パーティは終わっても、ダンスには間に合うのかもしれない。ドラマ『続・続・最後から二番目の恋』

パーティは終わっても、ダンスには間に合うのかもしれない。ドラマ『続・続・最後から二番目の恋』
パーティは終わっても、ダンスには間に合うのかもしれない。ドラマ『続・続・最後から二番目の恋』
CULTURE 2025.06.09
配信サービスに地上波……ドラマや映画が見られる環境と作品数は無数に広がり続けているいま。ここでは、今日見るドラマ・映画に迷った人のために作品をガイドしていきます。今回は『続・続・最後から二番目の恋』について。

2012年と2014年に放送されていたシリーズの第三弾ドラマ

『続・続・最後から二番目の恋』は、2012年と2014年に放送されていたシリーズの第三弾ドラマである。

2012年の第一弾では、テレビ局でドラマプロデューサーをしている吉野千明(小泉今日子)が鎌倉の古民家で暮らすこととなり、隣に住んでいた当時、市役所に勤める長倉和平(中井貴一)や、弟の真平(坂口憲二)や万里子(内田有紀)、離婚の危機を迎えて転がり込んできた長女の典子(飯島直子)たちと交流し、人生が少しずつ変化していくというところから始まる。

そして、今回の『続・続・最後から二番目の恋』では、冒頭でコロナ禍の千明や和平のことも描かれる。「流行に敏感」な千明はコロナに感染するも、和平や万里子たちが看病してくれる様子が、このドラマを象徴している。家族ではないけれど、もしかしたら、法律上の家族ではないからこその、心地のよい距離感で(法律婚をしている典子の夫が冒頭では行方不明であることを考えるとより理解できる)、ふたりが千明の傍にいてくれる感じが、現代のおとぎ話のようで、少々羨ましくなるくらいである。

人一倍敏感になる、「企画募集」のシーン

しかし、千明や和平は、『続・続』で59歳、63歳になっている。この年代にはこの年代なりのそこはかとない悩みがあるのだった。

千明は出世をしてドラマ制作部ゼネラルプロデューサーになってはいるが、かつてヒット作を世に送り出してきたというのに、現在の「月9」の企画を任されるような話も来ない。それどころか、ほかの社員たちと同様に、企画に一から参加してジャッジされる立場にある。戦力外とまではいかないが、以前のように会社から期待されていない様子が伝わってくる。

局のエレベーターホールで、「月9」の企画募集の張り紙を見つめる千明の表情が目に焼き付く。怒っているようにも見受けられるし、今、自分には「月9」を作れるのだろうかというふとした不安も見えるのが、定年間近のリアリティである。

個人的には、私はこうした社内の企画募集のシーンはいつも心を持っていかれる。

テレビ東京で2019年に放送された『30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい』でも、主人公の文房具会社社員の安達清(赤楚衛二)が、社内で企画募集のちらしを見る場面があるが、最初は自分に企画を実現させることなんてできるだろうかと思っていた安達が、最終的には自分が好きな文具の企画を出し、採用されて前に踏み出すのである。


このドラマのプロデューサーである本間かなみさんも、社内の企画募集を通じて、この作品のプロデュースをすることに至ったと聞いて、よりこの場面が心に焼き付いた。実はテレビ局で働いていた自分も、社内に貼ってある、どんな雇用状態の人でも参加資格のある企画募集を、見たことがある。その当時、派遣社員であったり、非正規雇用の状態であった自分からすると、「もし応募したとしても採用されることはないだろうな」と諦めていたからこそ、「企画募集」のシーンに、人一倍敏感なのであった。

「無理がしたい年頃だってある」

今回の『続・続・最後から二番目の恋』は、60歳前後の登場人物たちが、自分が社会から必要とされなくなったのではないかということに憂いながらも、それでも、自分にも何かまだ可能性があるのではないかともがく様子が描かれている。

長倉和平もまた、それまでは鎌倉市の観光推進課の課長をしていたが、定年退職をし、再雇用で観光推進課の指導監をしている。しかし、退職前には部下であった田所勉(松尾諭)からも、ぞんざいな扱いを受け、自分の可能性や存在意義に惑いを覚えているのだ。娘と話していたとき、和平はふと「無理がしたい年頃だってある」とつぶやく。

もちろん、無理をするのは今時よくないことかもしれないし、他人に無理をさせるのはもってのほかだ。しかし、まだ気力があって、誰かの役にたちたいとか、自分自身の生きる実感がほしいと思っているこの年代にとっては、「無理をしたい」というのは、もっと切実なものなのではないかと思えるのであった。千明や和平と自分の年齢が近づいているからわかることだが、自分がもっと若かったら、そのような「惑い」を持つのはもっと早くに終わっておいてくれと思っていたかもしれない。

「自分にはなにもない」という気持ち

今回の『続・続』で、気になるのは和平の妹の典子の存在である。

典子はずっと専業主婦であったが、夫と長男から相手にされておらず、いつも長倉家に出入りしていた。今回も長倉家にやってくると、典子は突然、近所のコンビニで週刊誌のゆけむりグラビア企画のスカウトを受けたことを報告する。千明が知り合いの伝手を辿り、もらった名刺の会社が怪しいものではないとわかり、典子は晴れてグラビアに挑戦するのだった。

このとき、典子がなぜグラビアに挑戦したいかを千明に語るシーンが良い。彼女は、千明のことをいつも「かっこいい」存在だと思っていて、千明のように輝ける場所を持っている人からすると、いきなりおだてられて舞い上がってグラビアに挑戦している自分を恥じている部分もあるが、それにワクワクしている自分もいると告白する。

彼女は専業主婦で、かつては専業主婦と働く女性が比べられると専業主婦が勝ちのようなところがあったが、「女性もいろいろ黙ってないぞ」という空気が大きくなった今は、専業主婦のほうが分が悪い空気があるのではないか、自分は戦ってないのではないかと思っていたのだった。

このようなシーンは他のドラマにもある。『虎に翼』でも、ヒロインの寅子の兄嫁である花江も、法曹界でバリバリ働く寅子や寅子の仲間たちに負い目を感じてそれを告白する場面があった。また、『光る君へ』の中でも、文章の才能のあるヒロインのまひろ=紫式部に対して、友人のさわは、「私には才気もなく、殿方をひきつけるほどの魅力もなく、家とて居場所がなく、もう死んでしまいたい」と語るシーンがあるのだ。

この「自分にはなにもない」という気持ちは、長らく自分にもあったからこそ、沁みて仕方がないのである。でも、『続・続』の中で、典子はそれでもグラビアに可能性を感じて撮影に参加する。しかしその後も、典子自身のライフスタイルを紹介する企画の取材を受けるも、それが実は実家であり、典子の本当の生活ではないことに、余計に戸惑いを感じてしまう。素敵なのは、自分の家ではなく実家であり、偽りの自分で素敵な自分を演出しているけれど、自分には「何もない」ことを、余計に意識させるのだった。

こうした「何もない」自分に、いつまでも向き合わないといけない苦しさももちろんあるが、千明は、素のままの典子が好きといいつつ、「本当の自分なんてどうでもいいんじゃない?」「俳優さんは、違う自分になれるからこの仕事は楽しいんだ」と語る。千明自身も自分の言ったことを「違うかもしれない」と、迷う姿もよかった。どちらも本当の答えじゃないような気もするが、典子にとっては、その言葉を千明が一生懸命に探していることがうれしかったのではないだろうか。

パーティは終わっても、ダンスには間に合うのかもしれない

千明の昔からの親友のひとりに、荒木啓子(森口博子)という登場人物がいる。彼女は、定年の年に会社を辞めることを千明やもうひとりの友人の水野祥子(渡辺真起子)に告げる。祥子はこの日、自分が手掛けるアーティストのリリースパーティに千明や啓子を誘ったのだった。しかし、啓子は今もそれなりにバリバリと働いている千明や祥子とは違い、自分のキャリアは少し前に最終地点を迎えていて、頑張って残っても居場所がないことを感じている。泣きながら「退職しても友達でいてね」という啓子によりそう千明と祥子。そして、そこでかかる、「思い出野郎Aチーム」の「ダンスに間に合う」を聞いていたら、見ている私も涙が出てしまった。

作家のphaさんは『パーティーが終わって、中年が始まる』という本を書いたが、「ダンスに間に合う」の「ダンス」もまた、パーティーに終わりが来るように、若者であった自分の終わりを象徴しているような言葉のようにも感じる。でも、一旦はパーティは終わっても、ダンスには間に合うのかもしれない、とそんな風に無理やり思いたがっている自分がいた。

text_Michiyo Nishimori illustration_Natsuki Kurachi edit_Kei Kawaura

Videos

Pick Up