児玉雨子の「ひとくち分の街の記憶」#13「行きたいところに出会いに行こう」――香川・直島の芸術と海に触れる

児玉雨子の「ひとくち分の街の記憶」#13「行きたいところに出会いに行こう」――香川・直島の芸術と海に触れる
児玉雨子の「ひとくち分の街の記憶」#13「行きたいところに出会いに行こう」――香川・直島の芸術と海に触れる
TRAVEL 2026.04.30
ある日、ふと思い立って高松へ飛んだ雨子さん。今回は、直島を自転車に乗ってぶらり。ピースフルな瀬戸内の島を堪能しました。

 アイドルやアイドルもののコンテンツの楽曲で、つい「行きたいところへ行こう」みたいな歌詞を書いてしまう。
 タレントたちがスターダムを駆けあがろうとすることを、たとえば「主役になる」とか「スポットライトを浴びる」とか言ったり、K-POPでは「花道を歩こう」という表現があったりするのだけど、わたしにとっては「行きたいところへ行こう」が納得できる表現なのだ。たとえ一位でもセンターでも花道でもなくても、その人にとっての「行きたいところ」や「行くべき場所」が見つかることがあって、これが自分なんだ、とストンと落ちてくるように受容する瞬間がきっとある。
 
 でも当然、歌っているひとも聴いているひとも、みんながみんな「行きたいところ」がはっきりと見通せているわけじゃない。今となってはかなり贅沢な時代だったけど、10〜15年ほど前までは貧乏大学生がよく「自分探しの旅」をしていた時期がある(私はそういう時間的余裕がなくてできなかったな……)。きっと彼らの多くは行きたいところに行っていたのではなく、今ここから離れたかったのだと思う。

高松 アート
WeBase 高松に設置されているヤノベケンジ作「SHIP’S CAT (Returns)」

 行きたいところはわからない。でもとにかく、今ここじゃないところへ行きたい。

 ときどき、私もそういう衝動に駆られる。そういうときには、まず航空会社やチケット代理店のセールを舐めるように調べてみる。興味があろうとなかろうと、どこでもいいのでチケットを安く買いさっさとホテルを抑えてしまう。それから旅程を立てる。手段と目的を逆転させてみるのだ。
 これがけっこう楽しい。貧乏性であればあるほど、元を取ろうとしてそこの街の名所やグルメなどを調べるので、偶然に任せつつ主体的に旅ができる。

瀬戸内海

 三ヶ月ほど前にセールで羽田―高松間の往復航空券を買ったきり、それから目の前の仕事に追われてあまり下調べができないまま、気づけばフライト前日になっていた。じつは初めての四国。土地勘がまったくないのだが、とりあえず以前より気になっていた直島へのアクセスや前売りチケットをネットで買うくらいしか事前の準備はできなかった。
 当日、高松に到着してホテルに荷物を預けたら、港方面へ歩きながらフェリーの時間や高松の建築などを調べる。前日までは日本全国で大雨や雪が降っていたのだけど、この日は気持ちよく晴れていた。

 フェリーに乗り込んで、すこし寒いけれど、甲板に出る。遠い昔、地理の教科書で瀬戸内海は地の利があってあたたかくておだやかな海だと読んだことがあった。磯臭さもなくて、海面は清冽だ。海というより大きな湖を眺めているみたい。
 春、しかも三月の海というと、特に東日本で育ったひとはどうしても15年前の震災を想起してしまうと思うけれど、みんなはどうなんだろう。私は横浜の実家が比較的港に近い場所だったのもあり、駅から家まで帰っている途中、街灯にある海抜表示を見ては「今津波がきたら終わりだな」と思いながら足早に歩いたものだった。風化させてはいけない教訓もあるけれど、同時に私は海への不信感のようなものも抱いてしまったような気がする。
 一方で、瀬戸内の光景はまるで海のことを疑っていないように見えた。自然と人間が互いにそっと手を繋いで頼り合っている。そんな街を見ていると、なんだか、ずっとずっと仲良くしたいな、と思うひとと出会えたときみたいな気持ちになった。

瀬戸内海

 高松から直島は一時間ほどで着く。最初は島内移動に原付を借りようとしたけれど、あまりに景色がのどかできれいだから、電動アシスト自転車に変更してのんびりと漕ぎながら新直島美術館に向かう。来島者は多様だ。春休み中とおぼしき若者や、中高年のひと、海外からの観光客もいる。いろんな言語が聞こえながら混沌とせず、それぞれがピースフルな空気を胸いっぱいに吸って共存している。

 直島新美術館の入り口の階段にちょっと息があがりつつ、コンクリートの直線的なミュージアム内を歩く。念願の蔡國強の『ヘッド・オン』を見て満足していたのだけど、そのあとのChim↑Pomの『スウィート・ボックス(輸送中の道)』にもっとも衝撃を受けた。輸送コンテナの中にパックされた道は、思い出を圧縮したようにも、瓦礫のようにも、未来の断片のようにも見えた。
 地震や陥没で割れて剥き出しになったアスファルトの割れ目が無性にこわい。破壊を連想させるのは言うまでもないのだけど、鮫肌みたいな断面を見ると、毎日その上を踏みつけて生きているのに、わたしはアスファルトの硬さをぜんぜん知らないんじゃん、と目が醒める。

瀬戸内海

 そのあともANDO MUSEUMとベネッセハウスミュージアムをめぐった。昨年のパリに旅行に行ったとき予定の組み方を間違えてブルス・ドゥ・コルメスに行けなかったぶん、直島で安藤忠雄の作品を鑑賞する。

 作詞も小説も、わたしが意図していなくても作品と作家の人格が結びつけられて読まれることはめずらしくない。むしろ近代以降は私小説的であるほうが「文学」的だ。作詞において、私は職業作家として繰り返されるリテイクに耐えて、思ってもないことを書いているつもりでも、「行きたいところへ行こう」ばかり書いてしまう。きっと「書く」ということはどうしても人格や思想を浮き彫りにする。実際に文章がほわっとしているひとって、直接会うとやっぱり纏っている空気がやさしいし、キレキレなひとはやはり尖ったオーラを解き放っている。文章と作者の雰囲気って正直あんまりギャップがない。

瀬戸内海

 一方で、安藤忠雄はあそこまで泥臭い人生を脱臭せずありありと語りながら、極限までシャープでソリッドな建物を作りつづけている。高校の頃の同級生が建築家になったのだけど、当時眉毛極細の神奈川ヤンキーだった彼が今作っている建物は、びっくりするくらいやさしくておだやかなものばかりなのだ。建築家はその雰囲気と作品がかけ離れるものなのだろうか。でも、同級生の彼はヤンキーなだけあって情に厚くてやさしいひとだったし、むしろ隠された、本人ですら気づいていないそのひとの性根が出るのだろうか。

 その勢いで地中美術館も……と思ったのだけど、その日のチケットが売り切れていたので断念。自転車でフェリー乗り場に向かったが、夕方の船に間に合わず、夜の最終便まで二時間ほど時間を持て余すことになった。

瀬戸内海

 困りながらぶらぶら島を歩いていると、ひときわ目立つ外観の直島銭湯「I♡湯」が現れる。バッグにはいつも思いつきで銭湯に寄れるように一回分のスキンケアセットを入れているので、大竹伸朗デザインのタオルを購入して突入。アートに囲まれながら自転車でかいた汗を流して湯船であたたまり、ふたたび港の待合室に戻って、瀬戸内レモンのレモネードを飲みながら読みかけだった本を最後まで読み終えると、ちょうど最終の小型高速船が港にきていた。小型なので揺れで酔わないかとちょっと不安だったけれど、すっかり船の中で寝てしまってあっという間に高松に帰ってきていた。

骨付鳥 寄鳥味鳥 高松
骨付鳥 寄鳥味鳥 高松

 夜は若鳥の骨付き鶏と小豆島オリーブサイダーをいただいた。炭酸の中にオリーブの深みがして不思議な味だった。グラスの中が宝石みたいに美しくて、ずっと眺めていたくてちびちび飲んだ。
 ホテルへの帰路、今日一日見たものがすべて幻だったのではないか、とプチ浦島太郎気分になって、スマホの自撮りカメラで自分の顔を見た。
 ちゃんと32歳の私が映っていた。
 行きたいところに行ったり、行けなかったり、思ってもないところに偶然辿りついたりして、そしてこれからもそうしてゆくだろう、私が映っていた。

Information
骨付鳥 寄鳥味鳥

香川県高松市兵庫町1-24
JR高松駅から徒歩15分
電話:087-822-8247

Profile
児玉雨子
作詞家、小説家。

アイドルグループやTVアニメなどに作詞提供。著書に第169回芥川賞候補作『##NAME##』(河出書房新社)、『江戸POP道中膝栗毛』(集英社)等。2025年に『目立った傷や汚れなし』(河出書房新社)刊行。

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