今のあなたにピッタリなのは? 平野紗季子さんのために選んだ一冊とは/木村綾子の『あなたに効く本、処方します。』 LEARN 2020.08.05

さまざまな業界で活躍する「働く女性」に、今のその人に寄り添う一冊を処方していくこちらの連載。今回のゲストは、先月、『私は散歩とごはんが好き(犬かよ)。』を発売された、フードエッセイストの平野紗季子さん。散歩やごはんのことはもちろん、執筆や写真、街のセレクトについてなど、わたくし木村が気になったことを、根掘り葉掘り伺ってまいりました。

今回のゲストは、フードエッセイストの平野紗季子さん。

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2016年から約4年にわたり、Hanakoの巻末連載『私は散歩とごはんが好き(犬かよ)。』を担当。今年7月には、今までの連載を一冊にまとめたムック本(通称、“犬かよ本”)を発売されました。

話題は、7月に発売された“犬かよ本”について。

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木村綾子(以下、木村)「いつぶり?どこぶり!?とにかく久しぶり‼(笑)まずはお祝いだね!“犬かよ本”刊行おめでとう〜!」
平野紗季子さん(以下、平野)「ひゃ〜、ありがとうございます!」
木村「デビュー作の『生まれた時からアルデンテ』が2014年刊行で、その刊行記念イベントを私の前職「本屋B&B」で企画させてもらったんだよね。デビュー以降、連載も引く手あまたでずーっと書き続けてる印象があったから、6年ぶりの新刊ってことにも驚いたけど…。いやそれよりサイズ!(笑)」
平野「あはは〜。大きいですよね(笑)。まったく、変な一冊ができあがりました」
木村「実は私、発売日に本屋さんに行ったのよ。でも「食」のコーナー探してもなくて、帰り際に雑誌コーナー通ったら平積みされてて。想像してたサイズとも違うし、置いてある場所想定外だしで、「えっ」て思わず声出ちゃった(笑)」
平野「そうなんです。これムックの形態で出版しているので。だからコンビニで出会うこともあります。あと、ペットコーナーに紛れてたよって教えてくれる人もいて(笑)。発売早々、色んな人を戸惑わせているかもです」
木村「いいねいいね!(笑) “食べることは自由である”っていうのを、紗季子ちゃんの文章を読むたび感じてきたけど、今回の本では、文章だけじゃなくて、デザインやページレイアウトや造本や、本当に細かいディテールまで平野紗季子が爆発してるよね。最高に自由で偏狂でキュートでパンクで厄介な。…あ、褒めてます!(笑)」

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木村「どういう経緯でこういう本ができあがったの?」
平野「4年前くらいにHanakoの巻末で散歩と食の連載をさせていただくことになったのですが、その時に決めたことは“Hanakoの特集では紹介されそなそうな街を中心に歩くこと“と、“デザインを服部一成さんにお願いする“ことだけで。あとは自由。だから内容も文字数も写真の枚数も全部が完全にフリーで(笑)。私が原稿と写真を送ると服部さんが毎回異なるレイアウトで組んでくださる。並行して編集担当の方がお店に掲載許可取りをしてくださって、ページが出来上がる、みたいな」
木村「通常の雑誌の作り方とは真逆の作業だ。散歩の行き先も毎回自分で決めてたの?」
平野「はい。私の独断と偏見で「次は勝どきに行ってきます!」みたいに編集部にメールして、散歩へと繰り出してました。1人で行って、1人で歩いて、1人で食べて、1人で撮ってっていう…。側から見たら、ただの徘徊している人みたいだったと思います(笑)」
木村「徘徊感、にじみ出てるよ!(笑)紗季子ちゃんの視線がどう動いてどこで止まったかがわかって、読んでて楽しいんだよね。あとさ、見開きにデザインされた写真と言葉のコラージュが、そのまま街の表情になってるようにも思えるの。どの街も全然違う。そんな当たり前のことに、改めて気付かされたなぁ。いいチームでのお仕事だったんだね」
平野「それはうれしいです!本にするに当たって大事にしたのは、連載ごとのセッション感をそのまま活かすことでした。単行本のサイズに変えることで、服部さんのデザインを崩したくなくて。あと、4年の間に移転や閉店してしまったお店もそのまま掲載させてもらえるようお願いしました」
木村「紗季子ちゃんの個人的な4年間の街歩きの記録が、同時に日本の文化の記録にもなってるよね。2020年7月。本当だったら東京オリンピックが開幕していて、でも現実はコロナへの不安に街が緊迫していて…っていう今、この本が誕生したことにも意味があると思う。あとさ、あとさ…。って大丈夫?私ばっかりしゃべってない?(笑)」
平野「大丈夫です!(笑)」
木村「やっぱり紗季子ちゃんの文章が素晴らしくて、「人のお散歩におじゃましま〜す」みたいなのんびりした気持ちで読んでると、ときどきピシャリと頬を叩かれるような表現に出くわすの。「ここに店を開くのだ。駒沢公園通り」にある〈SNOW SHOVELING〉の紹介のところに、『本を読む行為は希望である反面、呪いでもある。』っていう一文があったんだけど。あの不意打ちは痺れたなぁ。こういう表現に出会えた時って、日本語を読めて幸せだなって思える瞬間でもあるんだよね」
平野「わ〜、それをこの本から見出してくださって嬉しい限りです…!」

エピソードその1「写真にはあまりこだわりがないんですよね」

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木村「紗季子ちゃんは、文章はもちろんなんだけど、写真も本当に上手だよね。食べ物を手にとってさ、こうやって引いて撮るのとかってすごく独特だと思うの。あれはもう完全に“紗季子撮り”だよね!」
平野「“紗季子撮り”(笑)」
木村「私もあんなふうに撮りたいなぁって真似してみたことあったけど、全然できなかった(笑)。だれか影響を受けているカメラマンさんとかいたりするの?」
平野「いやあ写真にはあんまりこだわりがないですね(笑)」
木村「わ、意外!じゃあなんで食べ終わったお皿さえ、あんな素敵に撮れちゃうの!?」
平野「(笑)。うーん、でも、いいお店だと自然と食べ終わりのお皿も美しくなるんですよね」

処方した本は…『ここは東京』&『窓の外を見てください』(ともに片岡義男)

木村「片岡さんは、大学在学中からエッセイやコラムを雑誌に寄稿されていて、作家としての成長期には、ちょうど創刊されたばかりの『POPEYE』や『BRUTUS』にも深く関わっていた方なんだ。紗季子ちゃんと同じく、マガジンハウスから愛される作家さんだね。で、まず紹介したいのは片岡さんの撮る写真なの。『ここは東京』っていう写真集には、どこにでもありそうな街の風景が収められてるんだけど、どの写真からも、「自分はこう見た」っていう視線が伝わってくるというか…。紗季子ちゃんの撮る写真にも通じるものがある気がして」
平野「本当だ!僭越ながら、ところどころに平野イズムを感じます(笑)」
木村「そうでしょう!さらに言うとね、私は片岡さんのタイトルの付け方や食の表現も大好きで、たとえば作者名を隠して言葉だけポンって目の前に置かれても、「これは片岡義男です」って言い当てられる自信さえあるくらい(笑)」
平野「この本、『窓の外を見てください』の第一章のタイトルも「ラプソディック担々麺」って!もう好きです」
木村「食の表現でいうとね、この本の中には鉄火巻きの食べ方について議論するシーンがあるんだけど。「醤油に対して鉄火巻きが斜めに接近していく」っていう書き方をされているの。“接近”だよ、“接近”!」
平野「うわ〜。なんだか自分が醤油皿にいて鉄火巻きが宇宙船みたいに迫ってくるイメージが浮かびました(笑)それにしても瞬間を引き伸ばす感じというか、何気なく過ぎてしまう一瞬にフォーカスしているのが素敵です」
木村「片岡さんは、例えば小説の中で、冷蔵庫を開ける描写を書いたとしたら、ちゃんと閉める締める描写まで書かないと、気持ち悪くて物語を先に進められないっていうような方なの」
平野「ああ、徹底的にリアルなんですね。…あ、さっきの鉄火巻きのシーン見つけました。「丸い小さな皿の、ほぼ垂直に立った縁に、鉄火巻きを斜めに当ててから、醤油に向けて鉄火巻きをさらに下げればいい」」
木村「その後も見て。「皿にある醤油のまんなかに鉄火巻きを垂直に降ろしてはいけない」「醤油がたくさんついてしまうからですか」「そのとおりだね」だって。なんか科学の実験みたいじゃない?(笑)」
平野「鉄火巻きの醤油との接地面一つでどこまでも真面目に話してる感じがシュールで面白いですね。ちょっとこの人とお寿司は食べたくないですが(笑)。」

エピソードその2「聖書のように大切にしています」

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木村「今さ、片岡義男さんのタイトルの付け方や表現に反応してくれて思ったんだけど。紗季子ちゃんのタイトルの付け方もかなり特徴的だよね? 今回改めて『生まれた時からアルデンテ』を読み返してきたけど、「戦争を始めるフルーツサンド」「冷蔵庫、いつもは真っ暗なんだと思うと寂しい」「脳みそのおしるこ味」とか、タイトルだけで惹きつけられるものが多かったし、今回の『犬かよ本』も、街ごとに付けているキャプションを見ただけで、「え、どういうこと!?」って、実際にその街を歩いて確かめたくなるような興味を引かれる。怪しい勧誘みたいに聞くけど、俳句や短歌に興味はありませんか?(笑)」
平野「怪しい勧誘…!(笑)あ、でも。雪舟えまさんってご存知ですか?彼女の『たんぽるぽる』って歌集が本当に大好きで聖書のように…!」
木村「やっぱり興味ありましたか!(笑) 嬉しいな。今日は紗季子ちゃんと俳句や短歌の話もしてみたいって密かに思ってたの。雪舟さんのどういうところが好きなの?」
平野「『寄り弁をやさしく直す箸 きみは何でもできるのにここにいる』って一首があって」
木村「わ、すぐ出てきた。やっぱ覚えちゃうよね!」
平野「そらんじるタイプですね(笑)日常生活のほんの一瞬を掬いとる繊細な視点。かばんの中で傾いて、中身が一方に片寄ってしまったお弁当を直してくれる「きみ」は本当は何だってできる人なのに、とてもささやかな出来事の側にいて助けてくれている、というのが愛しくてやさしくてすごく好きなんです」
木村「寄り弁を直す些細な行為の観察が、「ここにいる」っていう圧倒的信頼感を呼び寄せる。目で見たものが心に行き着く流れも素敵だね」
平野「あとは、『きょうもまた暮らせたことを樹氷からぱきりともいだ冷凍うどん。』って句もあって。夜にへとへとで帰ってきて、冷凍うどんでも茹でるかみたいなタイミングで、冷凍うどんと遠い雪国の樹氷をつないでしまう感性っていうのが本当に美しいなと思いました」
木村「うんうん。歌の解釈って人それぞれ違って、そこに読み取った人が立ち上がるのも俳句や短歌の面白さだよね」

処方した本は…『拝復(池田澄子)』

木村「紗季子ちゃんの好きな歌を教えてもらったお返しっていうのも変だけど、私が好きな俳句や短歌もちょっと聞いてもらっていい?(笑)」
平野「ぜひぜひ!」
木村「まずは池田澄子さん。代表的な作品だと、「じゃんけんで負けて蛍に生まれたの」っていう句があるんだけど」
平野「わ〜、いま鳥肌立ちました!!」
木村「いいよねいいよね!あとね、この『拝復』っていう句集には、「本当は逢いたし拝復蝉しぐれ」っていう句が収められてるんだけど、今くらいの季節になるとふと口を突いて出てくるくらい好き」
平野「せ、切ない…!」
木村「本当に伝えたいのは「逢いたい」のただ一言なのに、筆を取ると「拝復」とかしこまっちゃって、「蝉しぐれの降り注ぐ夏の盛りとなりましたが」なんて時候の挨拶なんか続けちゃって…。気軽な短文でのやりとりが日常になった今のLINE文化でも“あるある”の、もどかしくも切ない感情だよね。あと、きっとさ、終ぞ「逢いたい」とは書けなかったと思うんだよこの人。ものすごくキリッとした、感情も抑制された手紙の内容や、書かれてある端正な文字までありありと浮かんでくる。すごい句だなぁってしみじみ思うよ」
平野「他にもオススメの俳句や短歌はありますか?」
木村「そうだなぁ。紗季子ちゃんに、って考えるとどうしても食べ物にまつわる作品かなって思っちゃうのも安直だけど…。これはどう?「夏みかん酸っぱしいまさら純潔など」」
平野「うわあ美しいですねえ。鋭い視線で睨まれたような感覚に」
木村「いまのは、鈴木しづ子さんっていう俳人の句でね、表題になってる句集もあるよ」
平野「あ、ありました! え、ちょっと待って経歴…。33歳で消息不明って…」
木村「なかなか壮絶な人生を歩んだ方だったの。あとは、東直子さんっていう、小説家でもある方の短歌にこんなのがあるよ。「廃村を告げる活字に桃の皮ふれればにじみゆくばかり 来て」」
平野「うぁ〜、最後の、「来て」でゾワッとしました」
木村「ふふふ(笑)。ねぇねぇ、紗季子ちゃんは言葉のつなぎ方が本当に上手だから、自分でも作ってみたら?自由律俳句とかすごい才能を開花しそうだよ」
平野「自分で書こうと思ったことはありませんが、俳句・短歌の世界の住人たちへの憧れはありますね。17音にすべてを閉じ込めるなんてロマンだなぁって」

エピソードその3「こんなにも面白おかしく書いていいんだ!」

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木村「ところでさ、紗季子ちゃんの読書の原体験はどんな一冊だったの?」
平野「う〜ん、小学生の時に読んで衝撃を受けたのは、さくらももこさんの活字の本でした」
木村「『もものかんづめ』『さるのこしかけ』『たいのおかしら』、あとあと…、『あのころ』『まる子だった』とかね!」
平野「そうですそうです!こんなに世の中に対して堂々と悪口を言っていいいんだ!というのと、悪口をこんなにも面白く伝えられる人がいるんだ!ということに衝撃を受けました」
木村「ミクロの視点で日常を観察して、どこまでも深く掘っていく感じね」
平野「すっかりハマってお昼休みも1人で教室に残って読んでいたんですけど、そしたら先生に「平野さんはいじめられているんじゃないか」って心配されて親に連絡が行っちゃったり(笑)当時はそれくらい夢中になっていましたね」
木村「本好きの子ども“あるある”だよね。「1人で寂しそうに見えるかもしれないけど、いや私いまめちゃくちゃ楽しんでますよ!」っていうあのギャップね(笑)。…でも、うん。なるほどね。さくらももこさんの文体の、夢中になって語ってるのにどこか冷静というか、急にポーンと自分を突き放して別視点からツッコむ感じとか、紗季子ちゃんが好きなの分かるし、紗季子ちゃんの文章にも生きてるよね!」
平野「本当ですか(笑)。ありがたすぎて真に受けられないです。そもそもいつも私はああ、文章下手だなあ……って思いながら書いているので……(苦笑)」
木村「え、そうなの?!あんなに読ませる文章なかなかないよ!」
平野「いやいや……。いつも絞り出すような気持ちで書いています」

処方した本は…『八本脚の蝶(二階堂奥歯)』

木村「この本はこの間読み終わったばかりなんだけど、ちょうどその頃、「次のゲストは平野紗季子さんです」って連絡が来たの。それで続けて紗季子ちゃんの本を読んだからかもしれないけど、なんかね、私の中で二人がパチンっ!って繋がったっていうか、響き合っている感じがしたの」
平野「二階堂奥歯さんのこの本、ずっと気になってました!」
木村「え!ほんとに!?とことんまで自分のまなざしで語りながらも、しっかりと時代が書き込まれてるっていうか。あとは、描写と語り口ね。「ですます」調なのに絶妙にくだけてて、でも品があって。目にしたことや聞いたこと、肌や舌や鼻で感じたこと、そこから想起されたことが情報と一緒にどくどく入ってきて溺れそうになるんだけど、でも最高に気持ちいい。みたいな」
平野「才能ある編集者だったのに、確か若くして亡くなられてしまったんですよね?」
木村「そうなの。この本は、彼女が自らこの世を去るまでの約2年間が記された日記なの。日々、読んだ本のことや東京のカルチャーやファッション、メイク、交遊録などがものすごい情報量とともに記されてるんだけど、その芯にはとてつもない強度の、奥歯流美意識や哲学を読み取れてね。「私はこう生きたいから、これを選んで今日を生きている」っていう」
平野「わあ、最初の方を読むと、メイクもアートも、縦横無尽に世界の眩しさにしっかりと目を見開いている感じが……」
木村「そんなにも膨大なものを自分の内側に取り込み続けてきた人が、でも次第に人を受け入れなくなっていくんだよね。終には、「私の中に入ってこないで」とまで…」
平野「なるほど…」
木村「でも彼女が生きた証として書き残してくれたこの日記は、この先もずっと価値を持って生き続けると思うんだよね。二階堂奥歯という女性のまなざしを通して、時代に出会える良書です」

対談を終えて。

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対談後、「出会いかけて出会えてなかったものってたくさんあるので、こうやって自分の元に来てくれてよかったです」と話してくれた平野さん。ご自身で購入された『八本脚の蝶 (二階堂奥歯)』を、その場で熱心に読み進める姿が印象的でした。平野さんの世界観を余すことなく堪能できる“犬かよ本”の購入はこちらから。ぜひチェックしてみてください!

私は散歩とごはんが好き(犬かよ)。

撮影協力:〈二子玉川 蔦屋家電〉

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