“いいお母さん”を演じてしまう自分がもどかしい。芸人・なかさとみさんが乗り越えた出産、子育て、病気のこと

“いいお母さん”を演じてしまう自分がもどかしい。芸人・なかさとみさんが乗り越えた出産、子育て、病気のこと
私を生きる、ワタシの選択vol.11
“いいお母さん”を演じてしまう自分がもどかしい。芸人・なかさとみさんが乗り越えた出産、子育て、病気のこと
LEARN 2025.05.08
結婚や妊娠、家庭とひと口に言っても、その在り方は人それぞれ。“普通”とされる選択“じゃない方”がしっくりくる人だってたくさんいる。そして、そのどれもが正解であり、自分らしい生き方。カップル間でのコミュニケーションや心理学を学んでいる、工藤まおりさんが、そんなあらゆる価値観や選択を掬い上げ、言葉として綴ります。今回は、卵子提供という形で二人の子どもを出産した、なかさとみさんにインタビュー。

「結婚も出産も、あまり望んでいなかったんです」と話すのは、吉本芸人のなかさとみさん。

父親からの暴力・暴言を受けて育ったことが原因で、結婚や育児に憧れが見出せなかった彼女だったが、39歳で今のパートナーと結婚し、卵子提供という方法で45歳の時に長男を、48歳には次男を出産した。

卵子提供で子どもを産んだ理由と、育児中に発症したパニック障害について、彼女に話を聞いた。

Profile
なかさとみ
なかさとみ
吉本興業所属芸人

1971年生まれ。19歳の時に音楽活動を開始。その後、38歳でお笑い芸人へ転身。翌年の結婚をきっかけに、不妊治療をスタートさせる。2019年には日本で初となる当事者による卵子提供自助グループを発足。

結婚、妊娠のリミットを知った30代

──なかさんは結婚願望も子どもを持ちたいという想いもなかったとのことですが、なぜ結婚を決断されたのでしょうか。

「小さい頃に父親から受けた影響もあって、結婚願望はもちろん子どもも持たないって決めていたんです。ずっと一人で売れない芸人として、おばあちゃんになってもやっていくんだって決意してました。

でも、30代後半になって急に将来の自分の人生に不安が出てきて、結婚にすがりつきたくなったんです。当時、あと3年で40歳。若くもないし、芸人として売れてもないし、貯金もない。だから結婚くらいはしとかないと、と焦りがありました。そんな時に夫と出会って、結婚することになりました」

──結婚してから子どもが欲しいと思ったキッカケはなんでしょうか。

「最初は夫婦で子どもはいいかなと話していて、のんびり構えてたんです。でも、43歳の時に一度過去に手術していた子宮頸がんの細胞異型が再発してしまって。

このまま進行していけば、ゆくゆくは子宮を取ることになって、子どもを出産することができなくなるのかもしれないと考えると、怖くなりました。

それで、今から不妊治療を始めれば、自分の卵子と子宮で産めるかもしれないと思ったんです。でも、実際はその時にはもう間に合いませんでした。当時、女性の年齢の経過とともに卵子が老化するということを知らなかったんです」

──性教育で妊娠しないための授業はありますが、妊娠できなくなる可能性について知る機会ってなかなかないですよね。

「学生時代の性教育の授業では、生理避妊の話しかされませんでしたし、女性は37歳の時に、自分の持っている卵子の98%がなくなってしまうということも知りませんでした。

不妊治療クリニックに通ったのですが、卵子の老化が原因でなかなか妊娠できず。

4回目の移植で陰性が知らされた時、医師から『これ以上体外受精を繰り返しても、妊娠に至らないと思います。うちでの治療は今日で終わりです』と告げられました。それで、養子縁組をするか、卵子提供を考えるかの選択肢を提示されたんです」

子どもに苦労話を背負って欲しくない

──なぜ養子縁組ではなく、卵子提供をすることに決めたのですか。

「養子縁組が難しかったんです。44歳ということもあり年齢制限も際どかったですし、赤ちゃんとすぐにご縁があるかもわからないということで。

だったら卵子提供のほうが現実的かもしれないと思い、舵を切りました。それからすぐにエージェントを決めて、海外のドナーさんから卵子提供を受けて長男と次男を出産しました」

──卵子提供には子どもに対し真実告知の義務はないそうですが、告知についてはどう考えていますか。

「実は卵子提供を本格的に調べようと思った時、一番最初に出てきたのが告知をされずに苦しんだという、精子提供・卵子提供で生まれた子ども達のインタビュー記事でした。その記事には、危機的状況の時に突然告知されて、傷ついて、大変な思いをしてきたということが書いてありました。

自分もあまりいい家庭で育ってこなかったので、彼女たちの気持ちが痛いほど分かり、私は告知をしようと決めました」

──実際、お子さまにはどのように告知をされているのでしょうか。

「真実告知のタイミングで推奨されているのは2歳なので、その頃から始めましたが、絵本などで伝えるだけで最低最小限にしていました。

子どもは親の妊活苦労話を背負う必要なんてないのに、『告知の度に不妊治療が辛かったという話をされて、親の期待に応えなければとプレッシャーに感じた』という子どもの声もあるので、子どもが小さい時から、不妊治療での悲しい話をするのは控えようと思っています。

高校生くらいになると、他者を分別し、人の問題は背負わなくていいということが分かってくるので、その頃にタイミングがあれば話をしてもいいかなと思っています」

育児ノイローゼ、そしてパニック発作に

──なかさんご自身は、過去のトラウマを抱えた中での子育てはどうでしたか?

「長男が幼稚園に入るまではマタニティハイみたいな感じで頑張ってました。それは、絶対に親みたいにはならないって強い意識があったから。

でも長男が幼稚園に入ってから、お友達を叩いちゃうことがよくあって、毎日いろんなお母さんに頭を下げて、そのうち次男も生まれ、育児に追われ…だんだん育児ノイローゼっぽくなってしまいました。

部屋は汚い、いつもガミガミ言っている、なのにインタビューの依頼が来ると、卵子提供にいいイメージを持ってほしいという想いから、”いいお母さん”を演じてしまう。そして、加工された私の記事を読んだ人から「励まされました」とメッセージをいただく。素の自分と、取材で見せる自分がどんどんかけ離れていって、ある日、精神が壊れてパニック発作になってしまいました」

──頑張りすぎてしまったんですね。

「それで、私がやってることってなんだろうと疑問を感じるようになって。

振り返ってみると、私が運営している卵子提供自助グループの相談で、ご両親に関するトラウマを抱えている方が意外と多いんです。そういう方々の支えになりたいと思い、カウンセラーの勉強を始めました。

心理学などを勉強していくうちに、自分のことが客観的に見えるようになったからか、過去のトラウマが消えて、育児が楽になりました。“子どもを怒らない、大らかな理解のあるお母さんにならなければ”という思い込みが消えて、自然体でいられるようになりました

──どのように変わったのでしょうか。

「まず、病的な心配性が治りました。心が病んでた時は、心配性な自分がものすごく強くて、長男に対して何もかもが心配で、すぐに感情的に怒るという悪循環に陥っていました。

でも今では、怒るとき、怒らないときの判断ができるんです。

トラウマが消えるだけで、こんなに劇的に変わるんだなとびっくりしました。

子ども達に『ママって、どんな人?』って聞いたら『優しい』と答えてくれて。私は子ども達に優しくなれているんだと、心の平和がやっと訪れました」

──なかさんのように過去のトラウマが原因で、つい無理をしてしまう人は多いと思います。

「トラウマを持ってる人って、頑張り屋さんが多い気がします。

自分のことをほったらかしで、人のお世話をする人生を余儀なくされてきたから、頑張ることが当たり前なんです。

そんなに頑張る必要ないということに自分で気づけない方も多いので、その場合は、第三者が入って気づかせてあげることは大切だと思いました」

──親の心が疲弊していたら、子どもにも伝わってしまう場合があるかもしれないですよね

「親のメンタルヘルスは本当に大切だと思っています。

メンタルヘルスが優れない方は、カウンセリングでもいいし、支援を受けることを考えてみてほしいです。

どんなふうに子どもを持ったとしても、子どもの幸せが親にとっての一生分の宝。だからこそ、自分の心の健康にも向き合ってほしいなと思っています」

text_Maori Kudo photo_Wataru Kitao

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