伝えたかった、言葉たち。 山崎怜奈の「言葉のおすそわけ」第14回
アイドルとしてはもちろん、ラジオパーソナリティとしても大活躍。乃木坂46の山崎怜奈さんが、心にあたためていた小さな気づきや、覚えておきたいこと、ラジオでは伝えきれなかったエピソードなどを、自由に綴ります。
(photo : Chihiro Tagata styling : Chie Hosonuma hair&make : Yu Kuroda)
「肩書き」
小学生の頃なんかは、みんなと同じ方向に歩むことを強制されるのが苦手だった。もちろん言われた方向を見るし、課されたお題を真面目なフリをして淡々とやるけれど、生意気にも「これ何の意味があるんだろう」と腑に落ちないことも多々あった。例えば、高学年になったらマストで既存の部活に入らなければいけないという謎ルールがあったので、希望者数が少なく争わずに入れる手芸部を選んだ。編み物に集中して取り組むことはできるわけだから、むしゃくしゃするのは体質的な問題ではない。何かに分類されることを受け入れないと次のステップに進めない世界に、居心地の悪さを感じていたのだと思う。
結果からお伝えすると、幸か不幸か今の私は何かに特化した人間にはなっていない。歌をかじってダンスもかじって、ラジオで喋らせてもらって、歴史番組では偏愛を語り、クイズ番組では回答者になり、今は夜な夜なエッセイを書いている。仕事が複数の分野にまたがっていると、一体どこの人なんだって指を突き付けられることもある。どれも何が正解なのか分からないまま手探りでやっているし、ひとつのことをじっくり腰を据えて突き詰めてやる方が鋭利なことができるだろうから、「浅く広くやるなんて中途半端だ」と言われたら頷くしかない。大人だからこそ、人や世間からどういう風に見られるかとか、客観的な視点が想像できてしまって、自分の浅学っぷりとか、技術的な稚拙さとかもよく分かっている。矛盾するようだが、自分の納得感と他人からの評価が一致することもほとんどない。
だから、いっちょまえに「アイドルです」「ラジオパーソナリティです」なんて言える自信はないし、肩書きというものは後からついてくるものだから、他者から括られることはあっても自ら名乗るようなことは難しい。何事もやり始めてすぐには全部ハイクオリティで出せないから、当然失敗もする。
ただ、「好きだからやる」ことからは逃げたくない。大学卒業とともに「学生」という長年連れ添った肩書きの一つが外れた時、やかましいレッテル張りは気にせず、やりたいことは全部やり尽くすと決めたのだ。肩書きを追いかけている人はいるし、自分の中にもそういう部分が全くないわけじゃないけれど、肩書きを得たって必ずしも安泰に生きていけるとは限らない。肩書きも地位もステータスも、それらの価値を決める評価基準だって、いとも簡単に変わる。もちろん、個としての自分を直視するのは怖いけれど、変に考えすぎる前に、自分がやりたいことって何だっけと思い返してみるのは大事だと思う。今は稚拙だとしても、浅く広くやり続けて歳月が経てば、やった量と比例して全部のレベルを上げることはできるから救いようはある。「自分が好きなんだからいいじゃないか」と楽観的になっていい時だってある。
いろんなことに手を出してきて一番良かったと思うのは、かつて見聞きしたものがタイムカプセルのように蘇って、自分や誰かを救うヒントになった時だ。美術館に行ったりミュージカルを観たりラジオを聴いたり本を読んだり、ある時は料理をしたり絵を描いたり陶芸をしたり、そういった娯楽から得た知識がクイズに活きることだってある。それらの体験をラジオで話すこともあれば、言い足りなくて後日エッセイに書くこともある。無意識のうちに全てが影響し合って、色々な外部からの刺激がごちゃごちゃに混ざっていくのがあまりにも楽しい。私はずっと好奇心のかたまりだし、何者でもなくて良いし、肩書きなんて、よもや何でもいい。