冷やされ忘れたマヨネーズ#06 カツカレー|小原 晩エッセイ
#06 カツカレー
カツカレーを食べたことがない。この場合のカツはチキンカツではなく、とんかつをさしている。
とんかつは王冠をかぶっているごはんであると思う。カレーライスも王冠をかぶっているごはんであると思う。どちらも、それ単体で最高潮にうまいのに、そんなふたつを同時に食べていいのだろうか、だめなのではないか、だってそれはあまりにもあまりあるのではないか、そんなものを覚えたらわたしは後戻りできないのではないか、まいにちまいにち狂ったようにカツカレーを食べてしまうのではないかと恐ろしくて食べたことがない。

しかしよくよく考えたら、別に、好きに食べたらいいじゃん、とも思う。食べたかったら食べたらいいじゃん。食べたくないなら食べなきゃいいじゃん。と思う。わたしはどっちだ。わたしはどれだ。とあらためて考えてみるが、わたしはわたしがどうしたいのかわからない。ほんとうにはなにを考えているのかわからない。
そんなことばっかりである。
どうしてそんなことをするの? と聞かれるたびに、わたしは理由づけを楽しんでいるだけで、ほんとうにそう思っているのかわからない。ほんとうはもっと哀しくて、よわよわしくて、控えめな気持ち由来の行動かもしれない。ほんとうはもっと楽観的で、つやつやとした、情にあふれた行動かもしれない。結局いくら考えようが近づいたり離れたりするだけで、それはわたしには判断がつかないけれど、もちろん他人に判断されるのは、なんとなくいやである。そうは言いながら、わたしは他人がわたしのことをどう思っているのかというのを知るのが、かなり好きである。それがたとえかなり的外れだとしても、そのひとからどう見えているのか、つまり他人がわたしをどう判断しているのか、知ることができると思うとわくわくする。
たとえば三者面談が好きだった。どれだけ自分にとっていやな先生でも、わたしのことをどう思っているのかは知りたかった。この子はきっとカツカレーが好きだと思いますよ、と先生がお母さんに言っていたら、どうしただろう。カツカレーなんて食いませんよ、と思うだろうけれど、そう見えているということを知れること自体にはやはりうっとりするような感じがある。他人の意識の中に、つまりは他人の生の中に、わたしがいる、いた、ということがうれしいのかもしれない。さびしいのかもしれない。わたしはずっとさびしいのかもしれない。他人を通してしか、わたしを感じられないのかもしれない。わたしというものが、ほんとうにはないのかもしれない。そんな人間がカツカレーを食べてもよいのだろうか。悩んでしまう。そして、悩んで、悩んで、やはり、わたしは、よいと思う。そんな人間こそカツカレーを食べるべきだと思う。無理やりにでも生きている実感を得ればいいと思う。なんでもありである。やれやれ、食え食え、思うのである。そうは言ってもまた今度機会があれば、食べてみようと、思うには思うようにはなったのである。

おばら・ばん 1996年、東京都生まれ。作家。2022年に自費出版でエッセイ集『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』(のちに商業出版)を刊行。その他の著書に『これが生活なのかしらん』。
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