食体験から魅力を紐解く。蒼井 優の〈味の履歴書〉 FOOD 2023.11.23

その人の食体験を知れば、その人の魅力がもっと見える。蒼井優さんの〈味の履歴書〉を紹介します。

「小さい時は食べることが苦手で……」。えーっ! 蒼井優さんたら、生まれた時から食いしん坊だとばかり。「1日三食食べなきゃいけないって誰が決めたんだろうと思ってました」

極端な偏食、少食。食に関心ゼロ時代。

九州出身なのに大阪出身の両親のおかげで、たこやきはソウルフード。しかも、たこやき×ご飯が好きだった。今もたこやきとお好み焼きはよくつくる。でもホントのことを言うと、たこ抜きがいいのだ。
九州出身なのに大阪出身の両親のおかげで、たこやきはソウルフード。しかも、たこやき×ご飯が好きだった。今もたこやきとお好み焼きはよくつくる。でもホントのことを言うと、たこ抜きがいいのだ。

食事のたびに、食べきれるだろうかと、いつもドキドキしていた。給食もすごくイヤで、こっそりビニール袋をしのばせておいて、残ったパンを持ち帰っていた。口の中でいくつもの味や食感が混ざるのもアウトだった。調味料も苦手だったから、刺身に醤油もイヤ、サラダにドレッシングもイヤだった。ご飯も白いご飯だけがよかった。当然ながら、醤油なしの刺身や味なしのサラダが楽しいわけがなく、結果、少食になっていたのである。
それでも好きなものはあった。カレーライスにたこやきにお好み焼き、それから、豆腐と牛肉を煮て卵でとじる柳川風の鍋、ドリア、ホットプレートでつくる瓦そば……。そんな好物には飛びつくけれど、それ以外は等しく興味がなかった。

両親が大阪出身だから、たこやきとお好み焼きはいわばソウルフード。今でも、お好み焼きはよくつくる。たこやきにご飯というダブル炭水化物も蒼井さんの定番だった。「よく母に『たこやき丼の店をやって。繁盛すると思うよ』と言ってました。でも、たこやきもほんとうはたこ抜きがよかったんです(笑)」。味噌汁も具がないほうがよく、蒼井家のお雑煮は白味噌仕立てなのだが、ただの汁だけのほうがよかった。両親ともに、少しでも栄養バランスがいいようにといろいろと気を遣ってくれたが、ことごとく苦手だった。骨が丈夫になるようにと父の勧めるメザシも、母の好物のツナとピーマンの炊き込みご飯も、ほんとうに苦手だった。今となっては、申し訳ない限りである。

外食はほとんどない家だったが、たまに父が「大判焼き買いに行くか」と言って、家族で車で行くことがあった。ほんとうはクッキーのほうがよかったが、家族で食べながら帰る、その時間がうれしかった。

食べることが好きになったら、私の人生が驚きの変化を遂げた。

食べることが苦手な少女の人生が、17歳でがらりと変わった。ハマればとことん深掘り。新タイプの食いしん坊人生に幸あれ。

「今日、何食べよう」。食の楽しさに目覚める。

2002「今日、何食べよう」朝起きて、自分がそう考えていることに驚いた。食いしん坊スイッチがピッと入った瞬間だった。以来、呪縛から解き放たれたように食に対して前向きに変身していく。
2002「今日、何食べよう」
朝起きて、自分がそう考えていることに驚いた。食いしん坊スイッチがピッと入った瞬間だった。以来、呪縛から解き放たれたように食に対して前向きに変身していく。

13歳で上京。17歳で事務所のマネージャーと出会って、人生が一変する。食いしん坊のマネージャーにおいしい店に連れて行ってもらううち、「だんだん、ごはんが好きになった」。

ある朝目覚めて、「今日、何食べよう」と考えている自分に驚いた。そんなこと、これまで一度もなかった。それからは、まるでスイッチが入ったようにいろんなものが食べられるようになった。あれだけ食感が違うものが口の中に入るのが苦手だったのに、野菜のシャキシャキ、納豆のネバネバ、イカのムチムチがミックスされた海鮮ネバネバサラダをパクパク食べられるようにもなった。その店はもうないが、よく通ったものである。

そして今や、食感や味が混ざるのが楽しいと思えるまでに。〈YAWN〉のお弁当は、食べ進めるうち、いろんな味が混ざっていくのだが、それがおいしくて楽しめている。変われば変わるものである。
 鯖の味噌煮が食べたくて〈魚力〉にもよく行った。「あんまりおいしくて、教わりたいって言ったら、ものすごく時間がかかるから泊まり込みじゃないとって」。このあたりから〝つくる〟にも目覚めていく。

2023最近の大好物は〈YAWN〉のお弁当。旬の食材と、薬膳などを駆使したお弁当がおいしい。食べていくうちに、おかずとご飯が混ざっていくのだが「それが楽しいと思える自分になっているのがうれしい」。
2023最近の大好物は〈YAWN〉のお弁当。
旬の食材と、薬膳などを駆使したお弁当がおいしい。食べていくうちに、おかずとご飯が混ざっていくのだが「それが楽しいと思える自分になっているのがうれしい」。

ハマる、ハマる。とことんハマる。

2009プロ用のかき氷器を購入。純氷を半分に切り、常温で少し汗をかかせてからかいていく。そうしないと氷の表面が割れるんだそう。かき氷屋さんができるんじゃないかという凝りようである。
2009プロ用のかき氷器を購入。
純氷を半分に切り、常温で少し汗をかかせてからかいていく。そうしないと氷の表面が割れるんだそう。かき氷屋さんができるんじゃないかという凝りようである。

ある時、仕事で台湾に行くことがあった。コーディネーターでもある台湾の友人がいいところを紹介したいと、あちこち連れて行ってくれる中に、かき氷の店があった。毎日かき氷を食べていたから、帰国後も無性に食べたくなって、いろんな人のブログを徹底チェック。「当時はまだインスタとかなかったんですよ(笑)」。よさげなかき氷が食べられる店をリストアップして、片っ端から行ってみた。

「あの頃は、頭のてっぺんから冷気が上がるくらい、体がキンキンに冷えるのが好きでした」。店が混んでないと、同じ店で7杯食べたりして。「そろそろ」と店の人に言われたことも。どこかで連載できないかなぁと思っていたが、世の中はちょうど〈コールドストーン〉などのアイスブーム。アイスならいいんだけど、と数多の雑誌に断られる中、ついに2009年、『Casa BRUTUS』で連載開始。すると、じわじわとかき氷ブームがやって来た。そのうち、行列ができ、自分も入れなくなり、合羽橋でプロ用のかき氷器を購入。自宅でも氷をかき始める。このハマりよう。
素晴らしかったのは、今はなき京都の〈茶寮 ぎょくえん〉のかき氷。そのまるで霞か雲のような氷のかき方を偵察に、全国からプロが訪れた店である。ひとりでこのかき氷のために旅したこともたびたびあった。今はあまり体を冷やさないようにしているが、いい店を見つけては時折訪ねている。

「最近見つけたのが、鎌倉の〈vuori〉。私の持論なんですけど、食の好みが偏ってると人脈が広がりやすい。情報も集まってくる。私はそれで生きてきました(笑)」

次にハマったのがNYチーズケーキ。NYに行った時、みんなで〈ピーター・ルーガー ステーキ ハウス〉にステーキを食べに行った。といっても、その頃は肉が食べられなかった時期で、ステーキは食べないけど、クリームドスピナッチ(ほうれん草のクリーム煮)を食べに。ほうれん草もおいしかったが、そこで、NYチーズケーキと感動の出会いを果たすのである。以来、チーズケーキにぞっこんとなる。

帰国後、クリーム煮が食べたくなってあちこち検索した結果、〈ルースクリスステーキハウス〉に出会う。ここにもチーズケーキがあって、お値段はちょっと高いのだが、これがすごくおいしかった。小さいワンホールで、周囲がグラハムクラッカー。好みのタイプだった。再び食べたいなと思ったけれど、食べたい時にお休みだったりしたために、自分でつくることに。徹底してレシピを調べ上げ、好みのタイプにカスタマイズして、毎日つくっていた。
ともかく、食べに行くだけでなく、ハマるとつくるところまでいくのが常。「これだと思ったら、いけるところまで深掘りしてしまうタイプなんです」。キャロットケーキや大根餅にハマったこともある。

2011好みのチーズケーキを日本で発見。なんといっても周囲はグラハムクラッカーが好き。NYでハマって、東京では〈ルースクリスステーキハウス〉がお気に入り。その後、自分でも毎日つくるほどに。
2011好みのチーズケーキを日本で発見。
なんといっても周囲はグラハムクラッカーが好き。NYでハマって、東京では〈ルースクリスステーキハウス〉がお気に入り。その後、自分でも毎日つくるほどに。

そして今、母となり、思うことは……。

2022片手でおにぎりが精一杯だった数カ月。子育ては未知なる世界。毎日、家の中を走っていたという。子どもが泣くと抱っこしていたので、片手でも食べられるおにぎりを冷凍しておいて、空腹をつないでいた。
2022片手でおにぎりが精一杯だった数カ月。
子育ては未知なる世界。毎日、家の中を走っていたという。子どもが泣くと抱っこしていたので、片手でも食べられるおにぎりを冷凍しておいて、空腹をつないでいた。

結婚して子どもができて初めて、母の苦労がわかる、というのはよくある話。蒼井さんもご多分に漏れず。「自分の子どもに食事をつくって食べさせて、母の手づくりごはんのありがたみがよくわかりました」。今では母と一緒に食べ歩きをしたり、幼少期の話をしたりするようになった。

子どもができてからは、自分のごはんを食べる時間がなくなった。何事にも一生懸命。「子どもを泣かせちゃいけない、泣いてるのは何か不満があるのだろうから、どうにかしてあげたい」という気持ちでずっと抱っこしていた。だから、常に片手が塞がっている状態。「数カ月、両手で食事することがほとんどありませんでした」。おにぎりをたくさんつくって冷凍しておいて、温め直しては片手で食べる日々。育児はとても楽しいのだが、頭はボサボサ。心配した友人たちが食事を持ってきてくれたり、赤ちゃんを抱きに来てくれたり。

自分の子ども時代は、あんなに偏食だったのに、子どもには栄養バランスを考えて離乳食をつくる。
「家の中をずっと走ってる感じです。今のところ、娘は好き嫌いはないみたいなんですけど、これからどうなることか」
「子どもが大きくなったら、一緒にディナーを楽しみたい」。
それが今の小さな夢である。

illustration_Mihoko Otanitext_Michiko Watanabe

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