ファッション業界から映画監督へ転職。どうやってなるの?かかった金額は?

ファッション業界から映画監督へ転職。どうやってなるの?かかった金額は?
LEARN 2025.04.04
「今の働き方のままでいいの?」「自分らしさってなんだろう」「新しいことに挑戦したいけど、何から始めていいのかわからない」。迷えるHanako世代に向けて、一歩を踏み出した先人たちの生の声を集めました。しなやかな生き方は、私たちの背中を押してくれるケーススタディになるはず。アパレル業界でのPRから映画監督・脚本家へと転身した穐山茉由さんを紹介します。
photo_Sana Kondo text_Marie Takada
profile
穐山茉由
映画監督・脚本家
あきやま・まゆ/ファッション業界で働きながら、映画制作を学ぶ。2018年に『月極オトコトモダチ』で長編監督デビュー。ドラマ『春になったら』では初めて連続ドラマの監督を務めた。
「死ぬ前にやってみたいリスト」がきっかけでした

2024年、長年働いていた会社を辞めるまで、アパレルPRと映画監督という二足の草鞋(わらじ)を履いていた穐山茉由さん。
「30歳を迎える前に、死ぬ前にやってみたいリストを作って、バンドを始めたり、カメラの学校に通ったりと、新しい文化に飛び込むのを楽しんでいたんです。その一環で、映画制作を学び始めたら思いの外自分に合っていて。周りの人と意見を出し合って、一つの作品を作り上げていく過程に魅了されました。集大成として撮影した修了制作『ギャルソンヌ ‒2つの性を持つ女‒』が「田辺・弁慶映画祭」に入選。そこから会社員兼映画監督としての活動を始めました。専業になったこれからは、この珍しいキャリアを積んできた自分にしか書けない物語を編みたい。小説にも挑戦したいです」

映画やドラマの脚本は細部まで読み込む。『映画の授業』は映画作りの参考文献。
スキルアップにいくらかかった?
「映画美学校の授業料は当時40万円ほどだったと思います。自主映画の制作費はおよそ350万円。映画監督は撮ったものを肩書きにするしかないので、自分で作品を撮るとなるとまとまったお金は必要」
映画監督・脚本家 穐山茉由さんのヒストリー
2005年 大学卒業後に就職するが、すぐに転職を経験。外資アパレルブランドのPRとして勤務する。
2015年 会社員として勤務をしながら、映画美学校で映画作りを学ぶ。
2018年 『月極オトコトモダチ』で監督デビュー。商業映画デビューも果たす。
2024年 いよいよ多忙になりアパレル会社を退職。専業映画監督として歩み始める。現在は次回作を考案中。