前田エマの秘密の韓国 vol.1 雨乃日珈琲店 아메노히커피점
この連載では、韓国に留学中の前田エマさんが、現地でみつけた気になるスポットを取材。テレビやガイドブックではわからない韓国のいまをエッセイに綴り紹介します。連載第1回目は、日本人夫婦が営む喫茶店「雨乃日珈琲店」へ。
「雨乃日珈琲店」は奇跡のような場所だと思う
東京で喫茶店に入ると、10代後半の女の子がインスタに載せるためにパフェの写真を撮っていたり、20代のカップルがお茶をしていたり、子連れ家族がメロンソーダを頼んでいたり、サラリーマンが打ち合わせをしていたり、お年寄りが新聞を読みながら珈琲を啜ったりしている。
しかし、驚くほどカフェの多いここソウルでは、若者とそうではない者の住み分けがものすごくはっきりしている。チェーン店では一応、さまざまな年代が共存しているように思うが、個人店でそのような光景を見ることはまれだ。
そんなソウルで、ここ「雨乃日珈琲店」は奇跡のような場所だと思う。
初めてこの店に訪れたとき。
メガネをかけた30歳前後の男性がパソコンで作業をしていた。その隣の席では20代前半と思われる女性がひとりで本を読んでいた。私は友人と、テスト勉強をしていた。しばらくすると常連客であろう年配の男性がカウンターに座った。それから、50代くらいの女性たちが入ってきて、穏やかなマダムの会が始まった。
本を読んでいた女性が私たちの席にやって来て、開いたノートを見せてきた。
ていねいに、一生懸命に書かれた、書き慣れていなさそうな日本語が並んでいた。
しつれします。
あなたたちは 留学生ですか?
良かったら 親しくなりたいです。
私は日本語 勉強してあります。
まだ ちょっとだけできないです。。。
私たちは彼女と同じテーブルを囲んで、はなしをし、連絡先を交換した。
雨乃日珈琲店を営むのは、日本人の夫婦。
雑誌や新聞のライターとして活躍するだけでなく、翻訳家としての顔を持つ清水博之さん。書家の池多亜沙子さん。
おふたりが店を始めたのは2010年の11月。
博之さんはソウルの語学堂で韓国語を学び、ここで暮らしてみようと思ったとき、人が集まる空間を作りたいと考えた。
音楽と珈琲が中心にある店を作ろう。
自然な流れでカフェを始めることにしたという。
ここ弘大(ホンデ)はライブハウスも多く、音楽の街としても知られている。店では定期的に、交流のあるミュージシャンのライブが開催されている。
店を始めた当初は、出身地である金沢とソウルとを行き来していた亜沙子さん。韓国にも書の文化があるので、ここでの生活は想像しやすかったという。喫茶店やケーキ屋でのアルバイト経験もあった。
物販棚には、100年近く前のデッドストックの食器から、金沢の桐工芸のトレー、韓国の骨董、旅先で仕入れた雑貨、CDやカセットテープなど、ふたりの審美眼を通し選ばれたものが並ぶ。
スイーツは、どちらがということはなく、ふたりが好きなものをふたりで相談しながら作っている。珈琲豆も、能登や蔚山(ウルサン-韓国の南東部)にある、交流のある店から取り寄せている。
店が空いているのは週に4日。
ここで過ごす時間が心地よいのは、ふたりが自分たちの感性に正直に向き合い、大切にするべきことに自然と対峙しているからなのかなと思ったりする。
自分たちの好きなことを。自分たちの好きなものを。
駅から少し歩く、この曖昧な場所でひっそりと佇む雨乃日珈琲店。
お客さんの9割は韓国人だというが、日本からの観光客が戻ってきた最近「どこもかしこも変わってしまっているけれど、ここだけは変わらないね」と言われたという。
ソウルは土地代も高いし、この街も再開発が進んでいる。
ソウルっ子は流行に敏感だし、日本から雑誌の取材で訪れた店が、発売する頃には無くなってしまっていることもあるという。
時の流れがものすごく速いソウルで、長く続く理由に触れたような気がした。