ラブレター・フロム・ヤマナシ/寿木けい 第5回 ひんぴんさんになりたくて。 LEARN 2022.11.20

本誌巻頭エッセイ、寿木けいさんの「ひんぴんさんになりたくて」。ひんぴんさんとは、「文質彬彬(ぶんしつひんぴん)」=教養や美しさなどの外側と、飾らない本質が見事に調和した、その人のありのままを指す​、​という言葉から、寿木さんが生み出した人物像。日々の生活の中で、彼女が出逢った、ひんぴんさんたちの物語。

たまに東京の街を歩いていて懐かしくなるのは、自転車、それも子どもを前後に乗せられる電動自転車の多さだ。お父さんもお母さんも、おでこを全開にして、ビュンビュン飛ばしている。
東京で会社員をしていたころ、私はレイコさんというシッターと一緒に子育てをしていた。
山梨に引っ越すまでの四年と少し、お世話になった。
レイコさんは家政婦紹介会社からやってきたひとだった。
面接で私が彼女にピンときた一番のポイントは、
「シングルマザーなので、どうしてもお金が必要なんです」
と言ったことだった。

動機があるひとは強い。それに、切実さだけでなく、このひと言が雇い主の心を動かす切り札になることを分かっている、まっとうな太さもある気がした。
レイコさんは、うちに重度の障がい児がいることも、ほとんど気にしなかった。もっと正確に言えば、ひるまなかったのだ。かわいいですねと言って、娘の興味をひきつけて静かに遊んでいた。
そういうときのシッターの目線やちょっとした反応を、親はよく見ている。本能的に、うさんくさいところがないか、よく見て、感じようとしている。

もうひとつ、彼女と過ごすうちに私が好意をもったのは、しゃべり過ぎないという点だった。いわゆるお試し期間というものも含めると、多くのシッターがうちに出入りしたが、まず、ほとんどのひとが私と夫の職業を詮索してくる。だから、一切聞いてこないレイコさんが際立って見えた。言葉が少ないぶん、彼女の集中力は仕事に注ぎ込まれていた。
なぜそれが分かるかといえば、ちょっとした洗い物や、物の置き方に、神経の細やかさがよく表れていたからだった。

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彼女の職場は、私の城である。私のやり方で築かれた、私一色の家である。少なくないシッターがそこに、自分なりの家事の流儀を持ち込んでしまう。
レイコさんは、私のやり方を理解したうえで、さらに私がうれしくなるような仕上げまでしてあって、その技術に学ぶところが多かった。履歴書の特技に「片付け、掃除」、長所に「きれい好き」とあったのは、その通りだった。
私は二年前に会社を辞めてしまったけれど、彼女がいなければ、こうして仕事を続けることはできなかった。

山梨に引っ越す日が近づいてきたある晩、珍しく、レイコさんが終業時間になっても帰らず、まつげを伏せて、手袋をひろげたり折ったりしていた。そして、
「私は、なんにもできないから、将来が不安です」
こう、ぽつんと言った。
「スズキさんは、バリバリ働いていらして、すごいなあって、いつも」
まえもって言葉を準備しておけなかった私は、いやいや待って、なんにもできないなんてことあるわけないじゃない、ちょっと座ってと、前のめりになって、思いつくかぎりのレイコさんの素晴らしいところを列挙した。
仕事が速くて正確だし、性格もおだやかだし──こう力説しながら、チクリと刺すものがあった。私は彼女にこれらをちゃんと伝えたことがなかったのだ。
目標を立てるとか、将来のために動くとか、私はそういうことに取り組める環境で過ごしてきた。女は、なんなら、新月にも満月にも、未来を託して祈ることができる。でも、祈るより前に立ちすくんでいるひとが、すぐ隣にいた。そのことに私は気がつかなかった。
長所があるからって、じゃあ、この先になにがあるの。彼女が私を頼りにして重い口を開いたのは、ここなのだ。
あなたほど仕事ができれば、将来、こんな風にも、あんな風にも、仕事の幅と深さを広げていけるんじゃないかなと、社会人経験の長い年上らしいところも見せたくて、熱心に提案しているうちに、ふと、思いがけない言葉が飛び出た。
「一緒に山梨に来ない?」
レイコさんも驚いていたが、私だってびっくりした。

山梨に越して半年。高齢化が進み、そして、働く女性も増えているから、レイコさんの仕事は需要があるはずだ。空気がきれい。東京にないものがある。当然、東京にあるものがない。でもそれは、きっと大したことではない。
あのとき、彼女はノーと言わなかった。柴犬色に灼けた子どもたちの写真を送って、久しぶりに連絡してみようと思う。

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