【武田砂鉄×宮地尚子】同じ出来事でも、距離感によって体験は変わる。語られる言葉の奥にある痛みを想像して

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出版社勤務を経て、2014年よりフリーライターに。2015年『紋切型社会』(新潮文庫)でBunkamuraドゥマゴ文学賞受賞。週刊誌、文芸誌、ファッション誌、ウェブメディアなど、さまざまな媒体で連載を執筆するほか、近年はラジオパーソナリティとしても活動の幅を広げている。近著に『わかりやすさの罪』(朝日文庫)、『マチズモを削り取れ』(集英社文庫)、『テレビ磁石』(光文社)など。

一橋大学大学院社会学研究科特任教授。専門は文化精神医学・医療人類学。精神科の医師として臨床をおこないつつ、トラウマやジェンダーの研究を行う。近著に『傷のあわい』(筑摩書房)、『傷つきのこころ学』(NHK出版)、『傷を愛せるか 増補新版』(筑摩書房)『とまる、はずす、きえる』(青土社)など。
▼前編はこちら!
同じ出来事でも距離感は人によって違う
武田砂鉄さん(以下、武田):前編でお話したように、傷つきを避ける前提の人間関係が広がっている昨今です。
そもそも、「心の傷=トラウマ」や「心のケア」という言葉が日本で注目されるようになったのは、阪神・淡路大震災(※1)、地下鉄サリン事件(※2)が起きた1995年以降の話だと著書の中で宮地さんはおっしゃっていて、その歴史が長いわけではない事実に驚きました。
宮地尚子さん(以下、宮地):そうですね。それまでは根性論的なものが多かったり、戦争体験などのトラウマを表に出すと不都合な人たちがいたというのもあり、語られることが少なかったのだと思います。
また、高度経済成長で右肩上がりにどんどん社会がよくなっていくという幻想もあって、当時は過去を振り返ることがあまりなされない風潮だったというのもあるかもしれません。
今思えば、いつの時代も社会の流れから取りこぼされる人は必ずいるのですが…。
1995年の阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件に続き、1997年には酒鬼薔薇事件(※3)が起き、それらを思春期に経験している武田さんはどんなことを感じていましたか?
武田:そうですね。阪神・淡路大震災のときは小学6年生で、今でも当時のことはよく覚えています。先生が授業をストップして、学校にあるテレビをつけて、震災の様子を映した番組を流していたんです。
小学生だった自分は、学校でテレビを見られるという特別な状況が嬉しいと思ってしまった。帰宅後、大変なことが起きたんだと理解したのですが、関西圏に身近な人が住んでいるわけでもないから、どこかで自分とは関係ないことだと思っていた自分がいて。
そこから徐々に年を重ねていくなかで、当時の自分のあり方はよくなかったなと、後ろめたさが積み重なっていきました。
宮地:人間って、自分と出来事との物理的、心理的距離によって受け止め方は全然違います。距離が違えば、同じ出来事でも、その経験の仕方はまったく異なる。
私自身は神戸出身で、当時は京都に住んでいたので、故郷の町が崩れて、燃えているのをテレビで見て、本当にショックで。現地に行きたいけど行けないという歯がゆさを感じていました。
でも、それを当時の武田少年が経験しないといけないわけではない。罪悪感を持たないといけないわけではないと思います。
もちろん、言う場所や相手を選ばないといけないけれど、同じ出来事でも人によってその距離感や経験の仕方は違うということを、お互いにわかっておくということが大事なのではないでしょうか。
武田:東日本大震災が起きたときは、私は出版社に勤めていて、地震が発生してからしばらくは、編集者たちがある種の興奮状態で、それぞれの得意ジャンルの中で「この本を復刊させようとか」、「この企画をやろう」と色めき立っていました。
今、振り返るとあの“鼻息の荒さ”は一体何だったんだろうと思います。
宮地:災害など、危機的な状況のあとには、「ハネムーン期」と呼ばれたりする興奮期があったり、はたまた「災害ユートピア(※4)」や「ショック・ドクトリン(※5)」といった、さまざまな反応が同時に起きると言われています。
初めて経験した危機的な状況が東日本大震災だった人たちは、興奮状態になるかもしれないし、逆に過去経験している人は冷静にいられたり。反応の仕方も、初めてと2回目、3回目以降の経験では全然変わってくると思います。
証言の奥には声をあげられないほど傷ついた人たちがいる
武田:「トラウマ」という言葉が知られるようになった今でも、メディアの報道の仕方についてはいろいろな問題があると言われていますよね。
何かが起きると、強烈な体験をした人にマイクを向けて、言葉を急いで搾り取っていく。おそらく、多くの人々に見られる需要があるからこそ、そこにマイクを向けに行くという側面もあると思いますが。
宮地:1995年を契機に、報道の仕方によって、それがトラウマをもたらす可能性があることは議論されるようになっていて、知識としては積み重なってきていると思います。
ただ、ネットはまた別ですよね。センセーショナルだったり、即時性を要求され、ジャーナリストだけではなく、一般の人も動画をアップできるようになったことで、配慮の欠けているものもあると思います。
私はトラウマを語る難しさを「環状島」というモデルを使って説明してきました(『環状島=トラウマの地政学 新装版』(みすず書房))。環状島とは、真ん中に内海のあるドーナッツ型をした島のことで、トラウマが大きいほど、島の真ん中には沈黙の内海が広がっていることを表現しています。

トラウマって本来は語りづらいもので、証言をしてくれる人たちの言葉は大切だけれど、その奥には、証言さえできない人たちもいます。
亡くなったり、声を出せないほどダメージを受けたり、声を出すことでバッシングやスティグマ(※6)を受ける人たちがいるということを認識しておけば、証言してくれる人の言葉を聞きながら、その中に隠れている人への想像力を持てると思います。
固定化されたイメージが個を許さない社会
武田:1995年の地下鉄サリン事件を計画・実行した〈オウム真理教〉の教祖、松本智津夫(麻原彰晃)の三女の松本麗華(まつもと・りか)さんを追ったドキュメンタリー映画『それでも私は Though I’m His Daughter』が2025年6月に公開されましたが、彼女と何度か会ったことがあります。
彼女は相当なバッシングを受け、素性が明らかになると理由もなく解雇されたり、“麻原彰晃の娘”として社会から拒絶される経験をし続けてきました。
そんな中、ボディコンテストに出場し、嬉しそうな表情を浮かべる様子がドキュメンタリーの中では映し出されます。
「自分の名前で認められるのが初めて」だと感極まるシーンがあり、自分とほぼ同い年だけれど、周りから包まれるように肯定される経験が事件以来、一切なかったんだろうと思うと、その重みを感じ取りました。
宮地:どこにいっても、“麻原彰晃の娘”としか見られず、ひとりの人として見てもらえること自体がなかったんでしょうね。
その話を聞いていて、南海キャンディーズのしずちゃんがボクシングをしていたことを思い出しました。
芸人として成功しているんだけれど、女性芸人ならではの苦悩や、イメージと自分自身との乖離であったり、さまざまな背景がきっとあったなかでボクシングにたどり着いたのに、またメディアがそれをおもしろがって報道をしたり。
一度有名になって、イメージがついてしまうと、そこから離してもらえない社会になっていると感じますね。
武田:やっぱり芸人の世界ってまだ男性中心の世界で、男性同士はベテランでも若手でも、連帯感が強いというか、スクラムを組んでるような空気があります。
そういう世界に、女性が入っていこうとすると、身体的な特徴をネタにして、自虐的に見せたりといったことをせざるを得なかったりする。女性芸人の方と話していると、そのことに対するジレンマを感じてきた方が多いなと感じます。
でも、ここ5年くらいで、女性芸人の方々が自分たちの言葉で発信していて、流れが変わってきていますよね。
宮地:もっともっとそういう方が増えてほしいし、みんなで新しい境地を作っていけたらいいなと思います。
オチありきではない現実を生きる
武田:宮地さんは著書のなかで「弱さを抱えたまま強くなる」と書かれていますが、男性が自分の弱さを自覚して認めるってやっぱり難しいことなのでしょうか。
宮地:先ほど、男性同士がスクラムを組んでいるとおっしゃいましたが、そのなかでも熾烈な戦いが起きていて、弱さを見せにくいのだと思います。
先日、桃山商事の清田隆之さんと対談した際、何かの被害にあって、それを男性同士で話すときは、例えば「暴行」されたことを「タコ殴り」にされたと軽く聞こえるような言葉に言い換えて、笑いに変えないと、しゃべることが許されない空気があったとおっしゃっていました。
つらさを笑いに包み、弱さを見せないことが”男らしさ”だと思わされてしまうけど、しんどいですよね。
武田:男子学生同士の会話を聞いていると、オチのある話をするプレッシャーを感じることがあります。芸人はオチの話をするプロなんだけれど、それを日常に持ち込む必要はないよなと。
宮地:ティム・オブライエンが書いたベトナム帰還兵の物語『本当の戦争の話をしよう』のなかで、彼は「本当の戦争の話にはオチがないんだ」と書いているんですね。
戦争の話だと、そこから教訓が得られるとかを人々は求めがちですが、本当に戦争を経験した人たちはそんなこと考えられない。リアルなものって、まだストーリーにならないことが多いんです。
オチがあるって、ある程度ストーリー化されている必要があり、現実のトラウマは、ストーリー化されようのないくらい断片的な記憶だったり、生々しい身体感覚で、それをオチにすることなんてできないと思います。
武田:何か強烈な出来事が起きたときに、そこから教訓を欲しがってしまうというのはよくありますよね。
それを提供する側は、「こういうことがあったから、これはやめて、これは続けましょう」と選んだりするけれど、「本当にそれでいいの? そんなに言い切っちゃっていいの?」みたいに感じることはあります。
宮地:大学でも、授業を通して何を得られるかをあらかじめシラバス(※6)に書かないといけないのですが、「持って帰れるものはこれです」とあらかじめわかっていて、予定調和だとつまらないと個人的には感じます。
たとえ、そのときは得られるものが明確でなかったり、オチや教訓がないと感じるものでも、何年も時間が経ってから、腑に落ちたり、気づきを得たりする瞬間ってたくさんありますよね。そういう視点をもっと大切にしてもいいのではないかなと思います。
※1|阪神・淡路大震災:1995年1月17日に発生した兵庫県南部地震による災害。マグニチュード7.3、最大震度7を記録した日本で初めての大都市直下型地震であり、甚大な被害をもたらした。
※2|地下鉄サリン事件:1995年3月20日に東京都心を走る電車内で猛毒のサリンがまかれた無差別テロ。松本智津夫(麻原彰晃)元死刑囚を教祖とする〈オウム真理教〉が計画・実行し、14人が死亡、約6300人が負傷した。
※3|酒鬼薔薇事件:神戸連続児童殺傷事件。1997年2〜5月、神戸市須磨区で、当時14歳だった中学3年の男子生徒が児童5人を襲い、うち2人を殺害した少年事件。
※4|災害ユートピア:レベッカ・ソルニットが提唱した概念で、大規模災害後の一時的な現象として、人々の善意が呼び覚まされ、理想郷的なコミュニティが形成される状態。
※5|ショック・ドクトリン:大惨事で国民がパニックになっている状態につけこんで実施される過激な市場原理主義改革。
※6|シラバス:授業の目的、到達目標、授業内容、授業方法、1年間の授業計画、成績評価方法などが書かれた授業計画。
窓辺のカウンター席から開放的な景色を臨め、手作りのケーキやヘルシーな軽食が楽しめます。
住所:〒186-0002 東京都国立市東1丁目6-24新プリンスビル 3階
営業時間:【月〜土】11:00〜15:30、17:30〜22:00【日】11:00〜17:00
定休日:火曜日
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illustration_Natsuki Kurachi text&Edit_Hinako Hase