J SONGBOOK 日本の音楽を学ぼう! 野宮真貴さんが語る女性アーティストのパワーの源。「唯一無二の個性的な女性アーティストに憧れて」
見ていると元気になる、力をもらえる。数々のファンを勇気づけてきた2組の女性アーティストのパワーの源と、いま見つめているものとは?今回は、野宮真貴さんにお話を聞きました。
デビューしたのは41年前。1981年、ムーンライダーズの鈴木慶一さんのプロデュースでした。でも、アルバムはいま聴いても素晴らしいのに、全然ヒットしなかった。あの頃の私はだいぶ変わってて、一人称は「ぼく」で、デビューのときのキャッチコピーは「昨日少年、今日少女」。髪もベリーショートで、衣装もなぜかブルマー。エッジが立ちすぎなのが原因だったかも(笑)。
いちばん影響を受けたのは、プラスチックスの佐藤チカさん。ベリーショートにしたのも彼女に憧れて。チカさんはもともとスタイリストでセンスが抜群。お洋服も真似しました。シーナ&ロケッツのシーナさんも憧れ。シーナさんといえばロックの女王でクールなイメージですが、初期はYMOプロデュースでテクノポップをやっていて、’50sファッションで可愛かった。
あと、近田春夫さんプロデュースのジューシィ・フルーツ。ボーカルのイリアさんもベリーショートで、ギターを弾きながら歌う姿がポップで素敵でした。80年代初頭、それまでのロックやポップスとは違うニューウェイヴやテクノポップが台頭して、価値観がガラッと変わった。ようやく自分の歌える音楽に出会うことができたんです。私はロック少女で、KISSみたいになりたくてガールズバンドを結成していたんです。でも、シャウトができないし、声質もロックに向いてない。それでも、ボーカリストになろうと決心をしたのは、個性的な女性アーティストに出会えたから。歌のうまさより、自分だけのセンスやこだわりを持ち、唯一無二であることが大事だと気づいたんです。そして、小西康陽さんに誘われ、ピチカート・ファイヴの3代目ボーカリストになったのが1990年。
当時は「渋谷系」といわれていましたが、「渋谷系」って音楽だけじゃなく、ファッション、映画、アートなどを巻き込んだカルチャームーブメントだったと思うんです。東京のカルチャーが世界で一番クールだともいわれていましたし。ピチカート時代は楽しかった。海外デビューもしましたし、ワールドツアーは全会場ソールドアウトで大盛況。ライブではファッションにもこだわり、どれだけインパクトを与えられるかに命を懸けてました(笑)。毎日、デヴィッド・ボウイのように非日常のスターを演じる気分で。
小西さんが私をピチカートに誘ってくれたとき、「君をスターにする」というのが口説き文句でしたから、本当にその通りになったのもうれしかった。2年前に還暦を迎えました。まだ歌えそうなので、いつまでと決めず、これからも好きなものを歌っていこうと決意を新たにして。ミニスカートも解禁(笑)。ピチカートのときはミニがトレードマークだったけれど、年齢的な迷いが出てきて、ミニをはかなくなっていたんです。でも数年前、松任谷由実さんにお会いしたとき、彼女の私服はミニスカートに網タイツ。感動しました。それで還暦を機に「大人のミニ」に挑戦しようと。いくつになっても美しさと個性は磨ける、そう思ってます。
Profile…野宮真貴(のみや・まき)
1981年、アルバム『ピンクの心』でデビュー。1982年結成のポータブル・ロックを経て、1990年、ピチカート・ファイヴに加入し、渋谷系文化のアイコンとして国内外で熱狂的な人気に。2001年よりソロに。40周年記念アルバム『NewBeautiful』、ポータブル・ロック結成40周年アルバム『PAST&FUTURE~MyFavoritePortableRock~』発売中。