母と娘、結婚、出産ーー日本と韓国の女性の生き方について「わたしたちは後戻りしない」


1981年ソウル生まれ。2013年に『大邱の夜、ソウルの夜』の第1部となる『大邱の夜』を発表。ほか代表作に『자꾸 생각나(何度も思い出す)』(ミメシス、2015)などがある。

1964年東京生まれ。東京・江東区森下でグラフィックノベルと古書を扱う書店「BSE」主宰。
母と娘、その複雑怪奇なる関係。
町山 「なりたい自分」につかない折り合いをつけながら都会で働き、結婚し、生活を続けていく2人の女性。家族と社会の間で葛藤する彼女たちの姿に多くの日本の女性たちが、「これは自分の物語だ」と共感しました。女性ゆえの人生の選択、男女の関係というあたりももちろんですが、「母と娘の物語」として「あ、この感じよく知ってる!」があったのは、わたしもそうです。たとえば、大邱(テグ)という保守的な地方都市で育ったコンジュの、そのお母さん。口では「わたしのようにならないで」と言いながら、自分のルールを娘に押しつけてしまう。「娘は娘で好きなように生きればいい」と承知しつつも、「娘と自分はまったく別の人格」と思うことができていない矛盾。実際、わたしと自分の母の関係にオーバーラップさせたりもしました。

ソン 母に対して複雑な思いを抱く娘は、わたしの周りでもたくさんいるし、韓国では、「娘は母親の感情のゴミ箱」なんて言われたりもするんです。ただ、わたしと母の関係性はそうではなく、どちらかというと姉と母にそういう感じがあったんですが、コンジュのライフストーリーについては、わたしの友人の話がベースになっています。物語に登場するコンジュは、子供の頃は、彼女自身がおばあちゃん子だったこともあり、嫁姑の仲が悪いのはお母さんに非があると思っていたし、お父さんとケンカするお母さんをイヤだと思っていたり。でも、だんだんと大人になり、家を出て自活し、母とはまったく別人格の存在になることで、最終的にコンジュはお母さんのことを理解した、とわたしは思っているんです。
町山 「娘は母親の感情のゴミ箱」で彷彿したのが、『フォー・ドーターズ』というチュニジアの女性監督の映画。実際の出来事を当事者本人たちが再現する異色のドキュメンタリーで、シングルマザーのお母さんと娘たちの話なんです。4人の娘のうち2人がIS、イスラム国に入ってしまった。それはなぜかを追っていくと、お母さんは親が決めた結婚相手を殴って初夜を拒むような反抗する女性だったのに、いざ自分が親になると娘たちに対し、もっと男に従え、社会に従えと押さえつけるようになってしまった。娘たちは矛盾を感じるようになり、お母さんの圧に対抗するため、より過激な宗教の規範を求めたのかも、っていうのがわかってくる。お母さんは自分の母親を嫌っていたはずなのに、同じになってた。母と娘のコピーの問題ってすごくあるなと。
ソン 結局、娘って家の中で支配されてしまいがちなんですよね。韓国では、そこから逃げ出すには結婚しかないという時代が昔はあって。もちろんいまは、社会に出て独立する方法があります。とはいえ、今も昔も、女たちはどんな時代にあっても、「脱出しなきゃ」と思ってるんです。「家」からも「社会」からも、そして「結婚」からも。

結婚なんてしたくないと抵抗した女性たち。
町山 昭和の日本で『想い出づくり。』(山田太一脚本)というドラマが人気を集め、当時高校生だったわたしも毎週欠かさず観ていました。20代の3人の女性たちが主人公で、それぞれ自分の思うように自由に生きたいと思いつつ、「結婚しろ」と親や社会から迫られ葛藤する、という物語。当時日本では、「女はクリスマスケーキ。25歳までに結婚しないと価値がなくなる」なんて言われていて。

ソン ああ、クリスマスケーキの譬えは韓国でも一緒。いまそれを言うとSNSで大炎上しちゃうけど(笑)。
町山 いまだと「コンプラ違反!」ってなりますよね。でも、当時はそういうものだと女性自身も思わされていた。だからこそ、ドラマの3人の女の子たちは「結婚」から逃げようとするんです。で、1人がどうしても結婚しなきゃいけなくなったときに、ほかの2人が披露宴会場でバリケードを作り、「絶対に結婚させない!」って抵抗するのがクライマックス。ドラマは1981年に放送されたものなんですが。
ソン へえ〜! 81年はわたしが生まれた年ですが、その頃にそんなドラマが日本で放送されていたのはちょっと驚き。当時の韓国ドラマといえば、農村に嫁に行ったら夫と舅姑のためにご飯を作って殴られる、みたいな話ばっかりでしたから(笑)。
町山 そんなドラマが作られてた日本でも、女性たちが世の中での存在感を増したのは、社会運動とかが起こったからではなく、経済的な要請でした。マーケティングの成果というか。わたしは83年にテレビ業界に入ったので、そういったことをつぶさに見てきたんですが、若い女性をテレビ局が視聴者のボリュームゾーンだと認識したのは、スポンサーがモノを買ってほしい対象として強く意識するようになったからなんです。それが80年代初頭のこと。男女雇用均等法が施行されたのがその後の86年なので、女性はまず先に消費者として認められたんです。もちろん、経済がどんどん上向きになっていた時代だったというのも大きかった。とはいえ、それから40数年を経て、社会における女性の地位が向上したのかといえば、消費者として重視される度合いが増しただけで、結局なにも変わってないんです。
わたしたちは後戻りしない。
町山 韓国では10年ほど前にフェミニズム運動が盛んになりましたよね。
ソン MERS、中東呼吸器症候群という感染症が流行し始めたときに、女性のせいにされた出来事があって。性のダブルスタンダード(女性蔑視)とミソジニー(女性嫌悪)に対してみんなが声を上げるようになったんです。そして、その差別の構造や暴力性、問題の深刻さを男性たちに気づかせるために「ミラーリング運動」が行われるようになったんです。それはなにかというと、男性からの差別的な言動をそのまま鏡のように映して返す戦略です。たとえば、「美人じゃない」と言われれば「あなたも不細工だ」、「胸がない」と言われたら「あなたも足が短い」みたいな感じで返すのです。
町山 「オマエもな」っていう(笑)。
ソン でも、そういった手段を執ることで、それまでわたしたちがされてきたレベルの低いことを、なぜわたしたちがしなくちゃいけないのか、そう思った女性たちはたくさんいたし、わたしもそう思いました。
町山 ただ言う側と言われる側を裏返しにしただけだと構造は何も変わらないから繰り返されていくだけですもんね。

ソン しかも、男性たちがそれで意外とダメージを受けたんです。侮辱感が強かったんでしょうね。それを「発射ボタン」と女性たちは呼ぶようになって。いじると爆発するって(笑)。なので、男たちに対してそんなことをするのは意味がないと、わたしたちはわかったし、結果、女性たちを「連帯」させることにもつながっていったわけです。
町山 日本では、運動は一部の人のものと思われがちで、なかなかその外側に染み渡らないのですが、韓国ではもっと日常に密着して盛り上がっている感じがありますよね。でもいま、アメリカでは、トランプとイーロン・マスクが、DEI、多様性(ダイバーシティ)・公平性(エクイティ)・包括性(インクルージョン)は全部ゴミ箱行きだと言い始めている。DEIは、日本では企業のイメージづくりが主導になってる面があって、アメリカの政策次第、大企業や大富豪の出方次第でガラッと変わる可能性は大いにあるから、日本はいま危ういのかもしれないと思っているのですが。
ソン 韓国も大きな国がそんなふうに変わると無視して進むことはできないとは思います。でもわたしたちは、「行動することの大切さ」を10年前に気づき、ルッキズムに左右されないことが大きな力になるし、生きやすくなる、ということもわかった。だから、「ここまで進んだからには、後戻りはできない」と思っているし、トランプやイーロンが何を言おうと、それに服従しない人たちが大多数であるはず。韓国社会は激変しないとわたしは思っているんです。
町山 日本は変化のスピードが良くも悪くも韓国に比べると遅いですからねえ(笑)。
ソン 変化を一気に推し進める方法は、結婚しないことだと実は思ってて。わたしは結婚しちゃったし、結婚しないって叫びながら結婚した人もたくさんいる。それが間違った選択だったとは思いません。でも、確実なのは、女たちが結婚と出産を拒否し始めたことを男たちがめちゃめちゃ怖がっている、ということなんです。10年ほど前に描いた『大邱の夜、ソウルの夜』の女性たちは割り切れないものを抱えながら結婚しましたが、もしいま描くとするならば、コンジュは結婚させないと思いますね(笑)。


エディター志望のコンジュと、イラストレーターのホンヨン。男なんてまっぴらだと言っていたホンヨンはある日できちゃった婚をし、一方コンジュはソウルでの生活に見切りをつけ実家のある大邱へ戻ることになるーー。家族と社会と絶え間なく葛藤し、器用に折り合いをつけられない女たちの友情物語。日本版タイトルは町山広美さんが解題。フランソワ・トリュフォー監督の映画『アメリカの夜』へのオマージュだとか。
著者ソン・アラムさん来日イベント実施中!
3月2日(日)東京
3月4日(火)東京
3月5日(水)大阪
3月6日(木)大阪
3月7日(金)香川
3月9日(日)福岡
詳細は出版社「ころから」HPをチェック。