テレビウーマン・小山テリハの「人生は編集できない」 雑な「雑談」はちょっと…/小山テリハの「人生は編集できない」
テレビ朝日プロデューサー、ディレクターの小山テリハさん。自分や後輩の女性たちが少しでも生きやすく、でも面白い(ここ、重要!) 番組を作るために奮闘中の彼女が綴る、日々の悩みや疑問。第4回目は「雑談」の大切さと難しさについて。
最近、よく怒ってる。
人から発された、おそらくあまり何も考えずに出たであろう一言一言に。
昔はこんなことで不快な気持ちにならなかったのにと思い、でもそれは悲しいことではなく自分自身の解像度が上がってしまったからなんだろうとなだめている。
「なんでこの人は私にこんな言葉をかけたんだろう?真意は?」
悪意があるほうがむしろ救いがあって、何も考えずにポッと出ている場合のほうがよっぽど恐ろしい。
例えば、美容室の「今日お休みですか?」をはじめ、「雑談」において人を詮索し、プライベートゾーンに土足で立ち入り、荒らしていき、結果、聞かれた側に「うまく答えられない」or「逃げた罪悪感」を与えたうえで、後からふとした時に「やっぱあの時、私傷ついてたんだな…」とじわじわ効いてくる一連の流れに少々腹が立っている。
雑談力は確かに大事だ。バラエティ制作という私の仕事場においても大事だと思ってて(ロケや収録では移動時間・待ち時間も多いし、会議をするにも余談や脱線から話題から盛り上がることもある)。かくいう私はたいして雑談力がないので仕事の話ばかりになっちゃうんですが(笑)。
「この人がいる現場はなんか明るい」とか「マイナスイオンちょっと出てる」とか、逆に「ピリッとする」……そういう空気感の一つを作り上げてるのがスタッフ内やマネージャーさん、出演者との会話だったりする。
今まではあまり気にしたことなかったけれど、先日、担当番組「イワクラと吉住の番組」に出演したAV女優の葵つかささんが「美容室とかで、職業を聞かれたときに、AV女優とこちらが答えたとしたら、聞いた側がきちんと責任を取ってほしい」と話されていたこと(これは正当な「怒り」と言ってよいのではないか)が私にとってとても勇気がでる出来事だった。
そっか、自分を責めなくていいんだ、今まで静かに埋葬していた不快感や怒り(あと、こちらが悪いんだなという罪悪感)の感情は、無視しなくてよかったんだと気づけたからだ。
私は美容室が昔から苦手で、わりと転々としていたが、それはそれで疲れるので最近は同じところになるべく通うようにしている。ただ、なじみの客になってしまうと、ふとした時にプライベートについて一定以上の距離で(半分、知り合いのような感じで)グッと踏み込んだことを言われることがある。
私からすると、フワちゃんのように「この関係性で教えるわけないじゃん」と返答したいものだけれど、そうも言えず、グダグダ無理やり合わせて話さないとと思って自分をなるべく面白おかしく話したりするんですけど、まあ疲れる。
一人になったとき、なんで私は金を払ってまで綺麗な髪の代償に、少々の嫌な思いをしないといけないのかなと思い返す時がある。でもこれは私の器が狭いんだと思って、自分を責めてきた。
葵つかささんの言葉を受けて、これからは私も、そんなパーソナルな部分を抉るようなトークテーマしか絞り出すことができない相手が悪いんだと開き直ることができる気がする。もっと会話の引き出しはないのか、あなたにとってここ一番の(月イチ会うか会わないかの相手との貴重な対話が)それでいいのか?と。
あなたがこれまで見てきた映画、食べた美味しいごはん、行った国、読んだ本、すべてすべてを思い返して、相手に聞くことが、
「彼氏いる?(笑)」
(あるいは、それに類するプライベートを切り売りしないと答えられない質問)
なのか。
そもそも、私が相手にとって貴重な存在ではない場合もあるので、その場合はこちらからご遠慮していただくか、こちらからトークテーマを切り替えていくのがいいんだと思う。
感情をぶつけるのも、ぶつけられるのも、消耗するので。
自分で自分を、ご自愛していきましょう。