母親になること/ならないことを考える。「産む気もない」ことと「母親になった後悔」、その共通性を巡る鼎談

もう知っている、経験している。さまざまな積み重ねを経て、そう感じる機会も増えてきつつある30代が、「性」にまつわる事柄をテーマに、多様な角度からあらためて眼差し、学び、考えてゆくための連載です。
ライター・コラムニストの月岡ツキさんが、「産む」と「産まない」の間にある揺らぎに向き合った『産む気もないのに生理かよ!』(飛鳥新社)。NHKの記者である髙橋歩唯さんとディレクターである依田真由美さんが、社会学者のオルナ・ドーナトによる『母親になって後悔してる』(新潮社)をきっかけに、母親になった後悔を抱えている人への取材を重ねた『母親になって後悔してる、といえたなら―語りはじめた日本の女性たち―』(新潮社)。
分断されてしまうことも多い、いまの社会の中で母親になること/ならないこと。「産む気もない」ことと「母親になった後悔」、その根本にある共通性を巡って、三名にお話しいただきました。

つきおか・つき。1993年長野県生まれ。大学卒業後、webメディア編集やネット番組企画制作に従事。現在は、会社員として週3日勤務しながら、ライター・コラムニストとして活動。DINKs(仮)として子どもを持たない選択について発信している。2024年12月に初のエッセイ集『産む気もないのに生理かよ!』(飛鳥新社)を出版。既婚子育て中の同僚と、Podcast番組『となりの芝生はソーブルー』を配信中。

たかはし・あい。1989年新潟県生まれ。2014年NHK入局。松山放送局、報道局社会部を経て、国際部記者。『母親になって後悔してる、といえたなら―語りはじめた日本の女性たち―』のきっかけとなったWEB特集「“言葉にしてはいけない思い?” 語り始めた母親たち」、クローズアップ現代「“母親の後悔” その向こうに何が」を執筆・制作。家族のかたちをテーマに取材。

よだ・まゆみ。1988年千葉県生まれ。2015年NHK入局。札幌放送局を経て、報道局社会番組部ディレクター。クローズアップ現代「“母親の後悔” その向こうに何が」のほか、同「ドキュメント “ジェンダーギャップ解消”のまち 理想と現実」、BSスペシャル「再出発の町 少年と町の人たちの8か月」などを制作。若者やジェンダーの問題を中心に取材。
──皆さんがそれぞれのテーマと深く向き合い始めたきっかけを伺えますか?
月岡:もともと、結婚や出産に前向きになれないところがあったんです。自分の母親や、社会の中での女の人の扱いを目の当たりにするなかで、なにかが間違っているんじゃないかという実感がありました。いまの夫と出会って結婚することになったあと、出産するかどうかを自分事として考えてみたときに、少なくとも「産む」ことは私にとって、おいそれと踏み出せるものではありませんでした。

依田:私も母親を見ていて大変だなと感じていたし、「産まなければよかった」と言っているのを聞いたこともありました。『母親になって後悔してる』を読んで、母親は子どものために自分を犠牲にするものだというロールモデルしか知らなかったけれど、日本にも同じような気持ちを持っている人がいるのではないかと思って、取材を始めることにしたんです。

髙橋:30代になってから、子どもを産まないのか聞かれる機会が増えたなかで、まだ日本語訳が出る前の『母親になって後悔してる』を見つけて、同じ疑問を持って研究する人がいたことに、救われた思いでした。なぜ母親でもないのに、一生懸命このテーマを取材するのか聞かれることがありますが、これは私にとっては本当に自分事で、もしかしたら自分の将来の姿かもしれないし、選ばなかったけれど、自分に起こったかもしれない可能性の話だと思っています。

──皆さんの本を読んでいるなかでまず気になったのが、母親という立場であることとアイデンティティの関係でした。
依田:取材を行ってきたなかで、それまで一生懸命に自分の人生を積み重ねてきた方が、母親になったことでチャラにされて、子どもを育てることが一番だと、個人の幸せと義務を決めつけられてしまうことに辛さを感じましたし、それを強いているのは、子どもではないと思うんです。
髙橋:「誰々ちゃんのお母さん」と呼ばれるなかで、自分がもともとどんな人間だったのかわからなくなっていった方たちのお話を伺って、それほどまでに自分を消して子どものために尽くすように、お母さんたちが日々求められ続けてきたことをあらためて感じましたし、周りもそれを当然のこととして、残酷さを感じない状況に追いやっている環境があると思いました。
月岡:父親は「誰々ちゃんのパパ」になるシーンはあるかもしれないけれど、アイデンティティのすべてが「誰々ちゃんのパパ」にジャックされることはあまりないような気がします。
髙橋:あと子育てしているお父さんは「素敵」って褒められますよね。
月岡:私も育休を取った男性に「立派ですね」と言ったことがあって。自分の中にも、女性が育休を取るのは普通で、男性が育休を取るのはすごいこと、というバイアスがあるんだと思います。難しいなと思うのが、母親になったことで、「自分の力だけで自己実現をするレースから下りられて、肩の荷が下りた」という人も身近にいる、という点です。何者かになれ、成功して輝かなければ、という圧のある社会だから、そう感じるのも当然だと思います。
同時に、「仕事が得意じゃないなら子育てしなきゃ」とか「産まないなら仕事を頑張るんだね」という空気もあるような気はして。産むか、働くかしていないと社会に受け入れられづらい状況が、そもそも変だなと思います。たとえ、わかりやすく社会に貢献するような生き方ではなくても肩身が狭くない世の中だったら、そもそもアイデンティティがそんなに揺らがなくて済むと思うんです。
髙橋:母親にならない人の像としても、産みたいのに産めなくて悲しい思いをした人か、絶対に成し遂げたい仕事があるから諦めた人、そのどちらかにしか触れる機会があまりなかったですよね。

──なにかしらの形で「役に立て」というプレッシャーは強くあるように思います。
月岡:「子どもは将来納税して社会を支えるから、子育てしている人を優遇すべき」というような意見があります。介護が必要な人や、病気や障害がある人をサポートすることと同じで、子どもや子育てが大変な人を社会が支えるのは当然です。でも「将来納税して役に立つ」ことを根拠にすると「じゃあ役に立たない子は支えなくていいんですか?」という理屈が成り立ってしまうので、そのロジックは怖いと感じます。
髙橋:役に立たなくてもいいということと同時に、役に立ち方って、産むことだけではないとも思うんです。月岡さんが本の中で、途上国や紛争地帯の子どもを支援する機関に毎月寄付をされていると書かれていましたが、それも一つの支え方だし、たとえば養子縁組や里親など、それぞれのやり方があると思います。
月岡:ただ、子どもを産まないことを免罪されたいから、寄付していると思われるのは嫌なんですよね。
髙橋:そうなんです……! 私も寄付をしているけれど、人に言ったことがなかったのは、子どもがいないから代わりに寄付をしていると思われてしまうと、それは違うからです。
月岡:子育て中の友達に、「私は産まない代わりに納税頑張るよ」と軽口みたいに言ったことがあるけれど、そうやってエクスキューズしなきゃいけないのもおかしいですよね。それと私が寄付しているのは、またちょっと別の感情で、ほんの少しでも誰かの役に立っている実感が、自分のためになっているところがあるからです。

──「役に立て」と要請されてなにかをせざるを得ないことと、「なにかできることがあるかもしれない」と自主的に行動を起こすのは全然違いますよね。
依田:それでいうと、母親というのはまさに「これをやりなさい」「こうありなさい」と要請されている感じがします。
髙橋:月岡さんが書かれていた子どもを持たない理由が、私たちが取材したお母さんたちに起きていることとほぼ一緒で、驚きました。一方で、産んでみて初めて、自分に合っているか気づく人もいるし、それが多くの人にとって普通だと思うんです。「もっと自分が考えていれば」とおっしゃる方がいるのですが、そこで自分を責めないでほしいなと思います。
月岡:そもそも、産むか産まないかをイーブンに選択できる社会になっていないですよね。学校の性教育では「将来お母さんになるために生理がある」と教わるし、低用量ピルの入手方法なども平等に教えられていないから、子どもを産んで育てるしかなかった人が同世代でも身近にいます。「あなたが選んだことでしょ」と言える世の中ではまだ全然ないと思います。私の本を読んで「自分は深く考えずに産んじゃった」という友達もいるけれど、あなたは悪くないと言いたいです。

──いまは一見自由に生き方を選択できるようだからこそ、選んだ結果が自己責任として重くのしかかってくるような状況があると感じます。
髙橋:本当に選択肢が開かれていたかを考えたときに、「産んで大変なこともあるけどなんだかんだなんとかなるし、私は満足してる」という話しかこれまで出てこなかったにも関わらず、「個々人が選択した」としてしまうのは、ちょっとずるいと思うんです。
依田:最初にこのテーマで取材した記事を出すときに、「少子化を助長するんじゃないか」という声もあったのですが、そうではなくて、そもそも選択するための材料があまりにも少ないと思います。

月岡:『母親になって後悔してる』の中で「想像力の植民地化」という言葉が紹介されていましたが、「なんとなくそれを選ばざるを得ないような感じに誘導されていく状態」を表す言葉として、言い得て妙だなと思いました。
依田:今回調査したお母さんたちに、「どんなことを変える必要があるか」と質問したときに、「社会やパートナーの変化」というような答えが多いのではないかと想像していたのですが、自分自身という答えが最も多かったんです。こんなに頑張って苦しんでいるのに、まだ自分を責めて、変わらなければいけないと思っていることが、衝撃的でした。だから社会のせいにしていいよ、と言いたいなとは思います。
髙橋:私たちが取材したなかには「子どものファンになろう」「マネージャーになろう」といった気持ちの転換で、子育てを乗り切ったお母さんたちがいて、個人の意識や考えのレベルでは素晴らしいことだと思うんです。一方で、本当に問題が解決しているかというとそうではないから、社会がその頑張りや工夫にフリーライドしないでほしいなと思いますね。

月岡:法律や制度の見直し、ジェンダー平等への意識が高まっていくことなど、本当に複合的な変化が必要だと思います。結局「母性」みたいなものへ過度な期待を抱いているからこそ、私自身、母親にならないことをネガティブに感じていた部分があって。でもその期待こそが、みんなを苦しめていることに気づいたんです。こういう話って、ネガティブで深刻な雰囲気で語らなければいけないような空気もある気がするけれど、母親にならないことを申し訳なさそうなトーンで吐露しなきゃいけないのも変だから、私はこのまま明るくいきたいと思います。
依田:私はこのテーマの取材中に子どもを産んだのですが、子どもを産んでも「母親」にならなくてもいいんだと、取材した皆さんに教えてもらって、子どもを育てるうえでも、背負う必要がないはずの期待と保護者としての責任を自分の中で仕分けしながら、やっていきたいです。
髙橋:母親にならないことを、ごく普通に言えて、特別な動機を持って受け止められない社会になればいいですよね。母親になった人たちの苦しみも、昔と比べれば言いやすくなったかもしれないけれど、「言えない」と感じている人もまだたくさんいると思うんです。見たくないかもしれない嫌な気持ちや出来事を表に出していくことで、みんなで共に考えていけたらと思います。


産む気もないのに生理かよ!

母親になって後悔してる、といえたなら―語りはじめた日本の女性たち―
text_Yuri Matsui photo_Momoka Omote edit_Kei Kawaura