児玉雨子の「ひとくち分の街の記憶」#3「都会の地下に結び目」――着付けを習いに青山へ

みなさんは、何か習い事をしていますか。今までどんなことを習ってきましたか。
実はこう見えてお受験キッズだったので習い事キャリアスタートはちょっと早く、2歳ぐらいから電車に乗ってお受験対策塾に通っていた。お受験といっても英才教育を受けたというわけでもなく、たとえば綺麗に蝶々結びを作るとか、面接できちんと挨拶と自己紹介をするとか、言われたことを言われた順番にするとか、なんとなく周りの大人に教えてもらうことをカリキュラムとして「先生」から教わるものだ。それでも、子どもには優等生・劣等生の差がついてしまう。私は冬生まれで周りの子より発達が遅かったのもあるし、もともと手先が不器用なのもあって、母に蝶々結びの出来にため息をつかれたものだった。
そんな苦い思い出はありつつも、習い事は大好きだった。
これまでの習い事遍歴はというと、塾や予備校を除けばリトミック、英会話、ピアノ、水泳、ギター、日舞。これが多いか少ないかは読む人の判断に委ねるけれど、子どもの習い事としてはかなり鉄板ラインナップである自負がある。そろばんと習字があれば完璧だっただろう。
コロナ禍まっただなかの期間は、テキストと問題集を買って簿記とFPを取ってみた。現在はオンライン英会話と、語学学習アプリで気になった言語に少しだけ触れるくらい。語学は挫折も上達もしないペースでだらだらと続けている。昨今はオンライン講座も充実していて、時間の融通もきくし、教室に通うより安く上がる。
でも、なんか毎日が物足りない。教室に通いたい!
もちろんスキル取得や学習が目的だけど、習い事のたのしみは、教室という、いわば家庭でも仕事でもない第三の場所へ通うところにあるとおもうのだ。お受験塾に行くまでの電車の風景とか、ピアノ教室の前にある自販機に売っているバナナオレの味とか、そういうものがいちばん記憶に残っている。おもえば私は母校の同級生より、予備校で出会った他校の友達のほうが今も関係が続いている人が多い。やっぱり教室がいい。どこか何かないだろうか……。

そんなことを思いつつ漫然と過ごしていた早春。打ち合わせ帰りに入ったルノアールで作業していると、淡い水色の訪問着に金糸の帯を合わせた女性が隣に座った。テグスで吊られたように背筋が伸びていて、息を呑むようなオーラをばんばんに振り撒いている。先述のとおり、日舞をやっていたので着物との距離は近かったものの、いつも揃いの浴衣ばかり着ていたので、お出かけ用の着物を前にするとやっぱり緊張してしまう。その女性はケーキセットを堪能して私より早く席を立った。
その後もその女性を思い出してはうっとりする日々。次第に、インスタで着物を楽しんでいるひとのアカウントを目の保養として見るようになった。そうするとアルゴリズムが私を着物好きと認識したのか、どんどんおすすめ欄や広告に呉服屋の写真を載せるようになってくる。目の保養だった着物が、だんだん欲しくなってきてしまう――着付けだ、着付け教室に行こう! 一度ひらめいてからの行動は早く、ネットで教室を検索して、着物の販売勧誘をしないと評判だった青山にある着物教室に無料体験と入学希望の申し込みをした。

無料体験を受け入学手続きを済ませ、あっという間に初回レッスンの日がやってきた。
夜からの回はやはり仕事帰りのひとに人気だそうで、この日は十人近く参加していた。最初は自己紹介から始まる。参加者はほんとうにいろんな年齢、職業、国籍の方がいて、自分の手の届く範囲の中に閉じこもっていると出会えないひとたちが一堂に会している。これこれ、こういう空気。習い事って最高だ!
始めは道具の説明、着物の部位の名称、そして長襦袢を着るところまで。肌着や道具は生徒が事前に揃えて持参するのだが、今まで使い方を知らなかった「細い帯」や「きっとなんかに使う紐」と、漠然と認識していたものの用途を知るだけでも楽しい。ちなみに、私が「細い帯」だと思っていたものは伊達締めで、「きっとなんかに使う紐」は仮紐だった。どちらも浴衣ではなかなか使わない。
長襦袢を着る時間になり、十五年ぶりに所持していた和装道具を広げてみる。
まずは買い溜めていた足袋に久々に足を通そうとするが、なんと足首がむくんでいて一番下の爪が閉まらない。一番上の爪だけなんとか閉めて、なんのトラブルもないような素知らぬ顔で肌着を広げた。がっつり黄ばんでいる。そりゃいくら毎回洗濯していたといえ、踊りで汗をたくさんかいて、さらに十五年寝かせていた肌着がまっさらなわけがない。なぜ新しく買わなかったのか……と後悔しながら着替えて、汚い肌着を隠すためにすぐに二部式長襦袢の上を羽織る。体型や服装に敏感だった思春期の体育の着替えを思い出す。こんな「教室」の記憶は別に求めてない!
そして、さきほどの「細い帯」こと伊達締めを使う場面がやってきた。衣紋を抜いてきれいに衿を整えたら伊達締めを結ぶ。生徒同士、たがいに着姿を確認し合うのも楽しい。もうみんないい大人だから、恥ずかしがらずにどんどんコミュニケーションを取り合う。この上から着物を着てゆくのだが、初回授業はここで終了。最後に、次回予告として先生が「片わな結び」を教えてくれた。いろんな結び方があって正解はないのだが、この教室では片わな結びで教えるのだそう。先生の言うとおりに手を動かしているとあっという間に小さな結び目ができていて、子どものころのお受験塾で、初めて折り紙やあやとりを教わったときの感覚が、鼻の奥につーんとよみがえった。できそうにないと思ったことが、いつのまにかできている。私にもできることがまだまだあるんだ、という感覚を大人になっても感じることができるなんて。

初回を終え、あの瞬間を反芻しながら夜の青山から渋谷まで歩いた。南青山五丁目の交差点から渋谷駅までは、お受験塾の行き帰りに母のショッピングのお供をして歩いた記憶がぼんやりと残っている。
それにしても、私も都市部の出身だけど、やっぱり青山周辺を歩いているとちょっとうっとりしてしまう。渋谷のほうまで、街が色とりどりのビーズを散らしたように光っている。すれ違う青山学院の大学生たちは、日中にかいた汗の臭いを纏いながら、新しいバイトの話をして盛り上がっていた。

どこかに入って小一時間ほど復習したくなって、地図アプリで見つけた22時まで営業している「NOTE cafe」に駆け込んだ。大通りから一本入ったビルの地下にあって、秘密基地に入るようでドキドキする。平日の21時過ぎだったけれど、モノトーンで統一した店内には若い学生が数組いて、ジャズの流れる店内で彼・彼女たちはケーキをつつきながら同じゼミやサークルの話やマッチングアプリで出会ったひとの話をしていた。


サーモスに入ったつめたい抹茶ラテを飲みながら、教室で取ったメモを見直して道具や結び方をひとつひとつ調べ直す。店の雰囲気を壊すかな、でも音を立てているわけじゃないし迷惑はかけてはいない? と迷いつつ、腰紐を腰に巻きながら片わな結びをもう一度自分でやってみる。先生は復習しなくていい、教室に通えば自然と体が勝手に動くようになる、と言ってくれたけれど、私はそこまで器用じゃないので影でこっそり練習、略して影練をする。そういえば影練って、私は習い事きっかけでするようになった。習い事がたしかに三十年の歳月を結んでくれている。
大都会の地下で、小さな結び目を何度もほどいては結び直す。気づいたら周囲の学生客たちはいなくなっていて、閉店時間が迫っていた。

アイドルグループやTVアニメなどに作詞提供。著書に第169回芥川賞候補作『##NAME##』(河出書房新社)、『江戸POP道中膝栗毛』(集英社)等。17人の作家によるリレーエッセイ集『私の身体を生きる』(文藝春秋社)に参加。