恋愛のはじめ方がわからなくなってきた。 |松田青子エッセイ

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まつだ・あおこ/『おばちゃんたちのいるところ』がTIME誌の2020年の小説ベスト10に選出され、世界幻想文学大賞や日伊ことばの架け橋賞などを受賞。その他の著書に、小説『持続可能な魂の利用』『女が死ぬ』『男の子になりたかった女の子になりたかった女の子』(いずれも中央公論新社)、エッセイ『お砂糖ひとさじで』(PHP研究所)『自分で名付ける』(集英社文庫)など。
そもそも私に恋愛は必要だったのか?
今回は、「大人になってから」シリーズの後編である。
大人になってから、どう恋愛をはじめていいかわからなくなった、いつの間にかその筋力が衰えた、ということなのだけれど、これは私の周りでも同じようなことがしばしば語られており、私自身も今、これから恋愛をできるだろうかと考えると、できる気がしない。
ある程度の年齢になると、恋愛と呼ばれている感情は長続きしないと知っているし、科学的にも脳の働きとしてそう証明されているらしいし、恋愛にまつわることはいろいろめんどくさいことはすでにわかっているので、いい人に出会ったり、好きな人ができたりしたとしても、よほど相手からわかりやすい好意を提示されでもしない限りは、初期衝動でGO!みたいなエネルギーは湧きにくいだろう。
とはいえ、「恋愛体質」と自らを称す友人曰く、「ワンチャンいけるかもしれないなら行く」「断られても、そっかーとなるだけ」だそうで、あまりにも私と考え方と行動力が違うので、きらきらと話す彼女の姿が眩かった。
思うのだが、恋愛のはじめ方がわからない、筋力が衰えた、となる人は、そもそも恋愛がそんなに必要なかった人なのではないだろうか。

幼少期、そして十代と、自分が何から恋愛について学んだかと思い返せば、りぼんや別冊マーガレットなどの少女漫画誌や、テレビに映される全般からだった。
恋愛の先には、当たり前のように結婚や出産、家族といった道が続くことになっており、それらの価値観について深く考えずに、別冊マーガレットのページをめくりながら、私も恋愛とかしてみたい、と漠然と憧れたものだった。そして、実際の恋愛は少女漫画のようではまったくないことを、後でしみじみと理解することになった。
ある程度の年齢になった人は恋愛をするものだと、そしてその先に結婚や家族があり、そこまで進むと一人前の大人であるよと、ある意味そういった刷り込みが常に社会全体で行われている状態なんだと、ある頃、自分の抱く違和感の謎を解くために手に取った、社会学やフェミニズムの本を読んだりするうち、自分の経験と重ね合わせて、腑に落ちた。そうやって社会や国家が保たれてきたけれど、それはかなり雑な設計になっていて、そこからこぼれ落ちる人の多さは見ないことにされ、一人一人に合わせてカスタマイズできるものでもなかった。
現代社会で恋愛をするなら、どんなかたち?
そう考えると、恋愛はするもの、といった「当たり前」が社会に特にない場合、恋愛をする人はもっと少なかったのではないだろうか。誰かに恋愛感情や特別な感情も抱くこともあるし、その逆もあるし、どっちでも構わないです、みたいな距離感ならば、自分には相手がいないと焦ったり、結婚していないことを引け目に思わされたりすることもないだろう。
あと、相手がいればいいわけでもなく、社会的な「普通」の流れで恋愛し、そして結婚した結果、さまざまな理由で、大変な思いをしている人たちの言葉がSNSに溢れているのはご存知の通りだ。
何が言いたいかというと、恋愛は別に無理にしなくてもいいんじゃないか。
恋愛の仕方や筋力が衰えている間に、何か他のことにハマっていたり、充実した時間を過ごしていたりはしなかっただろうか。だとしたら、その充実した時間や何かを学んでいる時間のほうが、人生の中で大切だ。

正直、自分の経験上、過去の恋愛が今の私の役に立っているかといえばそうでもないし、極端に言えば、時間の無駄だったりもする。習い事や趣味のように、続けることで、自分の能力として身につくわけでもない。デートよりも、家で一人、配信ドラマを見ているほうが幸せな人だっている。恋愛は人生経験であり、他者との関係性を学べるとする向きもあるけれど、恋愛以外でもそれは学べるし、他者への思いやりや想像力を忘れなければいいだけだ。
現代社会で恋愛をするならば、自分にとっての優先順位とバランスを考えながらしたほうがいい。そんな冷静になっていたら恋愛にならないと思われるかもしれないけれど、恋愛や、その先の結婚をすればハッピーという世界じゃそもそもずっとないのだ。だったら、自分にとっての幸せを大切にしたほうがいい。
そして、「陽キャ」でいられない恋愛はしないほうがいい。性格が「陽キャ」ということではなく、恋愛をしている最中の心の方向性が、である。思い詰めたり、気に病んだりしない恋愛がいいよ、というか。
これは私が、韓国ドラマ『哲仁王后~俺がクイーン!?~』を見ている間に得た知見である。このドラマは、現代の大統領官邸の男性シェフが、ある事故によって時を超え、朝鮮時代の王妃の体に入ってしまうという、むちゃくちゃ勢いのあるファンタジー時代劇で、すでに伝説的に面白いとされている作品だ。
男性シェフが俺様気質なため、王妃もそうなってしまうのだが、このドラマ、恋愛で思い詰めたり、策を弄したり、相手の心を取り返そうとする登場人物はどんどん暗くなり、ダークサイドに堕ちたり、ダークサイドに落ちないために、慌てて宮廷から逃げ出し、自分を取り戻したりするので、見ていると、「恋は陽キャ一択で!」という気持ちになる。 身も蓋もないようだが、他者は自分の思い通りにならないので、恋愛も別に自分の思い通りにならない。それに自分がどれだけ時間と人生を割けるか、それは本当に必要なことなのか、時々自分自身と相談してみるのがいいかもしれない。よく考えたら、必要なかったりすることもあるから。
text_Aoko Matsuda illustration_Hashimotochan