専業主婦と働くママ。まじわることがないと思われるふたりに、シンパシーが生まれる瞬間に、涙が出た。ドラマ『対岸の家事』

専業主婦と働くママ、まったく違った悩みを持ち、決してまじわることがないと思われていたふたり
朱野帰子原作のドラマ『対岸の家事~これが、私の生きる道!~』は、専業主婦の詩穂(多部未華子)が主人公の作品である。朱野さんはFRaUのインタビューで「今も専業主婦がマジョリティーだったら、専業主婦を主人公にした小説は書いていないと思います」と語っているように、現代社会において、専業主婦がどのように見られているかが描かれ、また彼女と違う立場の人間にも、それぞれに悩みがあることが示される。
ドラマの一話で詩穂は、江口のり子演じる働くママの礼子に、「今時専業主婦になってどうするんだろうね」「絶滅危惧種だよね、この町じゃ」と言われてしまう。この会話では、ほかにも「旦那がお金持ちなのかな」「そんな感じしなかったよね」というやりとりもされている。
実は、このドラマとまったく同じ時間帯にNHKのドラマ10で放送されている『しあわせは食べて寝て待て』でも、同じようなセリフがある。膠原病で週に4日しか働けない主人公に対して、事情を知らない同僚たちは、「実家が金持ち説」を提唱していると直接冗談めかして言うシーンがあるのだ。
こうした、表向きには悩みが見えないときに、「実家や家が裕福なのでは」ということで、その悩みを透明化されているというシーンは多く、見るたびにはっとさせられる。
『対岸の家事』の一話、冒頭では、対立しているかに見えた専業主婦の詩穂と働くママの礼子。詩穂は、専業主婦であるために、大人と会話する機会がなく、孤独を感じている。一方、礼子は礼子で、働きながら子育てをしていて、上の子が熱を出してしまい、下の子どもをおいたまま小児科に連れていくのもままならず、そのような出来事が彼女を追い詰めいっぱいいっぱいになっていた。
その結果、礼子は彼女たちが住んでいるアパートの屋上にふらふらと吸い込まれるように登っていき、柵を超えようとしていた。それを見た詩穂は貯水タンクに登って星を見ようと提案する。登ってはいけないところに行くことに躊躇する礼子を見て詩穂は、「ちょっとくらいルール違反しても、ゲームオーバーになるよりましです」と声をかける。礼子は詩穂にそう言われたことで、正気に帰るのだった。
専業主婦と働くママ、まったく違った悩みを持ち、決してまじわることがないと思われていたふたりに、シンパシーが生まれる瞬間に、涙が出てしまった。
毎回「ノワール」に描かれるような、強い反発と和解の情が描かれている
「対岸の家事」というタイトルは秀逸だ。このドラマには、毎回、同じではない状況で悩んでいる人たち、つまり「対岸」にいる人たちが、ときに誤解を生じさせながらも、それを解く様子が一話の中で描かれる。
4話には、小児科の病院の医師の妻で、受付を担当している晶子(田辺桃子)が登場する。彼女のことは、周りの誰もが、何もかもを持っていると思って羨んでいる。しかし、実際には、義母や病院に来る年配の患者たちから、子どもはまだかと期待をされ、プレッシャーに感じていた。
晶子は、隠れてレディースクリニックに通って不妊治療をしていて、そのことを詩穂に見られてしまう。誰にも言わないことを約束したふたりだったが、あるとき、その秘密がばれてしまう。一時は疑われた詩穂だったが、やがて、妊娠へのプレッシャーをかけていた義母や、病院の患者たちから晶子の手をとり、‟逃亡”する。
この様子を見ていたら、ギリギリまで追い詰められた女性ふたりが、同じ痛みを抱えて、共闘し、閉塞した場所から逃げ出す様子を描いた、パク·チャヌクの映画『お嬢さん』のワンシーンを思い出した。ドラマの中では、『卒業』という古い映画の中で、花婿から花嫁を奪い、手をとって逃亡するシーンに例えられていた。
一話の詩穂と礼子のシーンにも感じたが、このドラマには、毎回「ノワール」に描かれるような、強い反発と和解の情が描かれていて、必要以上に泣いたり心を持っていかれたりしてしまうのである。

女性との強い反発と、そこから誤解を解いて、強い感情で結ばれる過程を書いているこのドラマだが、パパとの誤解、反発と和解も書かれている。
ディーン·フジオカ演じる中谷は、育休中の官僚パパで、今の時代のロールモデルになろうと奮闘中だ。しかし、初対面のときから当たり前のように詩穂を育休中と思い込み、実は彼女が専業主婦とわかると、「低成長、超少子高齢化、養わなければならない人間がどんどん増えてるこの時代に、女性が家事だけに専念できる余裕はもうこの国にはないんです。専業主婦は贅沢です」と詩穂に向かって断言するような人間であった。
中谷は、鼻持ちならない役柄ではあるが、彼の性質や、子どものときからの親との関係性もあり、このような考えに至ったのだとわかる。そして、ここまではっきりと言う人は少ないかもしれないが、世の中は何かの役に立たないと生きている意味がないとみなしがちだ。こうした世の中にある効率主義が中谷を見ているとよくわかる。
中谷と詩穂もまた、まったく違った生き方、考え方をしているが、それでも、中谷も、子育ては繰り返される毎日に焦燥感を感じていて、初めてで計画通りにいかないことも多く、詩穂と同じように孤独を感じていて、詩穂と出会ったとき、彼女を救世主とすら思っていたのだった。
なにもかもできる人は憧れの存在になりやすい。しかし、その憧れが自分を苦しめる枷や呪いになる
『対岸の家事』を見ていると、お互いに足りない部分や、足りている部分があって、その違いに反発をしている者同士であっても、対話をしてみると、悩みや苦しみは違わないのだとわかることができる。
これは、主婦に限らない。この原稿を書いている時点での最新話の第6話では、礼子の会社の先輩で、総合職としてバリバリと働いている陽子(片岡礼子)が登場する。彼女は、社内で初めて女性管理職となった人物であるが、会社ではできすぎることから若い社員から敬遠されている。礼子は、彼女をロールモデルとして社内の講演会の登壇者として推薦するが、会社側は、結婚も出産もしていない陽子は、ロールモデルではないとみなし、結婚して子育てをしている礼子を登壇者として選ぶ。
人が、仕事をして結婚もして子育てもして……と全方位にバランスのとれた生き方をしていないと、人々の手本にならないとみなされてしまっていたのではないかということを感じる。なにもかもできる人は、確かに憧れの存在になりやすい。しかし、その憧れが自分を苦しめる枷や呪いになるということもあるのだと、気付かされるのだった。
text_Michiyo Nishimori illustration_Natsuki Kurachi edit_Kei Kawaura