「 切り干し大根スープ 」 児玉雨子のきょうも何かを刻みたくて|Menu #9
「生きること」とは「食べること」。うれしいときも、落ち込んだときも、いそがしい日も、なにもない日も、人間、お腹だけは空くのです。そしてあり合わせのものでちゃっちゃと作ったごはんのほうがなぜか心に染みわたる。作詞家であり作家の児玉雨子さんが書く日々のできごととズボラ飯のこと。
ケアレスミスに凹みながら保存食に救われる。
近ごろ、おっちょこちょい……といえばかわいい感じがするけど、仕事でも生活でも不注意が増えている。
作詞家というと、優雅に羽根ペンで詞を筆記してゆくイメージを持たれることもある(笑)。そういう先生もいると思うが、少なくとも私は猫背でPCに向かい、ドデカミン片手に音楽制作ソフトを触っている時間のほうが長い。
私の作詞作業は二段階ある。まずデモ音源を聴いて歌詞を書く。そのあと、メロディに詞をどう乗せるか(譜割)を明らかにする。この作業には、さらにふたつ方法がある。ひとつめは、実際に自分で歌ってみて、そのボーカルデータをデモに重ねて「仮仮歌」というものを作る。この後にボーカリストに歌ってもらった「仮歌」を制作するので、このターンでは「仮仮歌」と呼んでいる。私は歌が得意じゃないため録ったボーカルデータの修正が必須なのだが、その修正クオリティも全く追求しないので、人間が歌っているのにボカロより不自然な仮仮歌が出来上がる。ふたつめは、譜面に歌詞を書く方法。これはたとえばメロディが細かい場合や、アニソンの場合は最初から譜面を用意してもらえることが多い。
さて、何が不注意かって、この両形式で譜割資料を作っていると、後から他のフレーズを思いつくなどして、歌詞修正を同時並行で行うことがある。この時に、元の初稿データを直さないままディレクターに送ってしまい、仮仮歌や譜面と歌詞が違う事態になるミスを、なんと3回も連続で起こしてしまった。いずれも本REC前にスタッフが気づいてくれたおかげで事故は防げたものの、さすがに申し訳なくて凹む。さらにこういうのはなぜか連鎖しやすく、生活面では同じ野菜を買いまくってしまったり、ものを忘れたり、時間を間違えたり。一度つまずくと一気にやらかし、地味なダメージ蓄積が続く。
今日も大根を買い忘れ、まだあるのににんじんを買ってしまった。またか……とがっくりしながら、もう今日は疲れたしカップラーメンにしようかなぁと保存食の棚を見てみると、切り干し大根のストックが山ほどあるじゃないか。定番の煮物もいいけど、今回は買いすぎた野菜と一緒にスープにすることに。どこか気持ちが慌てているからケアレスミスが増えるのかもしれない。一旦あったかいものを食べて落ち着いて、今進めているものに問題がないか、確認だ。