【鎌倉】花の寺をもうでながら、女性としての生き方を考え、未来を思う。

これは世界中で今なお女性が直面する差別や不平等、暴力や搾取をなくし、誰もが自分らしく生きられる社会を目指そうというもの。私たちにとっても、心を鎮め来し方行く末を考える良い機会になるかもしれません。
そんな時に詣でたいのが鎌倉の古刹です。
女人救済の寺として明治に至るまで縁切り寺法を受け継いだ東慶寺、徳川家康の信頼も厚く幕府成立に貢献したお勝の方ゆかりの英勝寺、尼御台として鎌倉の鎌倉幕府存亡の危機に立ち向かった北条政子ゆかりの安養院を詣でて、女性としての生き方を見つめ直し、新たな一歩を踏み出すきっかけをつかみましょう。
この時期の鎌倉は、春先取りの花が咲き始めます。花を愛で、やわらかい心を取り戻す旅にもなるはずです。
Hanakoはじめ各誌の「開運」特集を担当して16年。小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が「神々の国の首都」と呼んだ島根県松江市生まれ。子どもの頃から神話&妖怪&神社好き。長じてライターとなってからも、取材先などで神社仏閣を見つけては立ち寄ることを繰り返すうち、開運関連の取材が増えて今に至る。
その一 縁切り寺法を守り、多くの女人を救済した東慶寺へ。

開創は鎌倉時代の弘安8(1285)年。鎌倉幕府の執権・北条時宗夫人・覚山尼によって開かれた禅刹です。その後、後醍醐天皇の皇女が兄・護良親王の菩提を弔うため入山して5世住職・用堂尼となり、鎌倉尼五山二位の格式を持つ尼寺に。さらに江戸時代初期には、大阪城落城後に千姫の養女となって命を救われた豊臣秀頼の息女が入山し、二十世住職・天秀尼に。千姫を通した徳川家との深いつながりから、寺格は一段と高まりました。


東慶寺の名を広く知らしめた縁切りの寺法は、開創の覚山尼が定めたもの。女性から離婚できない時代にあって東慶寺に駆け込めば離縁が認められるとされ、明治に至まで600年間の長きにわたり、多くの女性を救ってきました。明治35(1902)年に尼寺としての歴史を閉じますが、今も多くの女性が女人救済の歴史を偲び、心を鎮めるために訪れます。
緑豊かな谷戸に広がる境内には四季折々の花が咲き、訪れる人の心を慰めます。なお境内は撮影禁止。カメラやスマホを手放して、自然の力を肌で感じ、自分の心と静かに向き合いましょう。
神奈川県鎌倉市山ノ内1367
その二 才知に長け、天下分け目の戦いにも同行。お勝の方が開いた英勝寺。

江戸時代初期の寛永13(1636)年に開かれて以来、尼寺としての歴史を刻み続ける古刹。寺域は開基・英勝院の祖先であり、最初の江戸城を築いた太田道灌の邸跡と伝えられます。
この英勝院、徳川家康に側室として仕えた女性。その聡明さゆえ家康から絶大な信頼を寄せられました。家康にまつわる逸話をまとめた『故老諸談』には「これ男子ならば ひと方の大将に承りて大軍を指揮すべし」と記されるほど。天下分け目の決戦・関ヶ原の戦いや、豊臣を滅した大阪の陣には男装騎馬で同行したと言います。落飾前の名・お勝は関ヶ原の戦いでの勝利を祝して、家康から賜ったものだとか。
才知に長けているだけでなく度胸もある、凛とした女性だったのでしょう。そんな女性像を想像しつつ、いまいちど自分を振り返って、これからを考えるのに、英勝寺はぴったりの場だと思えます。

境内の奥には静かな竹林があり、さやさやとした葉擦れの音を聞きながら時間を忘れて過ごすこともできます。ここはもともと、歴代の住持の住まいがあった場所。住持といっても、お勝の方が後の初代水戸藩主・徳川頼房の養母を務めたことから、水戸家の姫君が代々務めており、その住まいは「姫御殿」とも呼ばれたといいます。

境内のはんなりと優しげな趣は、そうした歴史に由来するものかもしれません。季節の花が絶えることなく、毎日その日に咲く花の名を掲げた「花だより」が掲げられます。春先の梅に桜、初夏の藤やツツジ、さらに季節が進めば紫陽花も。
神奈川県鎌倉市扇ガ谷1-16-3
その三 尼御台、北条政子の墓とされる石塔が静かに佇む安養院。

鎌倉を語る上で欠かせない女性といえば、なんといっても北条政子でしょう。当時は一介の流人であった源頼朝と、周囲の反対を押し切って夫婦となり、武家の政権作りに奔走する夫を支えた人物です。夫亡き後は落飾し「尼御台」と呼ばれて政務に参加。承久の乱では御家人たちに頼朝の恩顧を説いて幕府を危機から救い、「尼将軍」とも呼ばれた女傑です。
その北条政子ゆかりの寺として知られるのが安養院です。政子が夫の菩提を弔うために建てた長楽寺を前身とし、政子の甥にあたる北条泰時が政子を弔うため堂宇を整え、政子の法名である“安養院”を寺号としました。本堂裏手には、北条政子の墓と伝わる石塔が静かに佇んでいます。
困難に立ち向かう時、強く堂々たる態度でいたい時、お詣りして気持ちを新たにしたい場所です。

神奈川県鎌倉市大町3-1-22
text:Mutsumi Hidaka