【東京】モヤモヤしがちな5月。迷ったらお参りしたい導きの神社。

【東京】モヤモヤしがちな5月。迷ったらお参りしたい導きの神社。
開運担当歴16年ライターHのご利益道しるべ|運気が上がる私の参拝ルート#9
【東京】モヤモヤしがちな5月。迷ったらお参りしたい導きの神社。
FORTUNE 2025.05.13
ゴールデンウィークも終わり、日常が戻ってきました。連休明けの仕事や学校は、ただでさえ憂鬱なもの。この春から進学や就職、人事異動など新しい環境に身を置いて頑張ってきた人ならなおさらです。普段は忙しくて忘れたふりをしていた仕事や人間関係の悩みも頭をもたげてくる頃。今のままでいいのか…と不安に思うことも少なくないはず。
そんなふうに迷いが生じた時、お参りしたいのが導きの神々。日本神話のターニングポイントで道を示した猿田彦大神や八咫烏の故事にならって、私たちも未来への道を開くべし! これで五月病的モヤモヤとはサヨナラです。にも実るよう、祈りを捧げましょう。
ライターH

Hanakoはじめ各誌の「開運」特集を担当して16年。小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が「神々の国の首都」と呼んだ島根県松江市生まれ。子どもの頃から神話&妖怪&神社好き。長じてライターとなってからも、取材先などで神社仏閣を見つけては立ち寄ることを繰り返すうち、開運関連の取材が増えて今に至る。

その一 分岐点で道を照らす猿田彦大神のおわす赤坂・日枝神社へ。

外堀通り沿いに立つ、堂々たる大鳥居。破風のついた山王鳥居は日枝神社独自のもの。

古くは江戸城の鎮守として、明治となっては皇城の鎮として崇敬され、江戸に住む人々から「山王さま」と親しまれてきた日枝神社。江戸時代から続く山王祭は神田明神の神田祭とともに天下祭とされ、祭りの山車や神輿が江戸城内に入ることが許され、将軍も上覧したと伝わります。

日枝神社御社殿。都心のど真ん中に位置するだけに参拝するワーカーも多い。

この日枝神社境内に鎮座するのが、猿田彦大神を祀る猿田彦神社です。猿田彦大神は古事記や日本書紀にも登場する導きの神。天照大神の子孫である瓊瓊杵命が天降る時、その道案内をしたと記されています。道がいくつにも分かれている天八衢に立って、高天原から地上までを明るく照らし一行を先導したのだとか。実に頼もしい存在です。

猿田彦大神を祭る猿田彦神社。

そのご神徳にあやかって、進むべき道に迷った時は猿田彦神社へ! 神使の猿の姿をした、みちびき守を受けて良き道へ進めるよう、気持ちを整えて日々を過ごしましょう。

60日に一度の頻度で巡ってくる庚申の日には、猿田彦神社で開運祈願祭も執り行われます。また、この日限定の開運みくじも授与されます。これは巫女さんが祝詞を奏上して引き、授与くださる特別なもの。憂いも晴れて、リスタートできる気分になるはずです。

日枝神社

東京都千代田区永田町2-10-5
https://www.hiejinja.net/

その二 みちひらきのご利益にお江戸の人々も通った向島・白鬚神社。

墨堤通りからすぐ、一の鳥居に掲げられた扁額。

隅田川七福神のひとつとして知られる、東向島の白鬚神社も猿田彦大神を祭るお社。平安時代の天暦5(951)年、慈恵大師が琵琶湖畔に鎮座する白鬚神社の分霊を祀ったのが起源と伝わります。

1992年に再建された御社殿。その前には文化3年の銘が刻まれた狛犬が鎮座する。

東向島、墨田、押上をはじめとする旧寺島町の氏神として崇敬されるのみならず、方災除けや厄除けにご利益ありと広く江戸の人々に親しまれ増田。界隈はかつて”白鬚の森”と呼ばれる景勝地で、向島八景、隅田川二十四景のひとつに数えられていたこともあり、江戸の文人墨客も訪れました。今も境内には歌碑や句碑が残されています。

また御祭神、猿田彦大神は正しい方位を示し人や世の中を良い方向へ促す導き、道開きの神。ゆえにお客様を導いてくれると商売繁盛を願う人々も数多く参詣したとか。

江戸名所図会に描かれた白鬚明神社。鳥居と松林の向こうに墨堤と隅田川が見える。
『江戸名所図会 7巻』 国立国会図書館デジタルコレクションより。

お江戸の人々がこぞって訪れた霊言あらたかな古社に詣で、みちひらきにご利益ありの諸願成就御守護符を手にすれば心も晴れ晴れ。きっと明日から顔を上げて信じる方向へ歩いていけるはずです。

白鬚神社

その三 八咫烏に導かれ新宿十二社熊野神社へ。

今や新都心と呼ばれオフィスビルが立ち並ぶ界隈に鎮座する新宿十二社熊野神社も、導きのご利益で知られています。
創建は室町時代の応永年間。この一帯を開墾し”中野長者”と呼ばれた鈴木九郎が、故郷の紀州熊野から熊野三山の十二所権現を勧請したのが起源とされています。

その熊野に仕える神使とされるのが八咫烏。山中でイノシシを追っていた猟師を導き、熊野三山が開かれるきっかけを作った存在であり、のちに初代天皇として即位する磐余彦尊の神武東征でも重要な役割を果たす存在です。
古事記、日本書紀には、数々の困難を乗り越えて日向から熊野にたどり着いた磐余彦尊が山中で進退極まったとき、八咫烏が現れて大和までの道のりを案内。荒ぶる神や豪族を平定し、神武天皇として即位したと書かれています。

神武天皇と八咫烏。『大日本名将鑑』より。東京都立中央図書館所蔵。

このエピソードから、古くから八咫烏は導きの神として崇敬されてきました。新宿十二社熊野神社も、そのご加護に預かろうという人々が今も数多く訪れます。また”勝利に導く”ことを願って、日本サッカー協会のシンボルマークにもなりました。

新宿十二社熊野神社の周辺は、かつて大小ふたつの池と滝があり、茶屋が並ぶ景勝地だった場所。『江戸名所図会』など浮世絵にも数多く描かれています。8代将軍・徳川吉宗も鷹狩りを機に、この地を訪れたとか。明治期になると大きな料亭も開業し花街として大いに賑わったといいます。
今では池も滝も埋め立てられて、その姿を目にすることはかないませんが、新宿十二社熊野神社の境内には太田蜀山人の書を刻んだ水鉢や、『江戸繁盛記』を著した儒学者・寺門静軒による漢詩を刻んだ石碑などがあり、江戸の面影を偲ぶことができます。

往時の記憶を留める静かな境内でゆっくりと心を整え、八咫烏のご加護を得て進むべき道を見つけて歩き出す。風薫る5月、そんな時間を過ごしてみてはいかがでしょう。

新宿十二社熊野神社

東京都新宿区西新宿2-11-2
https://12so-kumanojinja.or.jp/

text:Mutsumi Hidaka


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