日本のドラマはどんなことに、どんな仕方であらがってきた? ライター・西森路代インタビュー

日本のドラマはどんなことに、どんな仕方であらがってきた? ライター・西森路代インタビュー
日本のドラマはどんなことに、どんな仕方であらがってきた? ライター・西森路代インタビュー
CULTURE 2025.04.30

現在の社会やフェミニズムなどを描いた日本のドラマ23作品を取り上げた、ライターの西森路代さんの著書「あらがうドラマ 『わたし』とつながる物語」。
「あらがう」というテーマは、本書を書くなかで見出されたものだといいます。西森さんはなぜ「あらがう」作品に着目し、日本のドラマについて書くことで、なににあらがっているのか。日本のドラマはどんなことに、どのような仕方であらがってきたのか。本書に通底する「あらがい」について、お話を伺いました。
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西森路代

西森路代


にしもり・みちよ。愛媛県生まれ。地元テレビ局、派遣社員、編集プロダクション勤務、ラジオディレクターを経てフリーライターに。主な仕事分野は、韓国映画、日本のテレビ・映画に関するインタビュー、コラムや批評など。2016年から4年間、ギャラクシー賞テレビ部門の選奨委員も務めた。著書に『韓国ノワールその激情と成熟』(Pヴァイン)ハン・トンヒョン氏との共著に『韓国映画・ドラマ―わたしたちのおしゃべりの記録2014~2020』(駒草出版)がある。
X:@mijiyooon


「ドラマというもの、もっと言えばテレビが軽んじられている部分があるのではないか」


──まえがきに、「日本で見るべきドラマを探していた人に、うまくその魅力を伝えられずにいた」と書かれていましたが、魅力を伝えづらいと感じていたのはなぜでしょうか?

西森:自分の国の問題に意識的な人ほど、自国や自国のものを単純に持ち上げたりしないですよね。ドラマなどのコンテンツについてもそうだと思うんです。日本でも、社会に危機感を持っているつくり手によるドラマが実は増えてきているんですが、テレビ業界全体で見るとそうとは言い難い状況にあると思います。だから、危機感のある人ほど、危機感のないテレビの状況が嫌になっていて、そのことが伝わりにくかったのではないでしょうか。


──映画と比較したときに、「ドラマというもの、もっと言えばテレビが軽んじられている部分があるのではないか」と書かれていたことが印象的で、そうした偏見を自分自身もどこかで持っていたことに気づきました。


西森:私もそういう部分はありました。だからこそ、こういう本を書きたいというモチベーションにつながっているのではないかと思います。


──それがいつ形づくられたのかを考えてみると、平成のテレビの影響が大きかったように思います。


西森:実は、バブルが弾けたあとも、世の中的にそれに気付くのはもっと後だったんです。平成に入って、ドラマの主題歌が200万枚のヒットを続出したりするのもバブルの後だったんですね。テーマについても、今のように深刻なものは少なくて、アカデミー賞やカンヌでも、以前は社会的なテーマの作品ばかりがどんどん賞をとる感じではなかったですよね。

社会的なテーマのものが多くなることは、社会が過酷な状況になっていることを反映しているので、それが必ずしもいいというわけではないのですが、そういう側面はあったと思います。

「楽しくなければテレビじゃない」というフジテレビのスローガンがありました。これは80年代から始まったと言われていますが、この空気を2020年代になっても、ずっとそのときの空気のままに使い続けたことで、なにか歪みが生じた感じはありますよね。

ずっと変わらないことで歪みが生まれているという指摘は、今年1月からのドラマ「御上先生」の中でもありました。教育の現場の理想の教師像が「3年B組金八先生」(ドラマではタイトルは巧妙に隠されていますが)で止まっていることが指摘されていました。この場面には、危機感がありました。「金八先生」も1979年に始まったシリーズです。


──本書に収録されている脚本家の吉田恵里香さんとの対談の中で、ラブコメが軽視されがちというお話もありました。

西森:ありましたね。よく話しているエピソードですが、韓国の俳優、チョン・ドヨンさんにCREA.WEBでインタビューした際、チョン・ドヨンさんも、「これからも年齢を意識せずロマンティック・コメディに出続けたい」と言っていたのが印象的でした。

一方で、「女性はこういうのがあれば自動的に胸キュンするんでしょ」というような安易なラブコメが作られたことで、「もうラブコメはいい」と思った人も多かったと思うんです。ドラマの中では、そのような状況を打破したいという制作者の姿もよく描かれているんですよ。

たとえば、今年1月から始まったテレ東の「晩餐ブルース」では、たとえ地味でも個人の繊細な心の動きを描くようなシーンを作りたいという女性プロデューサーに対して、男性のスタッフが「それは個人の趣味でしょ」と突き放し、派手に花火をあげるほうが視聴者に届くという提案をするシーンがありました。ステレオタイプな胸キュンシーンがあってもいいけれど、「それをしとけばいいんでしょ」という作品はバレてしまうようになっているとは思いますね。

日本のドラマとフェミニズムの関係について


──もともと本書を書くにあたって、「日本のドラマの中にフェミニズムを描いたものが、実はたくさんある」という思いがあり、書くなかでテーマが広がりを持っていったそうですが、日本のドラマとフェミニズムの関係について意識し始めたのはどんなきっかけがありましたか?

西森:2010年代前半は、今のようにはフェミニズムに触れる機会がなかったと思います。自分の記憶では、上野千鶴子さん「女ぎらい――ニッポンのミソジニー」が2010年に、上野さんと湯山玲子さんの対談集「快楽上等!」が2012年に出て読んでいました。なんとなく、表紙もキャッチ―な感じがあって、あたらしく届いた人がいるのではないかと思います。私もその一人でした。

その後は、日本でフェミニズムのエッセイが出たり、海外の翻訳本が出たりするとすぐに買って読んでいました。堀越英美さんの書かれた「女の子は本当にピンクが好きなのか」が2016年、野中モモさんが翻訳された「バッド・フェミニスト」が2017年でした。これらの本があったことで、徐々にフェミニズムに関心を持つ人が増えたと思います。

2018年に発売の「82年生まれ、キム・ジヨン」(以下「キム・ジヨン」)以降は、韓国のフェミニズム本が日本でも知られるようになり、日本の作家さんが書いたものも増えたり知られるようになってきたという流れが書籍の方であったように思います。

エンタメの側でも、2014年に「アナと雪の女王」、2015年に「マッドマックス 怒りのデス・ロード」が日本で公開されて、同じ年に「問題のあるレストラン」が放送されました。それを私は「マッドマックス 怒りのデス・ロード」と同じような衝撃で受け取ったんです。

その少し前、2011年の朝ドラ「カーネーション」にも近しいものを感じるところがあったりして。そうした流れのなかで、2017年の「逃げるは恥だが役に立つ」(以下、「逃げ恥」)を「フェミニズムを意識したセリフがあるな」と思いながら観たことが大きかったと思います。

──「逃げ恥」はフェミニズム的な「あらがう」メッセージが込められつつ、とてもヒットした作品です。韓国のエンタメもたくさんご覧になられているなかで、西森さんが感じる日本のドラマ特有の「あらがい方」のようなものはあるでしょうか?

西森:「一見、そうとはわからないけれど、分かる人には分かる」ということはあるかなと思います。表向きはラブコメであったりコメディなんだけど、実はメッセージが隠れていたり。そういう作り方も私はいいと思います。

たとえば、「妖怪シェアハウス」というドラマは、気軽に見られるコメディ作品なんですが、その最後には小芝風花さん演じるヒロインが、「生きたいように生きて、何が悪い!」と抑圧を解放するシーンで終わるんです。でも、一般的には、このドラマにこんな直球のフェミニズムが描かれていることは、良くも悪くも知られていない。だからこそ、フェミニズムのドラマが作り続けられているという部分もあるんじゃないかと思います。

韓国は日本よりも敏感で、「キム・ジヨン」のフェミニズム的な要素が注目され、大きな社会現象になりましたが、そのせいで批判も大きくなってしまうということもあるんですよね。

──韓国の女性アイドルは、「キム・ジヨン」を読んだと言っただけで、ネット上で攻撃されていました。

西森:日本からすると、韓国にはフェミニズム小説がたくさんありますよね。でも、その小説がドラマ化されると発表されていても、いまだそのドラマを見られていない現実があるし、そもそもフェミニズム小説が映像化されること自体が少ないです。

小説、ドラマ、映画は、それぞれ表現することが違うものなんですよね。映画では「ガール・コップス」という作品にフェミニズム表現があったために、わざと悪い評価をつけられたりしました。日本とは違う難しさがあるように思います。

「逃げ恥」の場合は、「好きの搾取」のような台詞が出てくるドラマがまだ多くなかった時代のなかで、前提としてラブコメの形式で、「恋ダンス」とか「ムズキュン」とかの要素で受けたドラマだととらえている人もたくさんいると思うんです。でもそれだけではない。あのときにおそらく作り手の人たちが現場であらがったからこそ生まれた作品だということは、この本でも意識しながら書いています。

──作品上に表れている「あらがい」は、制作現場でも起きていたのではないか、と。

西森:だからこその今だと思います。プロデューサーさんや脚本家の方、そして制作陣もすごく変わってきていますね。「御上先生」を観たときに、「どんどんあらがっていきましょう」というムードが生まれていると感じました。「御上先生」では、「パーソナル・イズ・ポリティカル」というフェミニズムのスローガンがセリフでも使われていましたし、「生理の貧困」についても扱われていましたしね。

フェミニズム以外にも、さまざまなテーマを取り上げたドラマが今も続々と作られています。日本に住む外国人について取り上げた「東京サラダボウル」や、専業主婦、働く母、育休中の父親など、違った立場の人々がときに反発しながらも理解を深めていく「対岸の家事」、膠原病のために、仕事や生活との向き合い方を変えざるを得ない実情を描いた「しあわせは食べて寝て待て」などのドラマがつくられるようになってきたのは、もちろん以前からそういう人はいたのだとは思いますが、制作陣の意識の変化と、それを採用するようになった上層陣の変化、そして視聴者がそれを求めるようになったという変化が存在するのだと思います。

「あらがっていないドラマはあんまり面白くないな、とは思います」

──「あらがう」というテーマは書くなかで結果的に見えてきたということですが、西森さんが「あらがう」作品に関心があるのはどうしてでしょう?

西森:個人的には、あらがっていないドラマはあんまり面白くないな、とは思います。さきほども、「御上先生」の中に「パーソナル・イズ・ポリティカル」という言葉が出てきたとお話しましたが、ただ個人の生き方を描くだけでなく、一見自分と直接は関係がないともいえるような事柄を描いていても、関係があるように感じさせてくれる作品に面白さを感じるんです。

「ギャラクシー賞」のテレビ部門の選奨委員をしていたときに、社会問題を扱ったドキュメンタリーをたくさん観たことの影響も大きいかもしれません。困っている人のことを知らないでいるのが嫌なのかな、と思います。

──映画などと比べたときに、権威性やそれに伴う価値や重みがないと思われて、軽視されがちなドラマについて書くこと自体が、「あらがう」ことであるとも感じました。

西森:そういう思いはすごくありますね。権威性みたいなものに対して抵抗があるんです。それは自分のコンプレックスにも関係があるのかもしれません。軽いテレビのことは書かせてもらえるけど、社会的な映画のレビューはなかなかまわってこない、という時代が自分にもあったので。

一般的にも、映画は社会的なものがあるけれど、ドラマはそういうものは少ないと思われがちですよね。でも、日本においては、そうとも言えない状況はあると思います。

たとえば、映画の「新聞記者」で描き切れなかったメッセージみたいなものを、ドラマである「御上先生」で確実に描こうとしていると思ったし(※両作とも脚本に詩森ろば氏が携わり、主演を松坂桃李が務めている)、2時間の映画では難しい、細かい部分もドラマだと存分に描けますよね。興行に関係ない分、冒険できるところもあるんだと思います。

だからドラマが単純に軽視されていることにものすごく抵抗があって、そういう意味でもドラマにこだわりたかったですね。1冊の本にするほどのテーマじゃないと思われるかもしれないからこそ、社会的なものだと思われている韓国ノワールの本を書くのと同じか、それ以上に力を入れました。

──本書で取り上げられている作品は、地上波のドラマが多いです。その点についても、配信ドラマのクオリティがしばしば讃えられがちななかで、あえて地上波のドラマを多く取り上げられたのでしょうか?

西森:配信ドラマにも、ちょっと権威性があるような感覚はありますよね。お金もかかっていて、世界に見られるものだから。それは、韓国でも同じだとは思うんですね。

一方で、配信ドラマは世界に向けたマーケティングに基づいて作られていて、それが優先されるあまり、過激でギリギリなものが多くなったりしているところはあると思います。また、そういうフォーマットが優先されるあまり、作り手の作家性を消してしまうような作品もあるんじゃないかと感じます。「世界向けのプラットフォームでウケる作品」のパターンが決まってしまうのは残念に思うこともあって。それに、私は「過激」なことが「あらがってる」ことのように思われることも多いけれど、そうとも言えないんじゃないかと思うんですよね。

日本特有の問題に焦点を当てたものが、日本でしかウケないことはないと思うんですね。「フェンス」や「エルピス—希望、あるいは災い—」、「虎に翼」、「SHUT UP」「鎌倉殿の13人」のような作品も、届け方によっては、海外でも面白いと思ってもらえる作品だと思います。

実際、韓国では、坂元裕二さんや野木亜紀子さんの作品は人気があります。日本で私達が面白いと思う作品は、韓国の人にとっても面白いんだなと実感することが多いです。

また、「団地のふたり」や「孤独のグルメ」のような、なんでもない淡々とした日常を描いた作品も、日本の特徴として海外では捉えられています。これらの作品が海外で人気があることを考えると、もう少しいろいろな可能性があると思います。

──今後日本のドラマで描かれてほしい物語はありますか?

西森:最近ニュースやドキュメンタリーなどでも取り上げられていますが、地方の女性がどんどん地元から出て行く状況、つまり「流出」している状況がすごく気になっていて。いま一番気になるテーマなので誰か取材して作ってくれないかなと思っています。自分で何かやりたいという思いもあります。

──小説では山内マリコさんなどが書いてこられた部分ですね。

西森:そうですね。「あのこは貴族」に出てくる美紀は、地方出身者だけど勉強して有名私大に入ったような人で、そこでドロップアウトしてしまう状況が描かれていました。これも重要な指摘だと思うし、すごく記憶に残ったんですが、地方に暮らしていて、そこから出たい、出ざるを得ないという人には、私も含めて、まだまだ無数のパターンがあるので、ほんとうにいろんな人の物語があればという思いがあります。

地方にとどまる人と出ていく人が分断されないような、パーソナル・イズ・ポリティカル的なものとしての物語があればと思っています。

text_Yuri Matsui photo_Mikako Kozai edit_Kei Kawaura

information
あらがうドラマ「わたし」とつながる物語

あらがうドラマ「わたし」とつながる物語

著者:西森路代
2025年3月17日(月)発売
価格:1,870円(税込)
HP:https://303books.jp/drama/

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