【中村佑子さんインタビュー】ゴールから逆算し、エビデンスを求められる社会の中で | 『わたしが誰かわからない ヤングケアラーを探す旅 』| きょうは、本を読みたいな #5 CULTURE 2024.01.19

数時間、ときにもっと長い時間、一つのものに向き合い、その世界へと深く潜っていく。スマホで得られる情報もあるかもしれないけれど、本を長く、ゆっくり読んで考えないとたどりつけない視点や自分がある。たまにはスマホは隣の部屋にでも置いといて、静かにゆったり本を味わいましょう、本は心のデトックス。第5回目は中村佑子さんの新刊『わたしが誰かわからない ヤングケアラーを探す旅 』について著者の中村さんにインタビューしました。

中村佑子 マザリング ヤングケアラー ケアをひらく

「ヤングケアラー」という言葉への驚きと戸惑い。

その中に入ると、やさしいものにやわらかく包まれる。しゃがみ込みじっとしているうちに、誰のものかわからない記憶が寄せては遠ざかり、目の前の水滴が流れる様だけをたどるようになる。自然と涙が頬をつたい、ずっとここにいたいと願ってしまう。香川県豊島にある美術家・内藤礼の《母型》という作品を体験するたびに、このような状態になるのはなぜだろう。心揺さぶられ惹きつけられるままに、いくつかの作品を追うなかで、創作する内藤の姿を映し取ったドキュメンタリー映画『あえかなる部屋 内藤礼と、光たち』(2015年)が公開された。その監督をしていたのが映像作家の中村佑子さんだった。

中村さんがこの冬上梓した著書『わたしが誰かわからない ヤングケアラーを探す旅』は、前作『マザリング 現代の母なる場所』と同様に、エッセイ集なのか論考集なのかよくわからない立ち位置の作品で、どこにもカテゴライズされないその曖昧さ自体がこの本の面白さを表している。母親の精神科入院の経緯から始まり、心の病を抱える家族に寄り添う人々の声を聞くことで、著者自身の内面の変化を体験するこの本。大学で哲学を学び、テレビマンユニオンでドキュメンタリーを撮っていた著者の、生の感情に触れ続ける感覚で読み進められる。というのも、中村さんは着地点をほとんど決めずに対象者に向かい、その間の自分の心が揺れ動く過程を文字にしているからだ。
「何かを作る場合、進めているうちにいろいろな思考が巡らされたり、最初に考えていたのとは違う形になったり、変化そのものがもうすでに自分の中で抜きがたい物語になっている。たぶん私にとって書くことやものを作ることは、思考や感情のプロセスそのものを提示する行為なのだと思います。それは人間が生きていることとほぼ同期していて、人が現実に鋒(きっさき)を向けて生きている、それそのものを取り出して作品にしたい。本にしろ映像にしろ、そうやって自分が生きていく場所にも誰かが生きていく場所にもつながっていくような作品を作りたいと考えています」
『マザリング』でも最初に思い描いていたテーマからどんどん拡張し、自分の母親や母ではない人にたどり着いていた。まるで寄せては返す波のように変化する運動体。それはこの本でも同様で、始点から徐々に揺れ動き流転していく。
「最初の章では、精神科で母に付き添っていた日々や、病院で見た他の女性たちについて書いています。そこからヤングケアラーのほうへテーマが変わっていきました。というのも、ここ数年でヤングケアラーという言葉が定着してきて、自分ももしかするとそれに該当するのではと驚きと戸惑いがあったんです。母を気にかけるのは私の日常に当たり前に組み込まれていることで、改めてケアラーと名付づけられるようなことではない、という気持ちがある。母が元気なときもあるし、私がケアされることもあったから、そこはグレーゾーンなんです。ヤングケアラーという言葉にひそんでいるグラデーションの部分を書きたくて取材を始めました。そのなかで母を見つめていた子ども時代を回想すると、自分と赤ん坊との自他未分(自分とは別の存在である他者と同化する感覚)に驚いたことが『マザリング』を書くきっかけだったのですが、そもそも子どもの頃から母に対して自他未分だったと気がつきました。母を気にかけたりケアをしたりしていた、そのケアを成就できる私はすでに自他未分だった。つまり子育てや介護など、誰かの世話をすることは自他未分になること。それは一瞬の自己消滅かもしれないけれど、また自分に戻るときもあって、でも相手の痛みを感じようとすると自分が溶ける。そうすると痛すぎるからまた自己を閉じる、という自己の崩壊と自己保存の繰り返し。すなわち個が固まらないということです」

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書くことで新しい視点が見つかり考察は続いていく。

中村さんが撮った映画『あえかなる部屋 内藤礼と、光たち』には、半ばに驚きの展開がある。途中で内藤に「もう撮られたくない」と拒否された後、そこから突然4人の女性たちの物語が始まるのだ。そして本書でも似た中断が起こる。精神疾患の姉と子どもの頃から向き合ってきたマナさんの話を聞いた後、数人の取材を重ねるが、二人の対象者から掲載を拒否されたことで落ち込み、筆が止まってしまう。
「家族のことを私の視点で書かれている文章で読んだときに、自分が話したことだけど、病の当事者ではないから許可できないと気づいたのではないでしょうか。取材時に対象者の話した言葉はその場で流れていきますが、書かれた文字だとその時点で過去のもの、つまり定着して固形になる。病の誰かが苦しんでいて現在も自分たちがケアを続けているのに、書くとそれを過去のものにしてしまうところがあるので、文字という固形を見せられて拒否反応が出たのだと思います」
つらく個人的な体験を対象者に語ってもらうこと自体が、揺れ動く感情も記憶も固着化することにつながり、紋切り型の言葉に収斂させてしまう問題も取材の進行をはばんでいた。時を経て、やはりケアを担う当事者として話を聞くしかないと再び筆を取った後、両親ともに精神疾患を患っていたかなこさんへの聞き取りから、また新しい視点が見つかり考察は続いていく。

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不確実な人間の生に明確なゴールを立てることのゆがみ。

ケアを成就できる主体は個が固まっていない、と中村さんは語る。今は多様性の時代とあって個人主義が尊ばれている。しかし個にフォーカスが当たりすぎて、個の自立や自己責任論、生産性が問われ、人々がそれに疲れてきているのも感じ取れる。他者を思いやり寄り添って同化するような、固まらない個とは対照的だ。
「長くケアをしてきたからか、自分の特性なのかはわかりませんが、ずっと変容し続けていることが私には心地いい。固まりたくないんですね。精神疾患はよくわからないもので、それはまるで天気のよう。雲行きが怪しくなったり急に雨が降ったり晴れたりと、常に予測のつかない対象にうまく対応するためには、自分もいつでも変化できるよう固着化しないんです」

治るか治らないかわからない病人のケアをしている人にとって、ゴールは存在しない。あるとすれば、昨日よりきょうはちょっと具合がよさそうとか、いい散歩ができたとか、そういうことになる。ひるがえって、今はまずゴールから逆算する社会であり、最初にエビデンスや目標の提示を求められる。しかし人間がおこなう以上、過程でさまざまに変わりゆくはずなのに、そこをゆがめて最初に決まっていたゴールにたどりつかせるのは無理をしいることになる。不確実性を持った人間の生に反する新自由主義的な社会では、誰もが疲れてしまうのではないだろうか。
「ケアを成就できる身体が持っている感覚は、固着化しない時間。それは生そのものだと思います。変化し続けている生命体である人間の身体は、そもそもそういうものですよね。人間の一生のことを考えてみても、ここまでが成長期、中年期とうまく分類できるようにカテゴライズしますが、実際はそんなはっきりした区分なく、変容したまま死までたどりつきます」
さらには、自然界も地球や宇宙も変化し続けていて全然止まらない、という。中村さんがとらえている時間軸は相当に長い。
「そうかもしれないです。だから、育てているのは目の前の子どもだけではないという変な感じがいつもしています。人間全体、大きな自然界を相手にしているような気持ちがすることがあって、そういう意味では時間軸は長い。それも固まりたくないからでしょうね」

《母型》の水滴のように変化する生を生きる覚悟と味わい。

固まらない個として、自己の崩壊と保存の間を行ったり来たりと変容する姿。それは《母型》の水滴を思い出させる。小さな泉が絶え間なく生まれ、あちこちから流れだし、水たまりとなって、また離れては動き、吸い込まれる。「人間というのも本来、この水滴のように結びつきやすい輪郭をもっているのではないか。ひとりの輪郭がほどけ、他の人と一緒になる。また何かの事態で融合は壊れ、またひとりのぷるんとした水滴に戻る。」(P185)と中村さんは書く。経済優先の消費社会の一方で、予測のつかない災禍や戦争、災害が続く時代には、すべての輪郭が曖昧で何もかも固着化せず、思考の過程だけが流れていくようなこの本の、無垢なラディカルさに大いに感化されたい。

わたしが誰かわからない ヤングケアラーを探す旅

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心の病を抱える母を幼い頃からケアしてきた自分は“ヤングケアラー”に該当するのだろうか。その言葉にひそむものを知りたくて同様の体験者に取材。すると思考は思わぬ方向へと拡張し始める。固まらない個を追求する私的な記録。医学書院の人気シリーズ「シリーズ ケアをひらく」の最新刊。著・中村佑子 定価2200円(税込)(医学書院)

text_Akane Watanuki photo_Momoka Omote 

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