男女逆転のパラレルな世界に、「志」でつながる男と女、女と女 | 『大奥 Season2』 CULTURE 2023.11.17

地上波に配信サービス……ドラマが見られる環境と作品数は無数に広がり続けているいま。ここでは、今日見るドラマに迷った人のために注目ドラマ作品をガイドしていきます。今回は10月からスタートした注目作、NHKドラマ10『大奥 Season2』について。

少々下世話な中毒性もあって、各国で見られてきた“後宮もの”

「大奥」というのは江戸時代に徳川の将軍の血筋を絶やさぬために、代々の将軍の夫人や側室、子孫を守るために女性の奥女中だけで作られた居所である。大奥のような、いわゆる後宮(こうきゅう)は閉鎖的であるために歪な人間関係があり、古くから書物に書かれてきたし、また1960年代から何度もドラマ化、映画化されてきた。

こうした後宮ものは、さまざまな国や地域で作られており、中国なら「則天武后」、韓国なら「張禧嬪(チャン・ヒビン)」など、悪女の物語として映像化されているし、オスマン帝国の後宮を描いた『オスマン帝国外伝〜愛と欲望のハレム〜』なども日本で放送、配信され話題になった。

これらの後宮ものは、権力者の寵愛を巡って女性たちが血みどろの戦いをするドロドロの世界を見て「こうはなりたくないけど、見ちゃうな…」といった少々下世話な中毒性もあって、各国で見られてきたのだろう。

現代社会やジェンダー観をクリティカルに描く『大奥』

今回紹介するNHKのドラマ10枠で放送されている『大奥』は、そんなこれまでの後宮ものとは違っている。よしながふみによる男女逆転のパラレルな世界を描いた同名漫画を原作に、森下佳子が脚本を執筆。

舞台は江戸幕府の3代将軍・家光の時代から描かれる。若い男子ばかりがかかる謎の奇病・赤面疱瘡(あかづらほうそう)によって男性の数が減ってしまった世の中では、将軍職や働き手を女性が担うようになり、男性ばかりの大奥が形成されていた。

ドラマのSeason1では、男女逆転の世の中で、大奥をはじめとした多くの男性たちが「種付け」のために存在し、女性の将軍もまた家の存続のために子孫を生まなくてはならない重圧で苦しんでおり、お互いに「人として」生きた心地がしない苦しみによって虐げられている。

そんな苦しみを背負った3代将軍の徳川家光(堀田真由)と万里小路有功(福士蒼汰)や、5代将軍の徳川綱吉(仲里依紗)と右衛門佐(山本耕史)が次第にシンパシーと愛情を感じていく様子が描かれていた。

それは、「少子化」を叫ばれる現代社会と重なるようでもあった。『大奥』が、男女逆転の世の中で、「家制度」の存続のために生きることを望まれるものたちを描いている時点で、自ずと現代社会やジェンダー観をクリティカルに描くことになるのだ。

『大奥』のSeason2で描くもの

では、10月からスタートした『大奥』のSeason2ではどのようなことが描かれているのだろうか。

Season2では、原作における「医療編」と「幕末編」が放送されている。ここでは主に「医療編」ついて書いていきたい。

「医療編」の前半では、赤面疱瘡の駆逐を目指す蘭学者たちを中心に描かれる。奮闘するのは、オランダ人の父親と遊女の間に生まれた青沼(村雨辰剛)と、平賀源内(鈴木杏)である。

ふたりは、偏見を受けながらも医療によって世の中を良い方向に変えたいと願っていることが共通している。青沼は幼い頃から“あいのこ”と蔑まれて長崎で育った。源内に請われて大奥にやってきてからも“鬼みてぇなやつ”と怖がられることもあった。一方の源内も、江戸時代は蘭学を女が学んではいけないという禁があり抑圧されて生きてきた。

しかし、そんな周囲からの偏見や差別に苦しめられたふたりだからこそ、人々が少しでも健康で幸せに暮らせるようになればと医学を学び、そして「ありがとう」と感謝されることを心から望んでいた。

青沼や源内のようないわゆる“マイノリティ”が、「ありがとう」と言われることを望んで切磋琢磨するのは、“マジョリティ”が、よい“マイノリティ”と悪い“マイノリティ”を区別することにもつながり、いいことではないが、もちろん、この作品ではそんなことは百も承知で、世の中にある残酷さを描いているのである。

同時に、人に「ありがとう」と言われ、人々の幸せを望むふたりの崇高な志によって、赤面疱瘡の「人痘接種」(いわばワクチンのようなものである)の普及が目指されるのである。しかし、崇高な志によって奮闘する源内と青沼の前には、それを阻むものたちによって恐ろしい出来事が次々と巻き起こる。

源内は、梅毒を持った男に襲われ、志半ばで病に臥せってしまうし、青沼は人痘接種により命を落としたものが出たことの責任をとって、粛清されてしまう。特に青沼の最後は無念なものであったが、彼が大奥内で出会った多くの同志に愛され、「ありがとう」と言われて亡くなっていくシーンには、悲しみとともに、彼が少しでも「ありがとう」という言葉に救われたとわかるものになっていて、涙が止まらなかった。

源内や青沼のように、医療の力によって、人々をよりよい生活に向かわせようという希望や理念、志を持って奮闘するものがいるかと思えば、「医療編」では、その正反対で「志」などなく、己の欲求により、「志」あるものを邪魔者扱いする「モンスター」の存在も描かれる。

源内や青沼の志に理解を示し、彼らを大奥内で守ってきたのは老中の田沼意次(松下奈緒)であった。しかし、崇高な志で行動する源内や青沼、そして田沼のことを良く思わないものもいる。徳川吉宗の孫である野心家の松平定信(安達祐実)もそのひとり。蘭学や青沼を重用する田沼を「異国好み」と偏見で見ていた。

この確執を利用しようとしているのが、定信と同じく徳川吉宗の孫という血筋を持つ一橋治済(仲間由紀恵)であった。彼女は、吉宗の血を引く自分たちでこの世を収める世の中を目指し、定信を次の老中に抜擢しようと考えていた。

しかしこの治済が『大奥』の中でも最も恐ろしい人間なのであった。国中の男子に人痘接種を受けさせることを阻み、そのために青沼や源内を粛清するだけでなく、自分の血筋以外のライバルの女性たちをも次々と粛清。

しかも、民に人痘接種は受けせないのに、自分の息子である徳川家斉(中村蒼)には密かに人痘接種を受けさせ、健康体となった彼を男の将軍としてよみがえらせたのだ。

治済は、人痘接種という医療の力を信じていないからその普及を拒んだのではない。医療の力を、自分たちだけが享受し、権力を握るために利用したいからこそ、人々に普及させたくなかったのだった。権力に取りつかれたモンスターたる所以である。

やがて、敵が存在しない世界で、退屈さに喘ぐようになった治済は、家斉の正妻である御台(蓮佛美沙子)や、家斉の側室であるお志賀の方(佐津川愛美)にも毒をもるばかりか、自分の血を継いだ孫たちにまで、毒の入った菓子を送りはじめる。治済が、実の孫の顔に足で踏みつけるシーンにはぞっとして声をあげそうになってしまった。

こうした治済の行動に対して、元は共闘していこうと考えていた松平定信(安達祐実)も違和感を持ち始める。

治済の様子のおかしさに気付いた定信は、彼女のことを「人の皮をかぶった化け物だ」「あの女には志のようなものはないのだ」と指摘する。志とは、「武家ならば忠義を尽くしたい、世を良くおさめ、徳川をまもりたい」と願うことである。しかも定信は、当初は田沼のことを敵対視していたが、「道は違ったが田沼もそういうことがやりたかった、そのために力を求めた」と志を持つ同志であったのだと認めているセリフが心に染みる。

モンスターである治済を鎮めたのは、結局は彼女によって反目させられていた御台とお志賀の方であった。ふたりは水面下で共闘し、表向きには演技をして治済を騙して虎視眈々とその日を待っていた。

男と男の関係性に生まれることが多かった感情が、『大奥』では、女と女の間に生まれる

虐げられたふたりが「内部者」となり、巨悪を倒すために粛々と水面下で準備をし、その日が来るのを待ち望む展開は、韓国ノワールの『インサイダーズ/内部者たち』やパク・チャヌク監督の『お嬢さん』でも見てきたが、これらの映画を見たときのように、御台とお志賀の方がモンスターに立ち向かう姿を見て胸があつくなった。

筆者は、韓国ノワールの良さは、警察と犯罪者、北と南といった、本来ならば交わることのないものが、その志に共鳴したことで、共に戦う同志になるような筋書にあると考えて、自著『韓国ノワール その激情と成熟』の中でも指摘してきた。多くのノワールではそのような感情は、男と男の関係性に生まれることが多かったが、『大奥』では、そのような感情が女と女の間に生まれていた。

同時に、『大奥』のようなパラレルな世の中、構造の中では、治済のような志はないが権力を牛耳りたいモンスターや、ホモソーシャルな関係性や、性差別は、女性たちの中にも生まれるということも描かれているのである。

text_Michiyo Nishimori illustration_Ryo Ishibashi edit_Kei Kawaura

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