はい、わかりました。/寿木けい 第9回 ひんぴんさんになりたくて。 LEARN 2023.01.22

本誌巻頭エッセイ、寿木けいさんの「ひんぴんさんになりたくて」。ひんぴんさんとは、「文質彬彬(ぶんしつひんぴん)」=教養や美しさなどの外側と、飾らない本質が見事に調和した、その人のありのままを指す​、​という言葉から、寿木さんが生み出した人物像。日々の生活の中で、彼女が出逢った、ひんぴんさんたちの物語。

この連載を楽しみにしてくれている友人に言わせると、筆者の周りは素敵な人脈とええ話ばかりで、うらやましいが半分、ほんまかいなが半分だそうだ。
これは少し意地悪だけど面白い視点で、それほど、日常で誰かと共有したい話題というのは、ちょっと物申したくなる“非ひんぴん”なものが多いのだろう。
秋のはじめのこと。ひんぴんならざる出来事があった。
ある銀行(Aとする)に融資を申し込んだが、断られてしまった。担当者に理由を尋ねたところ、上司にあたる人が電話口に現れた。初めましてのその人は、つまりその……と言葉を探したあと、
「まともなお仕事をされていないので」
のどが詰まって何も言い返せなかった。
本来、銀行側に答える義務はない。なぜひとこと、お答えできませんと突っぱねてくれなかったのか。悔しくて悔しくて、心がぺしゃんこになってしまった。
こういうとき消費者が取る選択肢はひとつ。その企業とは付き合わないことだ。後日ほかの銀行から無事融資を受けられたこともあり、私はAの口座を解約して預金を移すことにした。
しかし、嫌な予感は重なるものだ。解約手続きに訪れた窓口で、先方の不注意によって、なんと預金の一部を溶かされ(失われ)そうになっていたのだ。
Aからの突然の電話で、私はそのことを知らされた。責任者の男性が「ご自宅にうかがってお話を」と繰り返すたびに、私は冷静になり、声は低くなって、相手を責める言葉が滑らかに出てきた。
「あなた方とお話しすることはありません。お金はきっちり返してください」
言いながらも、私は恥ずかしかった。感情をコントロールできなかったことも。相手を追い詰める表現をたくさん蓄えていたことも。
なぜ私はこんなに怒っているのか、誰にも打ち明けられず、じっと考えた。
何日か経つと、霧が晴れるように、だんだんわかってきた。
Aの窓口にいたのは全員女性だった。しかしトラブルがあるたびに電話で詫びてくるのは、知らない男性たちなのだ。視線を合わせていろんな話をした彼女たちは透明な存在になり、代わりに、男たちのやれやれこちらの言い分を飲みさえすればいいんだよというムードが伝わってきた。そうやって名前を奪われ、侵されたことが、私は苦しかった。
まともな仕事という表現を思い出す。もし私が男性の物書きでも、彼らは同じように判定するだろうか。

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情報の氾濫はときにありがたいもので、怒りを抱えてうつむいていた私に、言葉のほうから近づいてきてくれるような出来事があった。
大野勝彦さんの『はい、わかりました。』という詩画集のことを知ったのは、通りがかりに読んだブログだった。
大野さんは45歳のとき、トラクターの修理中に誤って右手を巻き込まれ、次いで、それを引き出そうとした左手も一瞬にして失った。その痛みに、想像は決して追いつくことはできない。
詩画集の題は、ある日、運命を受け容れた大野さんが発した台詞(セリフ)である。
世界をひっくり返す言葉だ。この言葉を胸に、額をお天道様に向けて一歩踏み出す大野さんの姿が目に浮かぶ。
花なんて咲いて当たり前だと思っていたと語る大野さんは今、画家となり、故郷・阿蘇の自然を描いている。お元気な姿は動画でも見ることができるので、ぜひ検索してみてほしい。
私は大野さんの言葉をもらって何ができるか。そして、何ができなかったのだろうか。
A側の事情をいったん聞き入れて会話することが、私にはできなかった。対話を拒絶する態度で相手をコントロールしようとし、自分の言葉まで閉じ込めた。「そうですか、事情はわかりました」に続けて、自分の言葉を投げかけなくてはならなかった。でも、私としてはこう思うんです───たとえばこんな風に。つまり、怒りへの対処は、怒る前の生き方からすでに始まっているということだ。
言葉を尽くして説明することは、相手のみならず、自分の思いも尊重すること。説明を受け容れるかどうかもまた、相手に委ねられている。
ならば、自分と同じだけの思いが返ってくる保証はなくても、受け容れる姿勢を先払いするまでだ。大野さんが宿命に対してそうしたように。

illustration : agoera

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