ブレイディみかこ『リスペクト R・E・S・P・E・C・T』|ふっと一息。きょうは、本を読みたいな #2 CULTURE 2023.10.10

数時間、ときにもっと長い時間、一つのものに向き合い、その世界へと深く潜っていく。スマホで得られる情報もあるかもしれないけれど、本を長く、ゆっくり読んで考えないとたどりつけない視点や自分がある。たまにはスマホは隣の部屋にでも置いといて、静かにゆったり本を味わいましょう、本は心のデトックス。今回のブックガイドブレイディみかこ『リスペクト R・E・S・P・E・C・T』をご紹介。

下北沢が好きだった。いかんいかん、過去形になってしまった。今でも大好きだと言いたいけど、現在形で言い切ると嘘が交じる気がする。だって、下北沢は大きく生まれ変わってしまったから。
下北沢。イメージとしてはサブカルチャー的でポップな町。古着屋や雑貨屋や飲み屋が多くて、演劇人、お笑い芸人が多く集まる町。「若者が住みたい町」なんて言われ方をしてきたし、それなりに影響を受けた私も実際にこの町に憧れて住んでいたことがある。
それも今は昔。戦後闇市の雰囲気を残した駅前食品市場は2018年に消滅。新駅舎ができ、新たな商業施設が複数誕生。町はとてもきれいになった。でもそのかわり、前からあった個人店はかなり姿を消した。人気の古着屋は顕著に下北沢を離れだし、今は資本の豊かな古着屋がそのままスライドすることで古着の町の雰囲気を保っている。
町に人が増えると、当然再開発は必要になる。そのおかげで町はきれいになる。しかし一方で、地価や不動産価格が急激に上がり、そこに住んでいた人たち(特に低所得者)はその町に住めなくなる。この現象は「ジェントリフィケーション」と呼ばれ、世界各国で今問題になっている。

人が追い出されるということは、もともとあった文化と地域の崩壊を招くことにもつながる。この「ジェントリフィケーション」を扱っているのが、ブレイディみかこさんの小説『リスペクト R・E・S・P・E・C・T』。住居の退去を迫られたシングルマザーたちが、自分たちへの「リスペクト」と尊厳を求めて立ち上がる痛快なストーリーで、読んでいて血がたぎった。実はこの物語は、実際にロンドンで起きた「FOCUS E15」運動から着想を得ている。「FOCUS E15」はE15地区(ロンドン東部)にある若年層向けのホームレス・シェルターの名前。2012年にロンドンオリンピックの舞台となったこの地は、昔から貧しい労働者階級の町だった。そこがオリンピックを機に再開発(勘がいい人はお気づきだと思うが、この話は日本に置き換え可能だ)。するとその地域のシェルターに住んでいたシングルマザーたちは、突然退去宣告を食らってしまう。なぜって、再開発によって古い建物を壊して高級マンションに建て替える「ソーシャル・クレンジング」(地域社会の浄化)が進んでいたから。困って役所に駆け込んでも、生まれ育った町を離れ、家賃の安い地方へ引っ越せと言われる始末……。
でもおかしい。ロンドンの公営住宅には600戸の空き家があるはず。家があるのに、なぜ住めない? 理不尽に思った女性たちは、空き家のまま放置されていた公営住宅を4軒占拠し、自分たちでシェルターを作り住み始める。自らの権利を主張するために。
日本の「ふつう」の感覚では、こんなの過激だし、単なる不法行為じゃん!と思ってしまう人が多いだろう。しかし住まいは生活の基盤であり、生存権の土台。それを一方的に奪うことは人権侵害だと気づければ、彼女たちの行動は正当な抗議だと思えてくる。これは私たちには抵抗する「権利」があるのだと思い出させてくれる運動だった。

この物語の主人公・ジェイドをはじめとするシングルマザーたちも、同様に公営住宅を占拠。その様子は多くの人に知られることとなり、支援者も続出する。占拠地は解放しているため、多くの人が差し入れを持ってきてくれているし、逆に生活に困っている人はそれをもらっていく。
まさにギブアンドギブの世界だ。困難が起きたときに自然と相互扶助が行われ、共同体が立ち上がる姿は読んでいてとても楽しいものだった。誰に何を言われなくとも、お互いに助け合って生きていく。本来、人間はこうあるべきだと思う。
当たり前だけど、町を町たらしめているのは、建物ではなく「人」だ。前段で下北沢の話をしたのは、なにもジェントリフィケーションの例としてだけではない。この町でも、再開発に対して抵抗した市民団体がいたのだ。
再開発となると、どこもたいてい建ぺい率や容積率を目いっぱい使う大型の高層施設やタワマンなどを作ろうとするもの。でもまだかろうじて新たにそれらが下北沢に持ち込まれていないのは、本書のジェイドたちのように抵抗した方々が声を上げたおかげだと思っている。
それに本書のシングルマザーたちの活動も、下北沢の市民の活動も、政治を変えようと思って始めたものではない。ただ、自分たちの暮らしを守りたいだけ。立場の違いがあったとしても、同じ目的のために集まり、闘い、助け合うことができるなんて、希望以外の何物でもない。

私も日本人なのでどうしても我慢根性が染み付いているけど、誰かに支配され続けるよりも、自分たちでできることを始めてみたい。だって私たちは無力じゃないんだから。そんなことを本書は思わせてくれた。
たとえば自分たちで自治を起こすこと。名もなき人々が共闘すること。先達たちによるこの「アナキズム」の実践は、市井の人々にも勇気を波及してくれる。政府や役所が何かをしてくれるのを信じてただ待つのではなく、ときには「あてにならない」と下から突き上げる形で状況を変えていくことって大事だ。私たちがこれから身につけるべきはボトムアップの精神なんだろう。そうしないと、いつのまにか大切なもの(権利すら)を奪われてしまうことだってあるんだから。
最近日本でもストライキがニュースにあがるようになってきた。しかし街の声として、「困惑」「迷惑」と紹介するテレビをみてびっくりする。ストライキに連帯や共感を示す「声」が伝えられていない。そういうところだぞ!と思う。

そこにリスペクトはあるのかい? 本書はそう私たちに喝を入れてくれている。私たちがすべきは、持っている権利を知ること。動くこと。応援すること。まずは読んで、知ることから始めてみよう。

『リスペクト R・E・S・P・E・C・T』 表紙

『リスペクト R・E・S・P・E・C・T』

ロンドンオリンピックの2年後、オリンピックパーク用地だったロンドン東部のホームレス・シェルターを追い出されたシングルマザーたちが、少しばかりのリスペクトと人の尊厳を求めて立ち上がる。定価1595円(税込)

『リスペクト R・E・S・P・E・C・T』 表紙
text_Daisuke Watanuki photo_Hikari Koki

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