大銀座から始まる東京小旅行
#ふらっと美術館 タレント・壇蜜さんエッセイ LEARN 2023.04.20

芸術と文化の中心地として発展を遂げた銀座エリアは、その名残から一人で気軽に立ち寄りたいギャラリーが点在。芸術作品に造詣が深い壇蜜さんと、アートシーンを彩る街へ繰り出しました。

「銀座で『ゆらぎ』にコチョコチョされて」文・壇蜜

スザンナ・フリッチャー〈Pulse〉展示風景©Nacása & Parthers Inc./Courtesy of Foundation d'entreprise Hermès
スザンナ・フリッチャー〈Pulse〉展示風景©Nacása & Parthers Inc./Courtesy of Foundation d'entreprise Hermès

とある早春の金曜日、銀座。時刻はお昼ご飯にはちょっと早いかな? という頃合い。太陽はゴキケンだったがビルとビルの間の日陰に入ると、吹いてくる風はまだまだ冷たいなと感じる。交差点で日を浴び、ビルの隙間で冷やされ…を何度か繰り返しながら歩く。買い物客、観光客等で賑わっている。人がいすぎて進路確保が難しい程ではないが、会話しながら歩いたり店を出入りしたり、銀座の風景を動画や写真を撮ったりしている人々は「それなりに」いた。少し前に感染症の影響を受け、閑散とした銀座がテレビ画面に映っていたが今は違う。この辺りで沢山のお客を乗せた観光バスが数台見られて何となくホッとしたのはどうしてだろう。やはり日本の経済は銀座が盛り上がってナンボ(?)的な発想が私にもあるのかもしれない。
私が向かうは「ゆらぎ」を意識的に体感できるギャラリー。かつて閑散とした銀座の映像で不安に苛まれた心にわずかなゆらぎは生まれたが、回得られると聞いているものはそのようなネガティブなものではない。複数名のアーティストが我々の体の中に侵入してくるが如く、音や振動、光などを巧みに操り知覚に優しい刺激を与えてくれる…そんなジンワリウキウキするような「ゆらぎ」だ。普段感じにくい何かを引っ張り出してコチョコチョされる可能性を感じたら、ちょいMな私には妄想ですでににやついてしまっていた。
鑑賞後の感想から先に伝えておくと、「あちこちの感覚を非常にソフトにコチョコチョされてジンワリニヤニヤできた」だ。いわゆる官能的なお店に行った感想ではない、しかし、確かにそう感じたのだから正直に書いておく。ただ眺めるだけ、空間にいるだけでも少しずつ作品が変化していく過程を感じられた。丸いイラストも、垂れ下がる白い糸も、机に置かれた手紙も、見つめたまま(時に見上げたまま)「どれ位経過したのか」すら分からない。意識がどこか違う所に行ったり、妄想が展開したり、ちょっとしたトリップもあったかも知れないが、「ゆらぐってこういうことか」自分なりの解釈ができる時を過ごせたと思う。なかでも微震しながら垂れ下がる白い糸に触れないようくぐるという体験は、屈んだりゆっくり歩みを進める動作を半ば強制的に促されるため、無駄な焦りやイライラを崩してくれるような気がした。ここではモタツクこともたしなみになるのだろう。
活気を取り戻してきた銀座と、感染症で混乱していたが現時点では前よりやや落ち着いているが不安はまだまだある自分と、優しいゆらぎ…銀座は賑やかで自分は健やかで当たり前だと考えてい数年前からしたら考えられない環境の中でのギャラリー鑑賞は貴重だ。この時しか得られない感覚を与えてもらい、感謝。誰しもがこの数年味わった事の無いネガティブな何かに引っかき傷を負わされた。引っかき傷が化膿してこじれていった人もいただろう。展示が癒しになるかは分からない。しかし、ゆらぎは人をほんの少し「くすぐったく」させてくれる。
ギャラリーを退出した後の銀座はお昼真っ盛り。近辺で働く方々が財布や携帯電話を持ち、足早にランチタイムを過ごすためのお店に向かっているような姿が目立つ。テイクアウト専門のキッチンカーにも列が出来ていた。買い物袋を下げ歩く人々も小一時間で随分増え、ゆらぎを得た後のせいザワザワ音も強く感じる。荷物を搬入する車が2台すれ違い、ドライバー同士が知り合いなのか談笑しながら挨拶を交わしている。昼間にしか見られない光景だろう。昼の賑わい、夕方の賑わい、夜の賑わいに移り変わる前の「NowLoading」的午前中の銀座を歩く。比較的早い時間にギャラリーに連れて行ってくれたマネージャーにもありがとうと言いたい。

ふらっと行ける美術館はほかにも...

text:Ami Hanashima

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