仕事、恋愛、人生について語る。 いまを生きる女性たちが輝くには…(前編)/ハナコカレッジ キャリアトーク「角田光代×福本敦子×木村綾子」 LEARN 2020.04.08

Hanako.tokyoの連載でもおなじみ、文筆家・木村綾子さんが働く女性のちょっと先を歩く先輩ゲストを招き、女性として働くこと、生きることについて語り尽くすトークイベント「ハナコカレッジ キャリアトーク」がスタート。1月22日(水)に開催の記念すべき第1回のゲストは、作家の角田光代さん!トークパートナーとしてハナコラボからは美容コラムニストの福本敦子さんが参加した当日の模様をレポート。前半はお二人の幼少期から現在までの生い立ち、働く上で大切にしていることについてたっぷり伺いました。

作家・角田光代(右)/1967年、神奈川県生まれ。1990年に『幸福な遊戯』(KADOKAWA)で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。2003年『空中庭園』(文藝春秋)で婦人公論文芸賞、2005年『対岸の彼女』(文藝春秋)で直木賞、2007年『八日目の蝉』(中央公論新社)で中央公論文芸賞など、多数の賞を受賞。近著は『希望という名のアナログ日記』(小学館)。
PR、美容コラムニスト・福本敦子(中)/ナチュラルコスメショップ〈Cosme Kitchen〉のPRを約10年務めたのち、2018年に独立。コスメやナチュラルフードなどのPR、雑誌やWEBでの美容コラム執筆などマルチに活躍。モデルやエディターからの支持も厚い。昨年、著書『今より全部良くなりたい 運まで良くするオーガニック美容本』(光文社)を発売。
作家・角田光代(右)/1967年、神奈川県生まれ。1990年に『幸福な遊戯』(KADOKAWA)で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。2003年『空中庭園』(文藝春秋)で婦人公論文芸賞、2005年『対岸の彼女』(文藝春秋)で直木賞、2007年『八日目の蝉』(中央公論新社)で中央公論文芸賞など、多数の賞を受賞。近著は『希望という名のアナログ日記』(小学館)。
PR、美容コラムニスト・福本敦子(中)/ナチュラルコスメショップ〈Cosme Kitchen〉のPRを約10年務めたのち、2018年に独立。コスメやナチュラルフードなどのPR、雑誌やWEBでの美容コラム執筆などマルチに活躍。モデルやエディターからの支持も厚い。昨年、著書『今より全部良くなりたい 運まで良くするオーガニック美容本』(光文社)を発売。

木村:現代を生きる女性が、「生活」と「仕事」を両立しつつも、しなやかに、凛と過ごしていくためにはどうしたら良いか。それを一緒に見つめていこうというのが、「ハナコカレッジキャリアトーク」のコンセプトです。
そして今回のイベントには、「世界を見つめ、自分ごととして言葉にしていくこと」というタイトルをつけました。角田さんには、私たちの先を生きる先輩として、福本さんにはHanako読者世代代表としてご出演いただきます。
ちなみにお二人とも、普段ここまでコンセプトが決まったトークショーに出ることはありますか?
角田:“先輩役”というのは初めてかもしれないです。
福本:私は結構あります、好きです(笑)。

「小学1年生に戻って勉強し直したい」(角田さん)

ハナコカレッジ  第1回

木村:角田さんは小説『幸福な遊戯』で文学賞を受賞後、作家デビューをしてから、今年でちょうど30周年になりますよね。
角田:そうなんです、驚いたことに。
木村:私自身、角田さんの古くからの愛読者なのですが、角田さんの書く小説やエッセイ、そして生き方そのものに憧れというか、生きる道標を与えてもらっていて。最新作のエッセイ集『希望という名のアナログ日記』では、生い立ちから作家デビュー、プライベート、趣味の旅やマラソンのことまで書かれていますが、そもそもどんな経緯でいまがあると思われますか?
角田:小学1年生で「作家になりたい」と思ってしまったばっかりに、国語だけに集中して勉強してしまい、中学、高校になるにつれ、気付いたら作家を目指すほか道がない状態になっていました。だから、小説の書き方を教えてくれる大学に進学し、授業を受けながら文学賞に応募して…という感じ。大学は小説家になるための職業訓練所的な感覚で、「文章が書けるようになればいいだろう」と思っていたんです。でも、いざ小説を書こうとすると、全ての知識が必要になるんですよ。特に歴史とか。いま、人よりいっぱい勉強しなければいけないので、それは本当に後悔しています(笑)。
木村:小学校の頃に思い描いていた小説家のイメージはありましたか?
角田:読んでいたものが子供の本だからイメージはなかったんですが、中学生くらいから太宰治が好きになって。木村さんもお好きですよね。読むとやはり暗いところがあるじゃないですか。さらに太宰自身のことを貧乏、貧乏って書いてるから、小説家は貧しい職業なんだなって思っていました。
木村:“小説家になる=貧しい職業につく”人生だと。でも覚悟は揺らがなかったんですね。
角田:揺らがなかったですね。
福本:硬派!まっすぐですね。『希望という名のアナログ日記』の最初の章は、かなりハートが熱くなって。ゴクゴク飲み物のように吸収しながら読みました(笑)。「作家になりたい」って、夢が明確じゃないですか。憧れますよね。

「やりたいことはやって、嫌なことは避けてきた」(福本さん)

ハナコカレッジ  第1回

木村:福本さんは、美容コラムニストとしてイベントやSNSなど多方面でご活躍中です。旅好きで、占星術にも精通されているということで、先ほど控え室では、占いの話で盛り上がったばかりです。
角田:福本さんの書籍『今より全部良くなりたい 運まで良くするオーガニック美容本』を読んで、私の人生と対照的だなと。“何か”が人生を変えていくんですよね。
福本:そうなんです。さまざまなことが自分の外側で起こって、気づいたらここにきちゃった、みたいな。流動的なので、なりたいものがないことが昔からコンプレックス。「将来、何になりたいの?」って聞かれて、適当なことを答える自分も嫌だし。知ってることが少ない5歳児に、「何になりたいですか?」なんて聞くなよって思ってたし。はっきり答える友人を見ては、かっこいいなあって。
木村:子どもの頃からオーガニックコスメに出会うまでのお話を伺ってもいいですか?
福本:父の仕事の都合で、2年ごとに引っ越していました。なので、出身地という感覚がなくて。それもいまの自分を形成してると思うんですけど。安定したところにずっといると、まわりの景色も安定してくるから、自発的に何かを目指しやすい。でも私の場合は、何もしなくても2年ごとに生活が強制的に変わっていたので、それが下手だったんだと思います。21時くらいに電話がかかってきて、母が「え!?」と大声を出した日は、引越しが決まる日なんです。なぜか夏休みに引越しをすることが多かったので、ある程度友達グループが出来上がっている中で、いろいろな人に見られながら自己紹介をする。でも、それがいまの仕事に役立っている気はします。
木村:役に立っているというと?
福本:こういう初対面の皆さんが集まる場で話しをするときも緊張しないっていう、副産物的な効果があります(笑)。
木村:その頃は、何かを強いられるとか、自分がこうだって決められることに抵抗があったんですか?
福本:抵抗というよりも、「まだわかんないのになあ」なんて思ってしまう自分がコンプレックスでした。将来やりたいことも言えなかったし、やりたい部活もないから入らなかったんです。いま考えると「やりたいことに時間を使いたいです」ってポジティブな言い方ができれば、大人は納得したんだろうけど、13歳くらいでそんな語彙力ないじゃないですか。だから、ただ反抗してる、みたいに捉えられてしまって…。“選ぶ”意思はあったんだと思います。
木村:角田さんのような「これしかできない」タイプと、福本さんのような「何を選んでいいかわからない」タイプ。2人は対極のように感じます。
福本:これがやりたいっていうのはないけど、自然とあるべきところにおさまるというか。そこは意外と無自覚なのかもしれません。
木村:ナチュラルコスメにたどり着くまでの経緯は?
福本:20歳くらいのときから、自分には自然なものが合ってるとは薄々感じていて。でもオーガニックコスメが好きという自覚はありませんでした。日本にはまだその概念がなかったから。何年か経ち、海外旅行中にたまたま入ったのがオーガニックコスメ専門店だったんです。入った瞬間、「あ、私のなかでなにか大事なことが起こってるぞ」という感覚があって。帰国後、たまたま代官山を散歩しているときに「コスメキッチン」のお店を見つけて。ちょうど日本でもオーガニックコスメが増えるタイミングで、「社員になりませんか?」と誘われたんです。この流れは「ここにいなさい」ってことかなと思い、入社を決めました。

「大学時代は小説家であることを隠していました」(角田さん)

木村:一方、角田さんは小説家を目指すと決めて、大学進学後にデビュー。デビュー以降のお話を伺えますか?
角田:最初は少女小説という分野で2年ほど書いていたのですが、どうにも合わなくて。編集者にも「やめてくれ」と言われ、大学卒業とともに無職に。これはまずいと思ってまた別の賞に応募し直して新人賞をもらい、1年後にもう一度デビューしました。それから10年くらいは、やっと自分に合う場所に来られた感じで書くのは楽しかったけど、文学賞はどんどん落選するし、本は売れなくなり、だんだん景気も悪くなり、辛いことも多かったです。
木村:それでも角田さんが大学時代にデビューされたのは、すごいことですよね。
角田:でもね、もともと少女小説が書きたかったわけではなかったんです。別の文学賞に最終まで残って落選したときに、紹介してもらって応募して。知らないまま進んじゃったので、大学時代は書いていることを隠してました。
福本:やりたかったことが明確だったからこそ、それ以外は違ったってことですよね。さっき楽屋で、角田さんと占いの話をしてたんです。私たち、同じ魚座同士なんですが、世代が違うとその魚座の出方が違うというので盛り上がって。角田さんは訓練型タイプで、私はのめり込み型。広い範囲に影響を与えているお仕事なのに、ご本人の意識としては職業訓練所みたいな感覚でやってらっしゃるのが面白いですよね。

「“直感”だけが、私の武器なんです」(福本さん)

木村:「世代」というキーワードが出ましたが、角田さんがデビューした90年代は、まだネット文化はなかったですよね。今は、作品を読むこと以外にも、SNSなどで作家の生活や考え方などをリアルタイムで知ることができますが、当時は「理想の作家像」をどのように描いていましたか?
角田:それが描けなくて。私がデビューした当時は、同世代の作家の知り合いがいなかったので、考えや情報を共有することもできなかったんです。目上の作家さんとも、もちろん親交もなかったですし。
木村:モデルケースがない、という環境は苦痛ではなかったですか?
角田:あ、でもね。音楽の人ですけど、忌野清志郎みたいな小説家になりたいと思っていました。
木村:忌野清志郎さんの存在については、エッセイでも度々書かれていますよね。改めて、彼がどういう存在だったか伺えますか?
角田:本物だと思っていました。だから私も本物になりたくて。例えば、難しい言葉を一切使わないのに、何か人の心に訴えてくるものがあるとか、芯があって絶対にぶれさせないというか。
木村:角田さんが忌野清志郎さんに出会って「本物だ」と思った瞬間には、福本さんがオーガニックコスメと出合ったシーンと通じるものを感じます。
角田:福本さんは、旅先でオーガニックコスメに出会って、「何か事件が起こってる!」って思ったんですよね。
福本:そうですね。びっしり並んだコスメの棚と棚の間に立ったら、「ああやばい、なにかが来てる……!」みたいな直感です。
角田:お話を聞いてると、すごく勘がするどい方だなって。感じるというか。ちなみに、直感がはたらいたのに違ったってことはあるんですか?
福本:それはないです。自分の武器はそれしかないので。

「作家でいるためには、現実も見なければいけない」(角田さん)

ハナコカレッジ  第1回

木村:「やりたいこと」と「求められること」って、なかなか合致しないですよね。仕事においては特に。そのズレに対しては、どのように折り合いをつけてきましたか?
角田:たとえば日本は、文学を「純文学」と「エンターテイメント」とに分けるんですよね。でも、私はそれすら知らないまま作家になってしまったんです。純文学の雑誌でずっと書いてたら苦しくなり、合う合わないというよりも、狭まってきちゃって。そのときエンターテイメントの編集者が会いにきてくれて、初めて2つに分かれていることを知り、世界が倍に広がりました。
木村: 最初から知っていれば、エンターテイメントの方に自分から進んでいましたか?
角田:それはないかな。私はやっぱり純文学を書く作家になりたかったんだと思うんです。純文学とエンターテイメントが分かれていなければ、もっと楽だったかなとは思います。
木村:作品が読者に届いてるって手ごたえを感じるようになったのはいつ頃からですか?
角田:それがないんです。読者を想定して書いたことがないので、届いたなと実感したたことがないんです。
福本:ないんかい!って思いましたよ(笑)。でも、それが角田さんの素敵なところなんですよね。
木村:届いている実感がなくても、続けてこられたのはなぜですか?
角田:「作家でいたい」という気持ちが強いからかもしれません。でも、作家でいるためには、いさせてくれる場所に居続けなければいけないですよね。つまり、ある水準のものを書き続けなければ、次の場所はあけてくれない。30年前は5年くらい待っててもらえたけど、いまはそんな余裕が出版界にはないですし、本はどんどん売れなくなる。1年後に書かせてくれる保証はない世界なので。作家でいるためには、前より自分がいいと思うものを書かなければいけないですし、部数も刷ってもらわなければいけない気持ちもあります。
福本:私の場合は化粧品のことを書いているので、「福本さんがすすめてくれた化粧品を取り入れたら、私の生活がこんなに変わったんです」とか、読者の方が実感として伝えてくださることが多いんですよね。そこで、「あ、よかった」と思えるのは、このジャンルならではだと思います。

「“なんか違う”は信じた方がいい」(福本さん)

木村:仕事上の人付き合いで心がけていることとか、失敗したことはありますか?
角田:編集者って会社員だから異動があるじゃないですか。だから「この人と合う!」と思っても、いずれ異動してしまう。なので、私は編集者の方を友達だと思わないように自分に言い含めてきました。でも、私がデビューした雑誌『海燕』の創設者で名物編集者だった方が言ってくださった言葉はいまだに覚えていますし、最初に担当してくれた編集者さんともずっとお付き合いがあるし。『海燕』は、編集者と作家が濃いお付き合いをする雑誌だったので、そういう意味ではいいところでデビューできたなと思いますね。
木村:福本さんはいかがですか?
福本:私は仕事上でも話していて楽しいと思った人と一緒にいる、みたいなスタンスです。本を担当してくれた編集者さんも、2〜3回しか会ったことがなかったのに、この人とだったらいい本ができる!って感覚があって。気持ちを素直に伝えてみたら、「僕もそう思うんですよね」と通じ合いました。
木村:お互いのインスピレーションが一致したんですね。
福本:私は、合う、合わないの感覚がハッキリしているので、いいときはすごく上手くいくし、ダメなときは本当にダメ。誰と関わればいいかのか、選びやすいのかもしれないですね。少し違うなってときは、お互い話が通じ合わない。「私が理解できてないのかな」とは考えず、シンプルに「今回はやめておきます」と早く言えれば迷惑もかけないし、そのほうがスムーズだなって思うようにしました。自分に必要な人や仕事がくればいいと思っているので、ごちゃってしないんですよね。
角田:えらい! 私なんか30年かけて“なんか違う”って感覚を知りましたよ。それまでは、気のせい、気のせい……って。
福本:って、思って我慢しちゃいけないって言いますよね。
角田:そうなんだ! 頑張ってしまっていました……。でも最初に違和感があると、やっぱりよくない結果になるのよね。
福本:仕事もプライベートもそうなんですけど、身をもって経験して、そこはシンプルに考えることにしました。
角田:私も30代のときに気付いていれば……。
木村:角田さんは今日、「知らなかった」とよくおっしゃっている気がします。これまでは知らなかったからできたことも、知って、気づいてしまうとできなくなったりはしませんか? 違和感があるまま突き進めます?
角田:それがね、気づいても忘れちゃうんですよ。長くやってきてるから、違和感があっても私の勘違いかな、仕事してみなきゃわからないしなって思っちゃって。で、結局変なことになる。だから今は、嫌なことがあったら、書いて貼っておくことにしてるんです。
木村:書いて貼っておく…! まさかの可視化戦法(笑)。
福本:大好きになっちゃいますよね、そんなお話を聞いたら(笑)。私の場合は、転校ばかりだった学生時代も関係しているのかと思います。子供のころは自分が違うと思っても、やらなくちゃいけないよって言われることが多いじゃないですか。でも私はすぐに転校するから、ここで花を咲かせなくてもきっとすぐに終わるんだしっていうスタンスでした。テンションの違いなのかもしれないですね。
角田:そうかもしれない。私は転校したことがないし、引っ越しもしたことがないから、小学校から高校までずっと一緒だったんですよ。与えられた環境のなかでやっていく、という生き方が刷り込まれているのかもしれません。
木村:生い立ちが性格や仕事、生き方にまで深く響いている。興味深いお話ですね。

【本日のお土産】〈POGG〉の「スイートポテトパイ」

「ハナコカレッジ」では、イベントの参加者全員に毎回豪華なお土産をプレゼント!今回は、スイートポテトパイ専門店〈POGG〉の看板商品「スイートポテトパイ」が配られました。

「スイートポテトパイ」298円(税込)
「スイートポテトパイ」298円(税込)

サクサクのパイにしっとりしたお芋のペースト、中からとろけ出すお芋クリーム。異なる 3つの食感が一度に楽しめます。お芋をイメージしたカラーリングのショッパーも可愛い!食べやすい小ぶりなサイズ感は、手土産にぜひおすすめです。

■後編はこちら

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