「あたたかいところで食べて寝て」――昼の野毛山でまったり週末 | 児玉雨子のKANAGAWA探訪#6 TRAVEL 2024.01.25

神奈川県出身の作家・児玉雨子さんによる地元探訪記。今回は横浜市西区にある野毛山(のげやま)公園へ。野毛というと前回訪れた繁華街を思い浮かべますが、野毛山はそこから50mほど上がった丘陵地一帯のこと。明治時代には豪商たちの住宅や別荘が建ち並び、野毛山公園はその跡地に造られました。園内にある動物園は1951年に開園。現在は約100種1500あまりの動物がいるそうです。

「夜の街」という表現があるが、あくまでそれは街に来る客の視座からの言葉であり、この自転する地球上に存在していれば、どんな街にも朝昼の陽の光があまねく降り注いでいるはずである。もちろん、地下や日当たりの悪い空間もあるけれど。
飲み屋街のことを中心に取り上げられやすい桜木町・野毛だが、その先の野毛坂の入り口には横浜市中央図書館が、さらにその坂をのぼると市営の野毛山動物園と公園があり、ひじょうに文化的な地域なのだ。このエッセイで野毛に行くならぜひともこのエリアにも触れたいと思っていたので、さっそく年が開けて最初の週末の午後、横浜駅に行く電車に乗り込んだ。
 
横浜駅のバスターミナルで89系統のバスに乗り込んで動物園に向かう。途中、神奈川大学みなとみらいキャンパスやぴあアリーナMMを通り過ぎ、桜木町、野毛坂などで乗降客が入れ替わると、いよいよバスは中央図書館から野毛山を上り始める。
道はうねうねと蛇行している上に片側一車線のみで、教習所のS字カーブのような坂道が続くのだが、車体の揺れも少なく、きれいに曲がったり一時停止から坂道発進してみせたりする運転手のドラテクに感心する。バスの運転手がバスを上手に運転できるのは当たり前なのだが、それにしても自家用車の運転をするときに車体感覚がわからなくならないのだろうか? いつも不思議に思う。
無事に野毛山動物園に到着し、乗客のほとんどがそこで降りる。目の前の車道は横断禁止のため、動物園へ向かうにはバスの停留所のそばにあるミントグリーンの歩道橋を渡る必要がある。この橋は柳宗理がデザインした「野毛のつり橋」というもので、実際にはつり橋ではなく斜張橋だそうだ。

横浜市立 野毛山動物園

横浜市西区老松町63-10
*JR京浜東北・根岸線、横浜市営地下鉄 桜木町駅から徒歩15分
*京急本線 日ノ出町駅から徒歩10分
*桜木町駅より横浜市営バス89系統「一本松小学校」行き「野毛山動物園前」下車すぐ

児玉雨子 野毛 野毛山動物園

この「つり橋」もとても美しいのだが、そこから見晴らす動物園の入園口や起伏の激しい山に叢生する家々のようすが、妙になつかしさを誘う情景なのだ。子どものはしゃぐ声、市営バスが走り去って行く音、真冬の昼の透き通った陽の光。それらを通り過ぎながら少し揺れる橋を早歩きで渡り降り、動物園に入園する。ちなみに野毛山動物園は市営のため入園料は無料だ。その代わりに、順路の途中にあるライオンの形をした募金箱に心ばかりの小銭を入れてゆく来園者が多い。
入園すると右側に「なかよしショップ」というおみやげとソフトクリーム店が併設されている施設がある。市営の動物園だからか、お店自体がかなり小規模で商売っ気がないうえに、そこに陳列されているぬいぐるみは野毛山動物園オリジナルグッズではなく、AQUAというぬいぐるみ等を取り扱うメーカーの直営店だ。
この日は気温が10℃を切っていたので少し迷ったものの、せっかくなのでカップのソフトクリームを注文し、すぐそばにあるバードケージを眺めながらベンチに座っていただくことにした。濃厚なソフトクリームを口に運ぶたびに童心に返るような感覚がする。この動物園はなつかしさを抱かせる魔力でもあるのだろうか? まだほとんど何の生き物も見ていないのに、せつなくてすでに胸が苦しい。

児玉雨子 野毛山動物園

目の前のバードケージではトキやカモ科の鳥が飼育されていた。一時間後に餌やりの時間があるらしく、鳥たちはその時間までじっとして体力を温存しようとしているのかあまり前に出てこないので、ソフトクリームを食べ終えたらすぐに順路の2へ向かった。
2には野毛山動物園の象徴のようなレッサーパンダがいるのだが、こちらは餌を食べておなかいっぱいになったのか、奥の部屋に入って丸まってこんこんと眠っていた。惜しい一方で、寒い冬に暖かいところで丸くなって眠っている動物を見るとこちらもどこか満たされるような気もしてくる。部屋を覗けるガラス窓の前で、来園している子どもたちが思わず息を潜めてレッサーパンダを起こさないように見つめていた。
隣で手持ち無沙汰に人間観察しているチンパンジーと見つめ合ったら、次は爬虫類館だ。その名の通り、ワニ、ヘビ、イグアナ、カメなどが飼育されている。こっちを見てほしい、なるべくかわいらしい瞬間を見せてほしい、と思う人間側の都合など気にせず、エミスムツアシガメという陸棲の大きなカメが三匹身を寄せ合って草を食べていて、そのようすを隣のヨウスコウワニがじっと覗っていた。露骨に食物連鎖の図を想起してしまい、思わず吹き出してしまう。

爬虫類館を出ると、ライオン、タヌキ、さまざまなサルやキリン、シマウマの檻が並んでいる。ライオンとタヌキはまたまたお腹いっぱいでよく寝ていたのだが、サル、キリン、シマウマの食事はこれからなのか、やたら人間のほうに跳んできたり威嚇してきたりして、彼ら彼女の周囲には来園者が集まっていた。すごく動物園らしい風景だ。特にキリンが最も「わかって」おり、長い首を柵から出して、プロキリンとして子どもたちを喜ばせている。
冒頭から動物たちが食っているか寝ているかばかりだったので、なんか……あんたが楽しいならそれでいいけど、別に嫌々人間のためにサービスしなくていいからね? と声をかけたくなってくる。

フラミンゴ、アリクイと見て坂を下り、大池を通り過ぎて木がせり出した階段を上るとペンギンがいる。ちなみに、一部の鳥類はこの時期鳥インフルエンザの影響でお休み中で、このエリアにいるコンドルは観ることができなかった。
その隣に飼われている二頭のツキノワグマがそれぞれちょうどお昼の時間だったので、それを眺めることにした。野毛山動物園では週や時間ごとに「お食事タイム」というイベントを設けており、飼育員が手ずから動物たちに餌をやりながらその動物の説明や来園者の質問に答える時間があるのだが、ツキノワグマのように人間に危害を加えうる動物は直接餌やりができないため、一度別の檻にクマを入れて鍵をかけてから、飼育員がいつもの檻の中に餌を並べるやり方だった。年末はヒグマ被害のニュースがいくつか出ていたが、ツキノワグマは基本的に草食動物だそうで、飼育されている個体の食事もリンゴや葉っぱなどヘルシーなラインナップだった。私たち来園者は食べ物にむしゃぶりつくツキノワグマに引き寄せられ、背伸びしたり立ち位置を変えたりして、熱中して見つめていた。
少し視線を移動させると、ツキノワグマのケージに貼られているオスの説明文が掲示されている。いつどこで生まれたとか性格とか、そのオスグマに関する記述の最後に「現在はメスに片想い中」とあった。そんなことプライベートなことを書いてあげるなよ……と内心苦笑していると、ほとんど同じようなことを斜め前にいる家族が笑いながら話していた。
ふと、藤子・F・藤子のSF短編に「気楽に殺(や)ろうよ」という、食欲と性欲が逆転した世界の物語を思い出す。その世界のひとたちからすれば、片想い事情にあまり興味を示さず、動物が夢中で食事しているところを食い入るように見つめる私たちなんて、とんでもなく下品で奇妙なオーディエンスだろう。自分でも不思議なくらい、食べたり眠っていたりする生き物に魅入られっぱなしだ。どうしてもいとおしさを抱いてしまう。
鳥インフルエンザ対策で非展示中の生き物もいるので、園内はゆっくりでも二時間以内で回りきれる。最後にバードケージに戻ると、本日最後の「お食事タイム」が始まった。また食事だ! 私はケージに大人気なく飛びついて食い入るように鳥を観る。
飼育員が魚やエビ、トキフードやカモフード(「ドッグフード」と言うように、それぞれの動物に調合した〇〇フードを作って餌やりするそうだ)を床に並べ、最後に「この子には手で直接あげます」と言い、飼育員の足元でまだかまだかと待っていたホオアカトキに餌をやり始めた。よく見るとそのホオアカトキはくちばしが欠けている。飼育員曰く、ある朝出勤したら既にこの状態だったそうだ。絶滅の危機に瀕している鳥らしいので死ななくてよかったが、それからしばらく落ち込んでごはんも食べられなくなっていたそうだ。今も痛々しい姿だが、これでも当時よりだいぶ精神的に回復してきたらしい。そんな事情も知ってしまうと、トキフードをつつくホオアカトキを見守る視線もぐっと熱くなる。一緒にお食事タイムを眺めている来園者たちの中から、痛かったねぇ、でも元気になってきてよかったねぇ、と言葉が漏れ出していた。
動物園の良さは子どもを驚かしたり写真映えしたりするようなかわいくてユニークな瞬間ではなく、食べ、寝て、排泄し、時には怪我をしてしまい、大して愛想を振りまいてくれるわけでもなく、ただそこで生きている他者の姿を知ることができるということもあるのかもしれない。

生き物ではないが、園内には横浜市電1500型の車両が保存されている。中に入ることができるので、歩きっぱなしの足を少しここで休めてから、園を出て市営バスで野毛大通り駅まで下る。
私もお食事タイムだ。前回のノンアル野毛食べ歩きで行きそびれた洋食キムラに入る。二階席に通され、ダウンジャケットを脱ぎながら年末の夜に夢にまで見たハンバーグセットを頼んだ。動物園に行った直後に肉と玉子料理なんてよう食べるよな、と自分の食い意地にドン引きしつつ、目の前に配膳された貝殻の形をした容器の中でぐつぐつ煮えるデミグラスハンバーグと真っ黄色な生卵を見ると、右手はナイフ、左手はフォークを探してしまう。
ハンバーグを切り分けパンをちぎって口にしながら、ホオアカトキについてググる。都市開発によって生息地が壊されたり撒かれた殺虫剤を食べてしまったりして、スイスやドイツでは十七世紀に絶滅し、そこから逃れてトルコやアフリカ大陸で越冬し繁殖していた個体群もやがて絶滅してしまったそうだ。現在は残った個体を繁殖させ、世界のさまざまな動物園で飼育している。名前も知らない鳥がいて、自分が生まれる前からその種は絶滅しかかっていて、今日まで保全されている。野毛山動物園に行かなかったら、そんなこと知らず私はもうちょっと能天気に肉や玉子を食べて過ごしていたかもしれない。私はヴィーガンではなく、きっとこの先も肉食をやめられないし、フェザー入りのダウンジャケットを着ているし、動物に対して積極的な愛護活動もしていないが、せめてこういった出来事や歴史はとりあえずできる範囲で受け止めることにしている。何も知らないことで保つ現状は、あんまり幸せなものじゃないだろうと思うから。
能登半島の地震から始まってしまった2024年だった。今も被災されて避難生活を余儀なくされている方々がいる。あたたかいところでお腹いっぱい食べて安心して眠ることができることがどれほどかけがえなく、いとおしく、小さく、重大で、守られなければならないことなのだろう。それらのことについて人間も動物も関係ないのだ。

洋食キムラ 野毛店

横浜市中区野毛町1-3
*JR京浜東北・根岸線、横浜市営地下鉄 桜木町駅から徒歩9分
*京急本線 日ノ出町駅から徒歩8分

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