思いがけない旅の人/寿木けい 第8回 ひんぴんさんになりたくて。

LEARN 2023.01.30

本誌巻頭エッセイ、寿木けいさんの「ひんぴんさんになりたくて」。ひんぴんさんとは、「文質彬彬(ぶんしつひんぴん)」=教養や美しさなどの外側と、飾らない本質が見事に調和した、その人のありのままを指す​、​という言葉から、寿木さんが生み出した人物像。日々の生活の中で、彼女が出逢った、ひんぴんさんたちの物語。

神様からウインクされたような、おもしろい偶然というものに、たまに出くわすことがある。
同じ先生のもとでお茶の稽古に励んでいるOさんは、山梨で飲食店を経営している。そのOさんのお店を先日、ひとりの女性が訪れた。聞けば、岡山から旅行に来たのだと言う。
「どうして山梨へ?」
こう訊ねたOさんに、彼女は、好きな人が山梨にいるからと答えた。ここまでOさんから聞いた私は、てっきり恋愛絡みの冒険話がはじまるのかと早合点してわくわくくしたが、そうではなかった。
「その好きな人っていうのが」
Oさんの瞳が輝いた。
「スズキケイさんなんだって」
ちょ、ちょっと待って。稽古中の茶室で、私は正座のまま後ずさった。
なんでも、女性はエッセイ集『泣いてちゃごはんに遅れるよ』を読んでくださって、著者を惹きつけた山梨という移住先を見てみたくなったそうだ。
僕、スズキさんと一緒にお茶を習ってますとOさんが伝えた時の彼女の驚き。読者と著者を結びつける立場になってしまったOさんの驚き。世界は広いようでいて近いのだと、長いため息が出る。

好きな人が住んでいる場所を見てみたい。それが思いつきで終わらず、チケットを取り、荷物をバッグに詰めて出発するまでの行動へとつながったことが、心からまぶしい。
彼女のように行動を起こしたことが、私の人生に何度あっただろう。
ニューヨークのセントラルパークでは、ジョン・レノン追悼の地「ストロベリー・フィールズ」にバラを献花した。ハバナの「フロリディータ」では、ヘミングウェイが愛したフローズンダイキリを飲んだ。確かに彼らの存在は旅の原動力にはなったが、ほかにも旅の目的はたくさんあったし、なにより、二人は世界的な有名人だから、私は観光コースの定番をたどっただけとも言える。
もっと焦点を絞って、私がこの一か月で自発的に行動したことを思い出すと、溜まっていた段ボールを市のリサイクル施設に運んだことや、ポーラ美術館にピカソ展を観に行ったこと、録画したままの『竜とそばかすの姫』をやっと観たこと……と挙げてみて分かった。私の行動は、二時間で済むことに限られている。
子どもを二人産んで、持ち時間という点では自分の首を自分で絞める道を選んだ人生の割には、動いているほうだとは思う。それでも、移住という決断を実行したばかりで、エネルギーはいったん空になってしまった。いまは呼吸を整えるために少し休んでいたい。旅に出る理由と同じく、出ない理由もあるのだ。

2022B029

十三年前の夏、私を突き動かした出来事がある。Oさんの話から推測すると、岡山の彼女と同じくらいの年齢の頃だ。
ある週末、私は朝から白ワインを飲んで洗濯機を回していた。その時FMラジオから、山下達郎の「ライド・オン・タイム」が流れてきた。雷に打たれたように、ああ、ドライブに行こうと決めて、身支度をはじめそうになった。
ところが、飲酒運転はもちろん御法度だし、なにより免許を持っていないことに気が付いて我に返り、途端に、人生がつまらないものに思えた。そのくらい強い想念を引っぱり出す力が、歌詞とメロディにあったのだ。
この出来事を機に、実際に免許を取ったし、運転が大切な趣味になった。
今なら分かる。欲しかったのは免許ではなく、その先にある自由だった。あの頃、好きな時にいつでもジャンプできる翼なら、ソフト、ハード問わず、なんでも欲しかった。旅の幅も、生活の喜びも、車によって広がった。
それは、若かった私が無理をして重い腰をあげた結果ではなかった。コップに水が一滴、また一滴溜まって、ついにあふれ出すように、次のステージに移らなくてはならないタイミングだったのだ。これも、今だから分かること。
自分の経験と照らし合わせるようにして、岡山のあの人を想像する。彼女の中に、小さなインプットの積み重ねが満ちに満ちて、山梨へ導かれたろう。いつ行くの? 今でしょう。
その流れに身を任せることができる、彼女の柔軟な心の在りように、幸あれ。いつかきっと、旅を懐かしく思い出す日がくる。懐かしさは、肯定である。

illustration : agoera

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