美容と「余白」のバランス

美容と「余白」のバランス
自分の目で、世界を見たい Vol.22
美容と「余白」のバランス
LEARN 2026.09.01
この社会で“当たり前”とされていること。制度や価値観、ブーム、表現にいたるまで、それって本当は“当たり前”なんかじゃなくって、時代や場所、文化…少しでも何かが違えば、きっと存在しなかった。情報が溢れ、強い言葉が支持を集めやすい今だからこそ、少し立ち止まって、それって本当? 誰かの小さな声を押し潰してない? 自分の心の声を無視していない? そんな視点で、世界を見ていきたい。本連載では、作家・翻訳家の松田青子さんが、日常の出来事を掬い上げ、丁寧に分解していきます。第22回は、美容と「余白」のバランスについて考えました。

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松田青子
松田青子
作家・翻訳家

まつだ・あおこ/『おばちゃんたちのいるところ』がTIME誌の2020年の小説ベスト10に選出され、世界幻想文学大賞や日伊ことばの架け橋賞などを受賞。その他の著書に、小説『持続可能な魂の利用』『女が死ぬ』『男の子になりたかった女の子になりたかった女の子』(いずれも中央公論新社)、エッセイ『お砂糖ひとさじで』(PHP研究所)『自分で名付ける』(集英社文庫)など。

20年くらい前、私が10代の頃、「小顔」がいいとされるようになった。

AI先生に聞いてみたところ、やはり1990年後半から2000年代前半に「小顔」のブームが一気に広がったと解答があった。AI先生は適当なことや間違ったことも言うが、とりあえず目安として、その頃らしい。

それ以来、あらゆる流行り廃りがあったが、「小顔」がいいという価値観は常に揺るがず、そこにあった。顔の上にある眉毛は、太眉、細眉ブームが永遠に繰り返されるけれど、顔自体は、大顔、小顔ブームが繰り返されたりはしない。大顔はドーンとしてかっこいいという流行が来たりもしない。

「小顔」に見えるメイクやファッションが雑誌やメディアで常に追求されてきたけれど、実際それは錯覚の効果でしかないので、顔自体の大きさには変化がなかった。

けれど、最近は、美容医療の技術の進歩で、実際に顔の大きさを変えてしまうことができる。合格すると整形費用1000万円が保証され、スターキャバ嬢への道をバックアップしてもらえるユーチューブの番組『ラストコール』を私がはじめて見た時に驚いたのは、志願者を美容医療の医師たちが取り囲み、どの部位を整形したほうがいいか、その場で指摘していくコーナーだ。

見たことがある人はわかると思うが、このコーナーで指摘されるのは、全身の「余白」がある場所だ。二の腕を摘まれ、ここの脂肪をもっと減らせると指摘され、文字通り「粗探し」をされる。「余白」は脂肪を吸引することで最大限まで減らすことができ、「小顔」にするために、骨を削ることさえ可能だ。例外は、目と胸で、この二箇所は大きいほうが良いとされる。

この場面を見るだけで、女性に求められる一つの理想の美のかたちを理解することができる。出演者のトップキャバ嬢たちはそれぞれ個性が際立っているけれど、彼女たちが人気の出る要素としてまず挙げるのは、かわいいこと、細いこと、そして個性がないことだ。最初から個性があるとお客さんに疎まれると言う。

この価値観自体は、社会全体に根強く浸透している。できるだけ細く、しかし、目と胸は大きく、というのが共有されてきた「前提」だろう。

美容整形じゃなくても、メイク効果として「中顔面」や「人中」を短縮させる、「余白」を埋めるテクニックは、いつからかとても人気だ。

私自身もメイクや美容に興味があるし、四十代も半ばを過ぎると全身の「余白」は増える一方だ。メイクアップアーティストの人たちが言うには、四十代は顔の「余白」が増えるそうだ。その「余白」を目立たなくするメイク方法をYouTubeで紹介してくれたりしている。顔の大きさ自体はそう変わらないはずなので、若い頃の肌質ではなくなった結果、なんとなく間延びしてくるというか、間が持たなくなってくるのだろうか。

だが私は何が好きって「余白」が好きな人間だ。この世にはいろんなバージョンの「余白」がある。たとえば、仕事や育児などでいっぱいいっぱいになると心身ともに疲れてしまうが、休みや趣味という「余白」を持つことでなんとか続けていけたりする。もやもやすることがあっても、まあ、いいか、的な「余白」を持つことで、気持ちを切り替えられたりもする。私自身の仕事においても、「余白」がないと新たなアイデアが湧いてこない。

普段から「余白」の大切さが身にしみているせいか、顔の「余白」についても、それ、とっといたほうがいいんじゃないかと心のどこかで思ってしまう私がいる。顔の「余白」を埋めるメイクをYouTubeで見て真似しながらも、同時に「あったらあったでいいけどね」ぐらいの距離感でいたくなる。美容医療は個人の自由であるので、他者の選択を批判したいわけではまったくない。ただ、自分は概念としての「余白」の重要さがついつい脳裏をよぎるので、その「余白」があとで必要になることは本当にないのだろうかと考えてしまう。削った骨はさすがにメイクのようには元に戻せないからだ。

私自身も悩みは多い。最近も、目の下のクマが明らかに以前とは違う強い主張をするようになり、コンシーラーでも隠れなくなった。メイクをするたびに気になる。こういう時、私は「無駄に規模を大きく考える」ことにしている。「私の目の下にクマがなかったら世界は変わるか」と考えると、特に変わらないのは明らかなので、じゃあ、いいや、ととりあえず納得がいく。

私は、メイクアップサバイバル番組『ジャストメイクアップ』が好きで、多彩なメイクのアイデアや技術が次々と繰り出されていく緊張の現場がこちらの士気も高めてくれるため、何周も流しながら仕事をしたりする。この番組を見ると、メイクや美容って、「余白」や「粗」を埋めるだけのものじゃないんだなと改めて思ったりする。もちろん「余白」や「粗」を消すことで、一日気分よく過ごせることもメイクや美容の力ではあるけれど。

 世の中の流行を基準にするのではなく、自分にとって納得のいく「余白」を一度考えてみるのもいいかもしれない。

text_Aoko Matsuda illustration_Hashimotochan

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