ホン・サンスの映画を見て、どんなことを感じても間違いではない。ホン・サンスの最初期から現在期の7作品 CULTURE 2023.06.21

『小説家の映画』の公開を記念し、墨田区菊川の映画館Strangerにて、ホン・サンス監督特集上映が開催される。ホン・サンスと言えば、1990年代から映画を世に送り出し、カンヌ映画祭やベルリン映画祭の常連で、今回、日本で上映となる『小説家の映画』も第72回 ベルリン国際映画祭(2022年)の審査員大賞(銀熊賞)に輝いている。

韓国の名匠ホン・サンス

彼の作品の特徴としてあげられるのが、カメラのズームインとズームアウトを使った映像である。このズームイン、ズームアウトを見て、これはどのようなことを意味しているのだろうかと、観客もじっと考えることとなる。

ホン・サンスの映画というのは、どのような感想を持っていいのか、戸惑うようなところもある。『小説家の映画』に寄せられた著名人のコメントを見ても、これは同じ映画のことを語っているのだろうか?と思えるほど、皆の見ている部分が違っている。ある人は前向きな物語と捉え、ある人は女性たちの連帯の物語と捉える。また別のある人は、作家として試されているような畏怖の念を抱く。ただ、そのどれも間違っていないとも思えるのだ。

今回の特集上映では、そんなホン・サンスの最初期・転換期・現在期の代表作から9作品が上映される。これらの映画を見れば、彼の映画を見て、どのようなことを感じても、間違いではないことが実感できるだろう。

© 2022 JEONWONSA FILM CO. ALL RIGHTS RESERVED
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“アバンチュール”を描いた物語が多かった、ホン・サンスの最初期

ホン・サンス監督の映画は、定点においたカメラで、俳優の会話をじっくりと捉え、ときにズームインしたりズームアウトしたりするという撮り方や、主に芸術家をしている登場人物が酒を飲みながらああでもない、こうでもないと会話をしているという点においては、以前と変化はないように感じるのだが、そこに描かれている登場人物の人生観のようなものは、最初期・転換期・現在期で異なっている。

特に最初期にあたる作品は、監督などをしている芸術家の男性と、彼を慕う芸術家志望の女性や、映画のスタッフや、映画を学ぶ学生などが出会い、お互いに芸術について語り合ううちに惹かれ合う……というよりも、お互いの関心と性欲を結び付けて恋愛に発展する、まさに“アバンチュール”を描いた物語が多かった。

男性の登場人物は、人々が尊敬する職業をしているということで近寄ってきた美しい女性にふらふらと引き寄せられているように見えるし、女性のほうも好奇心を持って芸術家から何かを得たいというような気持ちが見え隠れしていて、そんな関係性もかつてはよくあったのかもしれないなという妙な郷愁に駆られる部分がないでもない。別に恋愛がすべて純粋に惹かれ合って結ばれる必要があるとは思わないけれども、女性の描き方という点だけを現代から見ると、女性がプレイヤーではなく、芸術家にインスピレーションを与えるだけの存在に見えてしまうところもあるかもしれない。

ただ、今回の上映作品では、『オー!スジョン』(2000)にしても『正しい日 間違えた日』(2015)にしても、前半と後半で、ふたつの視点から同じ出来事を描く作品になっている。そのため、芥川龍之介の『藪の中』のように、誰の視点から見たかで、いくつもの真実があるようにも思えるし、人の映画の見方なんて、そのくらい、あいまいなものという風にも見える。このような描き方をしているからこそ、映画を見た人によって、まったく違った感想を持ったとしても、それをきっと監督は肯定してくれるだろうと思えるのだ。

ホン・サンス
ホン・サンス

公私ともにパートナーのキム・ミニと出会い、“アバンチュール”映画ではなくなっていく

『正しい日 間違えた日』
ホン・サンスが変化したと言われているのは、公私ともにパートナーであり、不倫の関係でもあるキム・ミニと出会ったことが大きいと思われている。彼女と初めて撮った作品が、先述の『正しい日 間違えた日』であるが、キム・ミニと出会ったことで、彼女の私生活と重なるようなキャラクターが登場し、自分の中にある複雑さを自発的に語るようになっていき、単に男性と女性が地方都市で行われた映画祭や、大学の授業を通じて知り合うというような“アバンチュール”映画ではなくなってくる。

『正しい日 間違えた日』
『正しい日 間違えた日』

『夜の浜辺でひとり』
キム・ミニ主演の二作目となった『夜の浜辺でひとり』(2017年)で、キム・ミニは不倫が報じられたことにより、異国に逃げた俳優役で登場。やがて韓国に戻り、旧友たちと再会し、俳優として復帰しようと考え始めるのだが、この頃のホン・サンス監督の作品からは、主人公の深い孤独が感じられるようになる。この映画で、タイトルのように、キム・ミニ演じる俳優のヨンヒが、浜辺にひとり横たわっていつの間にか眠りにつき、夜になって目が覚めたときに、それまでの物語が夢なのか現なのかわからない感覚を観客も味わうことになる。

『夜の浜辺でひとり』
『夜の浜辺でひとり』

『自由が丘で』
今回の特集上映作品ではないが、加瀬亮が主演した『自由が丘で』(2014年)なども、加瀬亮が夢から覚めたところで場面が転換して映画はエンディングを迎える。この作品は特に、加瀬亮演じる主人公が恋人に送った手紙が床に散乱し、その手紙の順序がバラバラになってしまい、回想シーンの順序が前後しているという演出もある。転換期のホン・サンス作品は、ふたつの視点から描くのではなく、夢なのか現実なのか、時系列すらもあやふやな感覚で見られるものになっており、あやふやだからこそ、ハッピーエンディングにも見えるし、反対にどこか深い孤独の物語にも見えるようになっていた。

『逃げた女』
キム・ミニが主演の7作目、『逃げた女』(2020)では、もはや最初期に描かれたようなアバンチュールは過去のものとなっている。キム・ミニ演じる主人公のガミは、ある日、ソウルの郊外に暮らす3人の女友達のもとを訪ねる。ガミは5年間一緒に暮らす夫とは、一度も離れたことがないと語り、「愛する人とは何があっても一緒にいるべき」と話す夫の言葉を、3人の女友達に執拗に話すのだが、何度も繰り返すその言葉から、なぜか不穏さや孤独感がにじみ出ているようにも感じられた。

『逃げた女』© 2019 Jeonwonsa Film Co. All Rights Reserved
『逃げた女』© 2019 Jeonwonsa Film Co. All Rights Reserved

ガミと女友達との会話は、嚙み合っているようで噛み合っていない。また、ガミや三人の女性たちが出会ってきた男性たちへの不信感なども会話の端々から見えてくる。

キム・ミニと出会ったことにより、ホン・サンスの映画が、女性の目線からの映画に変化しているのを感じることもできるが、三人の旧友たちとキム・ミニの関係性も、単にシスターフッドと捉えていいのかわからない微妙さも漂っている。しかし、ガミは夫の出張中に、古い女友だちに会いたいという切実な思いが湧き出たのだということは伝わってきたのだった。

現在期の女性たちは、芸術家にあこがれる“ワナビー”ではない

『あなたの顔の前に』『小説家の映画』
現在期のホン・サンスは、『あなたの顔の前に』(2021)と『小説家の映画』(2022)で、ベテラン女優のイ・ヘヨンを主演に迎えた。イ・ヘヨンが主演をするようになって、より円熟した女性のリアリティを描けるようになったように思う。キム・ミニは『あなたの顔の前に』では、プロダクションマネージャーを務めているが、彼女の影響もあるだろう。

『あなたの顔の前に』では、イ・ヘヨンは俳優役で、クォン・ヘヒョが演じる映画監督は、彼女に会って「あなたの映画をぜひ撮りたい」と語る。実は『小説家の映画』では、キム・ミニ演じる俳優に出会い、イ・ヘヨン演じる小説家が、「あなたの映画を撮りたい」と言う役を演じているのだった。

『小説家の映画』© 2022 JEONWONSA FILM CO. ALL RIGHTS RESERVED
『小説家の映画』© 2022 JEONWONSA FILM CO. ALL RIGHTS RESERVED

現在のホン・サンス映画では、女性たちは芸術家にあこがれるいわゆる“ワナビー”ではなく、一人の芸術家である。そして、その芸術家の語る言葉には、ホン・サンスの考える芸術観がにじみ出ている。そんなところが、この映画を見た芸術家たちに畏怖の念を感じさせるのかもしれない。

キム・ミニが演じる役は、過去の映画では「友達がいない」というセリフを言っていたが、最近の映画では、そんなことはないように見えるし、コミュニティにも属している。ただ変わらないのは、登場人物たちの会話は、今も完全に噛み合っているわけではなくて、ぎこちないところもあるいというところだ。でも、完全に噛み合うということも、どこかそれはそれで、息苦しいところもあるような気がするし、もしもホン・サンスの映画の中の会話が噛み合っていたら、観客のそれぞれ違った感想も引き気出せないだろう。

text:Michiyo Nishimori

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