言いたいコト、書きたいコトバ…混じり気ナシ! 弘中綾香の「純度100%」~第15回~
ひろなかあやか…勤務地、六本木。職業、アナウンサー。テレビという華やかな世界に身を置き、日々働きながら感じる喜怒哀楽の数々を、自分自身の言葉で書き綴る本連載。今回はあるイベントについて改革を訴えます。
「祝福に自由を!」
私は披露宴が苦手だ。招待状が来ると、「…ぅ」と小さくうめいてしまう。なぜか。それはあまりにも、自由がないから!リスケはできない、食事は選べない、席も選べず、着ていく服にもルールがある!こんながんじがらめのイベント、ほかにありますか?ありません!!!
「ああ、結婚できない女のひがみね」と思われるひともいるでしょう。それもあります!が違います!!私は、祝いたい気持ちはある。けれども、果たして、その「新郎新婦を祝福する」という目的に対する手段として「披露宴に出席する」が最適なのか、という疑問を持っていて、否、違うのではないか、と思っているわけです。
思い返してみてほしい。大広間にずらっと並んだ円卓。始まると、まず主賓のスピーチ、乾杯のご発声、歓談、ケーキ入刀、VTR、挨拶。お決まりの流れで、会が進んでいく。こちらは新郎新婦と話したいのに席は離れているし、席を動けるのは、ちょっとした合間の写真撮影と、最後のお見送りくらい。話せるのは一言二言。もっと伝えたいのに、ずっと見ているだけ。二人の生い立ちも、出会いも、馴れ初めも、結婚の決め手も、全部VTRで紹介される。プロジェクターをみんなで見ているんじゃ、時間を作って集まっている意味がない…。いつも思うのだが、この動画を行きの電車で見ておくと、もっと楽しめます!みたいにYouTubeのURLを送ってくれた方がよっぽど効率的ではないかと思う。ご祝儀だって、会場代や食事代に消えてしまうのならば意味がない。今はやりのクラウドファンディングみたいに、金額と使い道とリターンを選べたら、素敵じゃないですか?1万円で会費のみ、1万5000円で、会費と新居で使う家電のカンパ、リターンはホームパーティご招待券!のように。
こんなふうに披露宴の色んな場面に「これは本当に必要か?」「惰性でセオリーを踏襲しているだけではないか?」という疑問を持ってしまうから、楽しめないし、アンチ披露宴だし、「ここに私は必要なのか?」と思ってしまう理由なのだと思う。あたしゃ、もっと自由にお祝いしたいんだよ!みんな自由に行こうよ!
大事なのは双方の気持ちが伝わるかどうかなのだから、別に場所も時間もどこでもいいと思う。近所の居酒屋でいいし、家でもいいし、どこか旅行に行ってもいい。服装がパジャマだって、気にしない!とにかく、ちゃんと表情がわかる距離で、たくさん話して伝えたいなあと思う。何もかも直接聞いた方が、温度は伝わってくるもの。これまでの道のりを都合よく編集したものではなくて、色んな角度から聞いた方がいいに決まっている。破局の危機はなかったのか、家族とはうまくいったのか、本当の決め手はなんだったの?そんな話をたくさん聞きたい。2対何百のコミュニケーションではなく!
こんなこと書いていたら、これから披露宴に呼ばれなくなりそうだけど、それはそれで狙いだったりして(笑)。