蛙亭イワクラ「朝まで桃鉄ばかりやっていた、あの頃のこと」 | 連載【即断すぎて周りがとめる】 vol.5 LEARN 2024.03.25

蛙亭イワクラさんは一見おっとりしているようだが、実は意志が強く、即断即決の人(早すぎて周りが「ちょっと待って、一回考えよう」と止めることもあるそう)。でも「イワクラを見ると周りが何かしてあげたくなる」ようなほっとけなさもある。「お笑いが人生を楽にしてくれた、自由にしてくれた」という彼女が見てきた景色、最近思うことについて少しずつ話してもらう連載です。
イラストはコンビの相方、中野周平さんが担当。

みんなで住むとすごく落ち着く。ルームシェア、今でも好きです。

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 ルームシェアが好きです。いまはひとり暮らしですが、20代のころのようにまたみんなで住むのも楽しくていいなあ、とたまに思います。ルームシェアをやってみてわかったのは、みんなで住むとすごく落ち着く、ということ。親友と、一緒にいて楽な人と住むのが重要ですけれど。
  初めてのルームシェアは大阪時代。「華山」のやすいと、いまは「とくいち」というトリオをやってるあさやまんちゃんランドと3人で住みました。
  わたしたちはNSCの同期で同じクラスの仲良し。NSC時代はそれぞれバラバラに住んでましたが、卒業後は吉本の劇場に出るためにオーディションを受けまくらなくちゃいけないので難波の劇場の近くに住まないとやっていけない、そうなると、お金がないから芸人同士でルームシェアをするしかないんです。基本わたしは人見知りだし、ワイワイするのは苦手。でも、1人3万円ぐらい出せば街中に住めるし、1人1部屋あってリビングがある、そういう広い家にも住めるというのも魅力でした。
  面白かったのは、やすい。彼は高卒でNSC入って、京都の実家から通ってたんで、ひとり暮らしの経験がなかったんです。だから、ルームシェアを始めたときに、何をどうすればいいのかわからなかったみたいで、料理や掃除といった家事をしないのはもちろん、トイレットペーパーが芯だけになっても変えなかったり。いちばんショックだったのは麦茶。わたしがいつも麦茶を作って冷蔵庫に入れとくんですけど、飲もうと思うとないんです。容器の中にちょっとだけ、1/5ぐらい残ってるだけ。やすいが1人でめっちゃ飲んじゃうんです。飲むのはいいんだけど、飲んだ後に継ぎ足したり、新しいパックを入れて作ったり、ということを一切しない。麦茶は自然と湧き出てくるものだと思ってたのかなんなのか。その後、麦茶を作るのは廃止しました(笑)。
  とはいえ、「隣人」の中村遊直や「さや香」の新山、あとわたしの相方もしょっちゅう入り浸っていたので、3人だけの、というより、同期みんなの家、という感じもありました。
  とにかくあのころはヒマでした。オーディションは受けるんだけど、なかなか結果が出ない日々。やることといえば「桃鉄」ぐらい。朝までずっと、「100年」やりました(笑)。
  最初のルームシェアは2年くらい続いたのかな。なぜ終わってしまったのかというと、電気代が異常に高い、ということに気付いたからなんです。というのも、玄関先に銀色のでっかい湯沸かしタンクが置いてあって、たまにお湯が出てこなくなるポンコツだったんですが、それが異常に電気を食っていて。で、「この家、変じゃね?」となって、みんなで出ることになったんです。
   その後、わたしは2回目のルームシェアをするんです、別の同期と。それはもともとわたしの相方が住んでいた家で、ポートワシントンの笠谷翔平、あさやまんちゃんランドの元相方の3人で住んでたんですが、わたしの相方に彼女ができて彼女と同棲することになって「抜けるわ」ってなったので、入れてもらいました。
  そこはもう、みんな意識高くてちゃんとしてて。掃除もみんなでちゃんとやるし、部屋の中もすごくおしゃれにしてたし、麦茶がなくなってしまうこともなかったし(笑)。特に、笠谷くんがギターが上手で、ギターを弾いてみんなでゆずを歌ったり、というのが楽しくて。
  ご飯も笠谷くんがよく美味しいものを作ってくれました。彼は小学生のときにニューヨークに住んでた帰国子女。「バッファローチキン」っていうアメリカの料理があるんです。チキンを揚げてケチャップで甘辛く味付けて、それにブルーチーズソースをつけて食べる、っていう料理なんだけど、それがもうめっちゃ美味しい。「今日はみんな集まるからバッファローチキン作るぞ!」って。
  そこにも新山はよく泊まりに来てました。リビングのこたつでごろ寝しながら何泊も。挙げ句、笠谷くんの服を勝手に着て、喧嘩になって。その後、新山は出禁になりました(笑)。
オーディションを受けても落ちる日々。駆け出しのころはみんなヒマで、同期の仲間と一緒に「桃鉄」ばっかりやってました。
オーディションを受けても落ちる日々。駆け出しのころはみんなヒマで、同期の仲間と一緒に「桃鉄」ばっかりやってました。
illustration_Shuhei Nakano(kaerutei) edit_Izumi Karashima

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