きゃりーぱみゅぱみゅの大人なLADYになるわよコラム〜第67回 甘やかしはやめるわよ〜

第67回 甘やかしはやめるわよ
皆さま、ごきげんよう。「これほしいけど高いしな…」としょんぼりしている人を見るとついお金を出してしまう癖がある、きゃりーぱみゅぱみゅです。

原宿の買い与えおばさんです。
「いいのいいの、これ似合ってるし😉」
そう言って、お洋服とかを半ば強引に買ってあげることがよくあります。
毎年、お年玉とかもけっこうあげちゃったり、引っ越し祝いとして洗濯機のお金を出したこともあります。
もちろん相手はめっちゃ喜んでくれて、その顔を見て私もめっちゃうれしくなるんですけど、でもそのあとに、いつもだんだんモヤモヤが湧き上がってくるんですよね。
なんで今回も買っちゃったんだろう…?
相手のためにもならないよな…ハァ😮💨って。
これだと次会うときも「また買ってくれるかな?」と期待されるかもしれません。
そしてそれがいつしか当たり前になってしまうと、金銭感覚や人間関係に影響が出てくることだって余裕でありえます。
だけど私が買わないせいで、がっかりとまではいかないけど微妙にシュン…とされたら、それはそれで悲しすぎます。
そんな顔で私を見ないで~😭
私としては相手にはハッピーであってほしいし、てか、その服めっちゃ似合ってるし、それ着た姿を見てみたい!
で、結局、またお金を出してしまうという無限ループになってしまうんですよね…。
まあ、誰かから買えと言われているわけでもなく、買わざるをえない状況に追い込んでいるのは他ならぬ私自身なんですけど、2025年はこれをやめたいと思っています。

まじでこの癖っていったいなんなんですかね?
こういうことをやっちゃう人が、いわゆる“おぢ”なんですかね?
私は現実的な性格をしているせいなのか、自分のこととなると予算オーバーなものに対して「いいなあ~」という気持ちすら湧きません。
そもそも買えないので「これは論外」ってなります。
ところが他人の「ほしいけど高すぎるな~」には、「じゃ、買おっか?」と私の中の足長おじさんが出てきてしまうという…。
思えば、親友のボンちゃんがずっと探してたグミを私も探してゲットしてあげたりだとか、そうやってちっちゃいながらも誰かの夢を叶えてあげたい欲みたいなものは、昔からありました。
それが大人になって、ある程度のお金が自由になって、それを使って誰かの夢を叶えられるようになったわけなんですけど、でもそうなるとバランスや線引きが重要になってきます。
今の自分ができる相手のためになることと、やりすぎて逆に相手のためにならなくなってしまうことの見極めってやつですね。
私はまだそれが下手くそなのでいつも反省ばかりしていますし、「次会うときにまた買わないといけないよな…」と自分にプレッシャーをかけてしまいます。
ギャンブルにせよアルコールにせよセックスにせよ、やめたくてもやめられない状態にある依存症の人って、その行為をしたあとに猛反省すると聞きますが、その点は私も一緒。
ある意味、“甘やかし依存症”なのかもしれません。
先日、知り合いからこんな話を聞きました。
その人にはまだ小学生の甥っ子がいて、めっちゃ仲良しでしょっちゅう会ってるそうなんですけど、ある日、その甥っ子からLINEが送られてきました。
「お菓子買いたいから1000円PayPayで送ってほしい」
まあ、1000円くらいなら…とその人は送金しちゃったんですけど、これがよくなかった。
「お昼にパンを買いに来たから5000円PayPayで送って」とどんどんエスカレートしていって、悪質な送金詐欺みたいになってしまったんだそうです。
その人いわく、甥っ子を甘やかしすぎるとダメにしちゃうことはわかってる。
だけど、1人だけパンが食べられないでいる姿を想像すると、可哀想すぎて放っておけなくなるみたいです。
それに、もし甥っ子のおかんにチクったら、甥っ子がめちゃくちゃ怒られるのが目に見えてるし、せっかく築いてきた信頼関係が壊れるかもしれないしで、チクるわけにもいきません。
なので「ただただ自分が病むだけ…」と言ってました。

で、その話を聞いて面白いなと思ったのが、どうも今の子どもたちってお金の感覚が変わってきているっぽいんですよね。
私たちがちっちゃかった時代は子どもはまだ現金しかなくて、親からもらったお小遣いの500円玉を握りしめて、自分なりに計算しながらやりくりしていました。
でも今は、PayPayなどの電子マネーをパッと送ってもらって、さくっと買えちゃう時代なので、スマホのゲームで湯水のように課金してしまうし、配信者とかへの投げ銭も投げまくり。
“お金のありがたみ”という感覚が薄くなってるみたいなんです。
実際にこの前、マネージャーさんの小2の息子さんと一緒にゲームセンターへ行って、いい感じに甘やかしてたんですけど、UFOキャッチャーにハマって手持ちの小銭が秒で全部吸い込まれるという出来事がありました。
でもすっかり熱くなってしまった息子さんは、パパ(マネージャーさん)に持たされたお金を全投入したいと言い出して、本当に両替しようとしたので慌てて止めました。
こんな感じでゲームが楽しいとか、アイテムがほしいとか、そういう気持ちが手元にあるお金の価値を簡単に上回っちゃうんですよね。
私の子ども時代からすると、そんな今の子たちは軽いギャンブル依存症のようにすら見えてきます。
これが消費社会が行き着いた果てなのか…と思うと、薄っすら怖くなってきます。

そんなわけで、甘やかし。
明日の社会のために、私はやめます。
別に相手から「これ買ってください」とか「振り込んでください」と言われているわけではないので、私が払わなければいい、ただそれだけですからね。
「似合ってたけど、また今度でいいんじゃない?」
今年はこれを言えるようにしたいです。
お金のありがたみの感覚が薄くなっているのは、むしろ自分のほうなのでは?と戒めつつ。