聖地に向き合ったとき、人は何を想うのか。 作家・鈴木涼美、長崎の対馬へ。 LEARN 2023.01.06

朝鮮半島に最も近く、古代より大陸文化を伝え、貿易、国防の拠点として重要な役割を果たしてきた対馬。島内の神社は神社庁に登録されているだけで130社。海と山。荒々しい大自然のなか、古事記や日本書紀に記された神々と対馬の伝承に残る神々が交差する。作家・鈴木涼美さんが聖地に赴き、その土地のパワーや“気”を存分に浴びて、生まれてきたものとは。12月26日発売 1217号「開運聖地」特集からお届け。

神話と伝承の源流へ。

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PROLOGUE
静かに着陸したプロペラ機から降り立つとすぐに空港の愛称でもあるツシマヤマネコのパネルが出迎えてくれるのだけど、機窓から見た異様な地形に逸る気持ちで外に出た。韓国・釡山の夜景が見えるほど近いという以外に大した知識もなく近づいた約710平方キロメートルの島は、ほぼ全域でリアス海岸が発達し、山だらけの陸地と溺れ谷地形の入江はどこかおどろおどろしい。

まず訪れた鴨居瀬(かもいせ)の住吉神社は、海に面した鳥居が航海の拠点であったこの島の歴史を物語るのだが、聞けば対馬の神社の多くは山頂や海岸沿いにあり、なるほど次に訪れた和多都美神社の鳥居の二つは海の中に佇んでいる。大潮の満潮時には水面が拝殿近くまで上昇するようで、海神との距離はとても近い。

2日目は山から始まる。元は禁足地とされていた山を見上げる多久頭魂神社、境内の高御魂神社を奥に進めば島最大の楠の巨木が現れ、建造物を見るときとは違うある種の慄きがある。
最後に訪れた胡禄神社は鬱蒼とした山道を登った先にあるものの、海に向かう険しい階段に鳥居が並んで、それをくぐるうちに眼前は対馬海峡の大海原一色に染まる。海と山に向かう対馬の信仰を象徴するような場所だった。

SPECIAL ESSAY「行き場のない祈り」

神様がいるか否かにはあまり興味がない。見たことはないから存在を語る情熱はあるわけもなく、だからと言って絶対にいないと主張するほど強固な思想もない。ただ、誰かが神を信じる振る舞いには触れてみたいと思う。どういうときに人は神を必要とするのか、何に神を見ようとするのかを知ることは、人の怯えや恐れ、不安や願いを覗き見ることにほかならない。

隣国がすぐ先に見える場所に浮かぶ対馬は、その土地のうちに江戸時代の調査では455社、現在でも約200の神社がある、まさに神様だらけの島だ。古事記の伝える日本神話には対馬の神話や伝承をもとにしたらしき記述は多く、対馬の神社めぐりはタカミムスビや豊玉姫など聞き覚えのある神々の伝説に出会う旅でもある。

神の数を怯えや不安の数とするならば、この島は常に何かを恐れ、何かを願っていたことになる。実際にその地に降り立ってみると、少しだけ理由がわかる気がした。陸地の9割近くが山地であり、それも青葉繁るのどかな山ではなく全体的に岩だらけ、当然のことながら海に囲まれている。農耕地はたった1%で、周囲との交易のために航海術が発展、多くの大陸文化を日本列島に伝えた。

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雄大な山や海を見て心が洗われるのは、整備され安全な都会に住む者の論理であって、目の当たりにする自然は制御不可能で、人間の都合に合わせて構築されていない。ときに牙をむき、命を奪い、街すらも破壊する。WTOもTPPもない時代に、異文化の人々との交易がどれほど困難であったかも想像に難くない。険しい山の合間に暮らし、危険に満ちた海峡を航海し、異国の人々と交わる。 山岳や海神への信仰を必要としたとしても不思議はない。

神社は山の頂や海の迫る海岸線に多くあった。中央の政治にも影響を与えた占い術 「亀ト(きぼく)」の伝わる集落の多久頭魂神社のように、山を遠くから拝んだ様子が窺える場所もある。 禁足地とされた背景には、不幸な事故の影を感じずにはいられない。胡禄神社は道なき道のような山道を突っ切った先に、今度は海上まで一直線にくだる長い階段が現れる。眼前に広がる海に民たちの生々しい物語が浮かぶ。

神話を必要とした人々と同じ場所に立つと、何に怯え何を願うかは存外、今の私自身の願いと重なるような気もした。自分や愛する人の健やかな生を願い、自分の選択ではどうしようもない不運を恐れる。 神頼みなんて図々しいと考えがちだが、神を信じるときに人は自分の無力に最も自覚的なのかもしれない。行き場のない怒りを祈りとして捧げる。そうすることで何とか生き延びる。

この世は自分の意志ではどうしようもないことや言葉を尽くしても理解できないもので溢れている。 傲慢な私たちはそんなことすら忘れて自分の人生は自分で決めるなどと宣う。 和多都美神社の正面で水際の鳥居の下から海を眺め、今の中央の政治が占いで神に委ねられた決断に勝るとも思わないし、愛する人を幸福にする力において、原始的な信仰の中にあった人々より私の方が優れていることもないのだろうと、少し謙虚な気分になった。

作家・鈴木涼美
すずき・すずみ/1983年生まれ。社会学者・作家。東京大学大学院を修了後、日本経済新聞社記者を経て作家に。小説『ギフテッド』(文藝春秋)が第167回芥川賞候補作。新刊に『8cmヒールのニュースショー』(扶桑社)。

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