい!という前向きな気持ちはないですが(笑)、ただ昔から何か奇妙なことに巻き込まれるような事態が自分は起こりやすいんです。こうやって取材で出会ってお話ししたり、共通の友人を介した集まりでたまたま隣になったりすると『どんなこと考えているのかな?』と気になります」
——著書の中では、学生時代はあまり友人がいなかったと綴られています。でも今は、お互いを尊重し合えるようなご友人に囲まれている印象を受けました。
「お会いした人たちが寛容だから友達になってくれているんじゃないですかね。学生の頃は、尋常じゃないくらい出来ないことが多く、学校のように、集団生活の空間そのものがすごく苦手でした。でもネットはまだ牧歌的で、ネットを介して友達がたくさんいて、そっちは楽しかったんです。
我が家で『初めてお雑煮を食べた』という友達と出会った時は、お雑煮を食べないお正月を過ごしたことがない私にとってはとても新鮮でした。年上が多かったけれど、年齢も環境もまるで違う女性たちと出会えたのはすごく大きな経験でした。
同い年の中学生なのに〈ゴルチエ〉を着こなして、青のリップを塗っているすごくかっこいい女の子もいて。お互い高校に入ったらいつの間にか連絡をとらなくなってしまったんですが、最近奇跡的に再会できたんですよ! 中華を一緒に食べましたが、嬉しかったです。
それに昔、母親が『子どもに向いている子どもと、向いていない子どもがいる。真理子は多分大人に向いているタイプだから、今は色々難しいかも知れないけどしょうがないんじゃないか。大人になったら楽しいよ』と言ってくれたことがあって。その言葉が一つの支えのようになっていました」
——『信号旗K』にもお母さんのエピソードが登場しますね。
「そうですね、母は幼稚園を自主退学していますが『学校は集団生活を送らないといけないところだから』と言われて、『なら、しょうがないか。大人になる準備期間だと思って耐えよう』と納得できて、割と通えるようになりました」
明後日にはもう忘れてしまいそうなものに執着がある。

「走馬灯には絶対に出てこないような、真っ先に忘れていきそうなことにすごく執着心があるんです。書いておきたい、と思っているのかもしれないですね。じぶんが忘れっぽいので。
このあいだ作家の金原ひとみさんと村田沙耶香さんと一緒に焼肉を食べていたら、隣の席に座っていた男性が『俺は走馬灯を充実させるために生きているから』って話していて。『うわぁ、すごく嫌な言葉だな』と感じたのと同時に、自分がずっと焦がれているのは、クライマックスではないところ、明後日くらいはもうあったことを忘れてしまいそうなところなんだなと気づいたんです。
情報学研究者のドミちゃん(ドミニク・チェンさん)が、zoomでおばあちゃんが話してくれた怪談を思い出しながら説明してくれたことがあって。でも『お化けが出てきたのはその次の日だったかな、あれ』とか言いながら、かなりあやふやに話していて、何も怖くないんです。『思い出しながらする怪談って本当につまらないんだ』と思いながら、うんうんって適当に相槌を打ちながら聞いていたんですが、でもその時間自体はすごく愛おしかったんです。娘を抱っこしながら、娘も関係ない話をするから、中断されたりして。中国の怪談だから単語も設定もよくわからないし、どんな話だったか今もわからないです。でも、記憶を手繰り寄せながら話すのが、不完全で、人間らしくて、笑えて。そういう瞬間に立ち会えると、忘れたくないな、と思いますね。きっとドミちゃんも思い出せば出すほどその怪談の語りが上手になっていってしまうだろうし」
——ご自身が気になっていた方に会いに行かれるなど、フットワークが軽いですよね。
「ずっと好きな片岡仁左衛門さんと坂東玉三郎さんには、とてもじゃないけどお会いできないです。好きな気持ちが大きすぎて。板の上の人は板の上の人であって欲しいという気持ちがあるのかもしれません。
ただ、矛盾しますが、大学生の頃、玉三郎さんが着物を見立ててくれるというイベントに行って、お年玉で着物を買ったことがあるんですよ。その時に『鶴屋南北に関心があるんです。鶴屋南北についてどう思いますか?』なんて血迷って話しかけてしまったことは、今でも叫びたいくらい恥ずかしいですね。しかもその着物はまだ一度も袖を通していないんです。竹久夢二とモルディブの海が合わさったような、他では見たことがない夢の柄なのですが、この本の書影撮影のときに着ればよかったかもしれないですね」
ただ会いたいという気持ちで話を聞きに行く。

——この本では、戦争の記憶についてもさまざまな方から話を聞かれていますね。
「そうですね。でも取材のためとか、小説のためとか、仕事のために聞いているわけではないんです。何か決められた目標のために行動をすることがあまり得意ではなくて。ただただみなさんのお話を伺いたいと思っています。でも、貴重な話を、ただ聞いているだけいいのかはわからないのですが。戦争のことを決め打ちで聞くと、辛かった思い出や被害を受けたことを忘れないように、という教訓の話になることが多いんですね。もちろんそれはとても大切なことなんですが、世間話をしているうちに突然、昔は米軍の放出した動物の飼料を食べていた、と時間が敗戦直後に戻ったりするんです。なので『戦争のことを教えてください』とお願いしすぎずに、ただお会いしたいという気持ちでお邪魔します。語られる内容はたとえ同じでも、語りの雰囲気が違うんです。そうすることで初めて聞ける、話し方、があるように感じます」
吉祥寺で食べたソーセージが大好き。

「連載時の撮影をしてくれていたフォトグラファーの新津保建秀さんと武蔵野を歩いたことがあって、その時食べた、井の頭公園近くにある〈ケーニッヒ〉のソーセージがすごくおいしくって、その後も取り寄せました。あまりにおいしくてホットドックを食べた後にさらにソーセージも注文して食べました。この連載で、くんちゃん(劇作家・飴屋法水さんの娘さん)とも行っているから、2回お店で食べています。私は加工肉がめちゃくちゃ好きなんですが、また食べたいですね」

「私はあなたと通信したい」という意味を持つ国際信号旗の〈信号旗K〉をタイトルに掲げ、はじめましての方から交流の深い方まで、各界のゲストを訪ね、語り合ってきた『GINZA』での連載。毎号、読み応えたっぷりにお届けしていたエッセイを、一冊の本として収録。
3,300円(マガジンハウス)
ニットトップ 50,600円(マメ クロゴウチ|マメ クロゴウチ オンラインストア www.mamekurogouchi.com )
















