文筆家・塩谷舞さんのMy Better Room「部屋は自分の集積」 LEARN 2023.07.06

文筆家の塩谷舞さんが暮らすのは、変化する自分に寄り添う古道具や器に囲まれた空間。部屋は同じように見えても日々変わっていく。それは自己の重なりであり変化でもある。

心と体の変容も受け入れてくれる、心地よい物や道具を選びたい。

玄関からリビング、書斎までが吹き抜けで2階へと繋がっている、箱のような空間。入口から入った光が家全体を照らし、古い道具や家具が生き生きしているように見える。
玄関からリビング、書斎までが吹き抜けで2階へと繋がっている、箱のような空間。入口から入った光が家全体を照らし、古い道具や家具が生き生きしているように見える。

文筆家の塩谷舞さんがNYから帰国後の新しい生活に選んだこの家は「一人で思うがままに」という当時の気持ちにピッタリだった。
「築約20年の間に積み重なった壁のシミやヒビが、私の好きな古い物とマッチするんです」

グレーと黒、白で統一された空間はさながら現代美術館。そこに古道具や民藝品が置かれ、神殿のような雰囲気も感じられる。この空間は、NYでの暮らしを経たからこそ生まれたものだという。
「昔から日本の伝統的風景に憧れていたのですが、20代は流行に流され、本来の自分の美意識とは違う物を選んでいました。しかしNYで多様な国籍の人がそれぞれのルーツを大切にする姿を見て、自然と自分自身のアイデンティティに立ち返るようになったんです」

塩谷さんが選ぶ物に共通しているのは、土や岩などの〝素材の質感〞がそのまま残っているところ。
「素材本来の感触が伝わる方が、年を重ねてシミや皺が増えるであろう自分にもなじむ。物への見方や価値観が移り変わる私の集積を受け止めてくれる気がしますね」

ライフステージの変化に向き合い、その時々の気持ちに合った暮らしを選ぶ。そんな流動的な物選びが、心地よく過ごせる空間を作るコツなのかもしれない。

SPECIAL ESSAY 「流動体としての部屋」 文・塩谷 舞

2021年の初夏、ハドソン川沿いのファミリー向けタウンハウスでひとり、隙あらば東京の賃貸情報サイトを眺めていた。2019年、夢に溢れてやって来たニューヨーク生活。しかし、移民 を減らしたい元大統領の政策や、疫病、アジアンヘイト……という大きな社会事象に揉まれながら、それに起因したり、しなかったりするさまざまな問題が家の中にも溢れかえり、渡米3年でなんとも困難な状況になっていた。なんとか頑張ってみようと足掻いてはいたけれど、まぁ個人が頑張って乗り越えられるものばかりであるほど人生って容易くはない。で、私はいよいよ東京でひとり暮らす家を探すという、前進なのか後退なのかわからない方に次の生活を進めることにした。

今度は、全部自分で決められるんだから……と、 好き勝手な条件を頭に浮かべながら、賃貸サイトをスクロールし続けた。築年数は古くてもいい。でも大きな窓がある家がいい。静かな場所がいいけれど、外食を楽しめる環境も欲しい。そして、帰ってきたときに虚しくならないような、小さくても誇りを持てる家がいい。そうした条件でソートしながら、毎朝、昼、夜、何度も新着物件をチェックする。そして見つかったのは、神楽坂にあるなんとも尖った共同住宅。各々の部屋に入る前に水盤があり、その上に渡されたコンクリートの橋を渡って入室、という現代美術館のようなアプローチは、暮らしにちょっとした誇りをもたらしてくれそうだった。壁は一面大きな窓で、天井も高い。けれども、踏み外したら滑り落ちそうな階段は少々おっかない。収納は少ないし、風呂とトイレも丸見えで、子どもや家族がいれば間違いなく避ける物件である。しかしこちとら、30代の女ひとり暮らし。尖ってようが、少々危なっかしかろうが、自分が気に入ったならいいか!と帰国早々に内見を済ませ、住むことに決めた。

家電はフリマアプリでお手頃に購入。物を循環させて、長く大切に使う。

2004年に竣工したらしい建築家こだわりのこの物件には、目立った装飾は特になかった。あるのはコンクリの箱と、大きな窓、そして階段のみ。あえて言うならば 19 年間、歴代の住人が壁や床に残していった染みやひびがあるくらい。でもそれが、私が持ってきた古い道具によく馴染んでくれた。日本のもの、アメリカで買ったもの、東アジアやアフリカ、中東のもの……と、がらんとしたコンクリートの箱の中に、家具や道具を設えていくと、次第に賑やかになっていく。足りないものを買い足し、不要なものはメルカリで売る。 その売上で、好きなものをまた少し増やす。そうした過程は、たしかに自分が選んでいる、自分で歩いている、という実感を得られて心地が良いもんだ。

ただ、あまりにも収納が少ないもんだから、途中から小さな籠や箱を買ってそこに物を入れたり、家具の隙間に隠したりするようになってきた。ひとりで暮らしている間はそれでもさほど問題はなかったのだけど、途中から今のパートナーが一緒に住むようになり、「あれは一体どこだ!」と大捜索する頻度が上がって少し困った。加えて、アプローチの水盤はよく濁り、誇りを維持するためにもしょっちゅうデッキブラシを持って水辺の掃除に精を出していた。

まぁそんな少しの不便はあったけれど、それでも愛すべき住処であった神楽坂の家。少し歩けば 仕事をしているいくつかの出版社にも顔を出せて、編集者と気軽に打ち合わせが出来る点でも立地が良かった。まぁ、〆切を抱えている中、飲み屋街でバッタリ担当編集に出くわすのは気まずいものがあったけれど……。

けれどもこの原稿を書いている今、この家はまたがらんとしたコンクリートの箱に戻っている。2年近く住んで、思う存分気ままな時間を楽しませてもらって、でも生活を次に進めるには少々合わなくなってきた。そして、私はまた隙あらば賃貸情報サイトを眺めて、次々と物件をソートした。風呂やトイレが個室であること、パートナーの職場に通いやすいこと、もし小さな家族が増えても受け入れられること……頭の中に浮かぶ条件はまるで違って、たった2年で自分はこうも住環境に求めるものが変わってくるのか!と移り気の早さに少し呆れてしまった。でもまぁ、2年間の自由な暮らし、長い人生には必要だったのかもしれないな、と。

photo : Hiroyuki Takenouchi text : Uno Kawabata (FIUME Inc.) edit : Rio Hirai (FIUME Inc.)

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