経験を活かして人の助けになれば。 『原因不明の不妊と診断されて、さまざまな治療法を経験して思ったこと』/不妊ピア・カウンセラー・松本彩乃さん LEARN 2022.02.19

友達にも、時には親にもなかなか言えない治療のこと。 だからこそ、つらい時の伴走者になりたいと活動する松本彩乃さん。彼女の妊活経験は6年にもわたる長いものだった。

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結婚してすぐに妊活を始めた松本彩乃さん。「積極的に妊活をしていました。避妊をしなければすぐにでも子どもを授かれるものだと考えていました」。ところがなかなか妊娠しない状態が1年続いた。「『精液の検査キットがあるから、検査してみたい』と夫から提案がありました」。検査結果は異常なし。松本さんも一般の婦人科で検査をしたが、妊娠に必要なホルモンなどの数値はすべて正常範囲だった。

「検査をすれば子どもができない原因がわかり、治療をすれば授かれると思っていました。原因がないという事実がとてもショックでした」。不妊治療専門クリニックを受診しようとしたら、初診まで3カ月も待つことになると言われたので、まずは近くの一般の婦人科へ。今思えば、数カ月待ってでも専門医を受診すればよかったと振り返る。「20代のあなたはまだ若いから大丈夫と言われましたが、やはり専門医にこだわるべきだったと思っています。結果的に遠回りになりました」

夫の転勤で引っ越したのを機に、不妊治療専門クリニックへ。そこで、一般のクリニックでは聞いたことがなかった腹腔鏡検査を提案された。原因を究明できるならと、徹底的に調べる決心をする。でも、原因はわからなかった。松本さんは30歳になっていた。ここからいわゆる高度生殖医療と向き合うことになった。

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「まずタイミング法と人工授精を行いましたが、この2つについて、妊娠率自体はそんなに変わらないと初めから言われていました。何度か挑戦しましたが、結果はダメでした」その後、体外受精に挑戦。医師の提案で、より受精の可能性が高い顕微授精を行った。「人生で初めて陽性反応を見ましたが流産となりました。とてもつらく、治療に立ち向かう元気が全く起きなくなってしまい……。1年間妊活をお休みしました」この時は夫とも「今が一番つらい」と悲しさやつらさを分かち合い、なんとか乗り切った。「でもきっと、いつか子どもを授かるんだ。その気持ちは根底にありました」。

ある日、夫が「また頑張ってみない?」と声をかけてくれたという。ずっと支えてくれていた夫からの一言で、一念発起。再度転院をし、顕微授精、凍結胚移植をして、やっと双子を授かった。妊活開始から年が経過していた。「治療していることを声高に周囲に言えなかったし、貯金だって取り崩していました。不妊治療は精神的にも経済的にも負荷が大きいです。その経験を活かして、これから妊活をする人たちの思いにどこまでも耳を傾けていきたいですし、いつでも相談する場所があることを知ってもらいたいと思っています」と、今は双子の子育てをしながら妊活や不妊治療に悩む人に伴走する、不妊ピア・カウンセラーとしても活動している。

Profile…松本彩乃 (まつもと・あやの)

子育て、仕事の両立生活を送りながら、NPO法人Fine認定不妊ピア・カウンセラーとしても活動している。

(Hanako1205号掲載/photo : Kenya Abe text : Yuko Watari)

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