SNSで増殖中の「意地悪そう」の謎

SNSで増殖中の「意地悪そう」の謎
自分の目で、世界を見たい Vol.18
SNSで増殖中の「意地悪そう」の謎
LEARN 2026.05.01
この社会で“当たり前”とされていること。制度や価値観、ブーム、表現にいたるまで、それって本当は“当たり前”なんかじゃなくって、時代や場所、文化…少しでも何かが違えば、きっと存在しなかった。情報が溢れ、強い言葉が支持を集めやすい今だからこそ、少し立ち止まって、それって本当? 誰かの小さな声を押し潰してない? 自分の心の声を無視していない? そんな視点で、世界を見ていきたい。本連載では、作家・翻訳家の松田青子さんが、日常の出来事を掬い上げ、丁寧に分解していきます。第18回は、SNSなどで目にすることが増えた「意地悪そう」について考えました。

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松田青子
松田青子
作家・翻訳家

まつだ・あおこ/『おばちゃんたちのいるところ』がTIME誌の2020年の小説ベスト10に選出され、世界幻想文学大賞や日伊ことばの架け橋賞などを受賞。その他の著書に、小説『持続可能な魂の利用』『女が死ぬ』『男の子になりたかった女の子になりたかった女の子』(いずれも中央公論新社)、エッセイ『お砂糖ひとさじで』(PHP研究所)『自分で名付ける』(集英社文庫)など。

「意地悪そう」は誰に向けられる?

SNSやYou Tubeなど、誰もがコメントを残せるような場所が一般的になってから、折に触れて目にする機会があり、特にこの数年、見る回数が増えている気がするのが、「意地悪」という言葉である。

中でも、最も謎なのが、「意地悪そう」だ。

タレントやあらゆるインフルエンサーに対して、「意地悪そう」とネットでコメントする人たちを見ると、それあかんことなんや、とまず思う。

「意地悪そう」とわざわざ書くのは、「意地悪そう」に見えることがネガティブなことで、当人にダメージを与えられるという前提があるからだと推測されるのだけど、「意地悪そう」という言葉には本来別に何の攻撃力もなくないか。なにしろ「そう」なんだから。

松田青子さんエッセイイラスト SNSなどで目にすることが増えた「意地悪そう」について考えました。

私の観測上、この「意地悪そう」は女性に向けられた言葉であることが多く、女性は優しく、穏やかに見えたほうがふさわしい、一般的だ、素敵だ、モテる、といった固定観念があるから、「悪口」として成立するのだろう。

大人気の女性美容家さんが離婚した際に、「性格のきつさが顔に出ています」とコメントしている人がいるのを見たことがあるのだが、これも根っこは同じで、「きつそう」だから、「女性らしさ」に欠けているから離婚に至ったのだろうと、会ったこともない人のことを決めつけていて、しかも当人が見る可能性の高いSNSのコメント欄に書くあんたのマインドよ。

たとえば、「意地悪そう」とか、「この場面で性格の悪さが出てた」などと書かれている人や場面を見て、私はその通りに感じたことがほとんどない。え、どこがそうだった?と、映像を文字通りに二度見してしまうことさえある。特に、コメントの鋭さやツッコミなどが面白さにつながるバラエティ要素が強い番組や動画などでは、そう求められていることもあるだろうから、それを見て「意地悪そう」とか言っている人たちは真面目に見過ぎではないか、一回考えてみなよ、と逆に心配になる。

「いい人そう」に見える“条件”

反対に、「いい人そう」な人への礼賛もあって、一つの番組や動画の中で、この人は「いい人そう」、この人は「意地悪そう」と選り分けるのが不思議だ。

「意地悪」に対する感度が高くなっているのは、ハラスメントやいじめなどの問題に厳しい社会になってきている証拠でもある。また、「品格」や「マナー」の流行が根付いたことも影響しているのではないか。

確かに、「品格」があり、「マナー」が身についた人は、理想的には「意地悪」をしなさそうだし、「意地悪そう」にも「きつそう」にも見えないだろう。ただ、その「品格」のある人に憧れたり、それを良しとするあまり、その価値観の中では「品格」や「マナー」がないと感じられる誰かに対してあからさまに批判的であることが正当化されすぎているようにも思う。

松田青子さんエッセイイラスト SNSなどで目にすることが増えた「意地悪そう」について考えました。

私は美容系やファッション系のYouTubeチャンネルを楽しく見ているのだが、ジャンル的に特にそうなのかもしれないけれど、「品格」や「マナー」に細かい人たちがコメント欄にちらほら生息している。

最近も、面白いので好きな美容家さんが友人と旅行を楽しんでいるだけの動画のコメント欄をふと見たら、「食事の際に、二人が髪の毛をベタベタベタベタ触るのが気になりました」といった趣旨の内容を嫌味めに書き込んでいる人がいて、私はまったく気がつかなかったので、上記のように二度見をしてみた。確かに、カフェでお茶をしている際に何度か髪に触れてはいるが、長い髪の人ならばそれぐらい触るんではないか、ぐらいのレベルで、これを「ベタベタベタベタ」触っていると受け取るのもすごいし、何より、楽しそうにしている人たちの会話を見ていて、気になるのそこなの!?と単純に驚いた。

仮に、「品格」や「マナー」に気を配り、いくら美しい所作を身につけたとしても、そして「意地悪そう」に見えない表情管理と発言を心がけていたとしても、この人は「品がない」「マナーがなっていない」と自分が判断した人たちに対して厳しかったり、それこそ(たとえネット上であったとしても)「意地悪」だったりしたら、それはもう「品格」も何もないだろう。箸の持ち方が“変わっている”人を嘲笑したり、苦手だと明言したりする人も少なくないけれど、私からするとそっちのほうが人としての「マナー」がないなと思う。他者を「意地悪そう」と勝手に思っているのはいいけれど、わざわざそれを目に見えるかたちで書き込んでいる人は、自身が「意地悪そう」を飛び越えて、「意地悪」の仲間入りしていることに気づいても良さそうなのに、気づく人はそもそも書き込まない。

人の所作や言葉の本質をうまく受け取れなくなってきた?

余談だが、私が「意地悪そう」が本当に馬鹿馬鹿しいと思うもう一つの理由は、私が実際に知っている「意地悪」な人たちが、誰も「意地悪そう」な人には見えないからだ。むしろ人気があったり、メディアでも活躍したりしている。生き方や性格が顔に出る、と名言のように言われるけれど、そんなこともない。

思うのは、「品格」や「マナー」、そして表面的にどう見えるかを重視するあまり、本質的な部分を受け取ることが下手になってしまっている人が実はたくさんいるのではないか。「汚い言葉づかい」にもどんどん敏感になっている風潮があるけれど、そこに気を取られすぎるとその「汚い言葉づかい」を使って誰かが伝えようとしている内容が理解できなくなったりもする。

今年の二月、総理大臣が開票特番で司会者に公約についてツッコまれ、「なんか意地悪やなあ」と答えたというニュースが話題になった際に、この人(たち)は、今のネットで培われている土壌を本当によくわかっているんだなあと私は感じ入った。相手を「意地悪」だと思わせることに成功すると、この人は総理大臣なのだから質問に答えて、国民を安心させる義務があるのだという「本質」よりも、総理大臣に対して「失礼」だったことのほうに気を取られる。そういう傾向が時間をかけて育まれているのは、やはり一つの事実だろう。

けれどやっぱり「本質」を大切にしたいのだ。

text_Aoko Matsuda illustration_Hashimotochan

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