花井悠希の朝パン日誌 引き戸なパン屋さん…〈パーラー江古田〉と〈根津のパン〉
「ごめんくださーい!」通る声でそう呼びかけながら開きたくなってしまう引き戸の扉。ゆっくりと引けばガラガラガラと振動が腕を伝い、なんとも懐かしい音が響きます。紛れもなくパン屋さんであることは脳で理解しているのに、どこかのお宅にお邪魔するような少しドキドキする気持ちと、よそ行きな声で挨拶したくなる感じ。引き戸一つでこんなにも情景が広がり気持ちが動くのは、日本人ならではの感覚なのかしら。外観はもちろん、そんな引き戸が映える昔ながらの日本家屋を基調とした落ち着いた佇まい。だけど、中で陳列されたパンは昔ながらのものとは違う(むしろ今っぽい)小麦などの材料の良さを最大限に活かした、職人さんの拘りがキリッと光るパン達ってところがミソなのです。外観とのアンバランスさが、ソリッドなパン達に親しみやすさを、また反対に懐かしい温もりを感じさせるお店をさらに気になる存在にしてくれているのかもしれません。今回は古民家スタイルの今をときめくパン屋さんに、「ごめんくださーい!」
ホッとするパン好きの聖地…〈パーラー江古田〉
緑がいっぱい。ご近所さんがお買い物やお子さんの送り迎えのついでに立ち寄る、ごくごく自然にこの街の生活に根付いたアットホームな雰囲気。地方出身者の私にもどこか懐かしくホッとします。ガラガラガラと引き戸を開けると弾ける笑顔の店員さんが声をかけてくれるから、すっかりご近所さん気分です。
翌朝に食べたので柔らかく沁みていたけれど、サクサクだった片鱗はいきていて、サクッほろりと崩れる側からバターの香りとコクが加速していきます。表面のクランブル部分は手作りクッキーのような温もりを感じる甘みがのっかって、ドーンと真ん中に大きく寝そべる(←言い方)イチジクをサンド。イチジクの周りはしっとりとゆっくり溶ける生地が包み甘やかに湿度を保っています。イチジクの力漲る旨みの主張を大らかに受け止め、ヨイショと持ち上げる生地とクランブルがなんともいじらしい!
こんがりさが眩しい薄皮を抜けると、しゅわしゅわなコットンキャンディみたいな(要は綿菓子)柔らかい内側がこんにちは。頬ずりしたくなるほど心地いい生地に朝から触れられるなんて、食べられるなんて、今日もなんて平和なのでしょう(単純)。全粒粉が混ざった小麦の香りは分かりやすく主張するわけではないけれど、こちらが気持ちを傾ければしっかり顔を出してくれる。なんてことないって風貌で緊張感もこちらに与えずして、さらりと心を奪いやってのける。なるほど、こういう人が「仕事が出来る人」って言うのですねきっと(人ではない)。
なんておおらかなの!ガブッとかぶりつけば、今日も一日元気に違いない!ってそんな根拠のない自信とスタミナが湧き上がって来そうなハツラツとしたリュスティック!カリッとしっかり者のクラストはこんがりと色づいて、焼き色を裏切らない苦味が舌を伝うと、クラムがもっちりした潤いを携えてふわっと立ち上がります。小麦の豊かな香りが弾むのと一緒に、塩気とゴーダチーズがリズミカルにステップを踏んで、めくるめく彼らの世界を作り上げていきます。そしてそんな世界において、きつくチーズが残ることはなく、小麦とチーズが対等な関係で、後味は小麦の爽やかさすら感じられるあっさり感で儚く余韻を残していくのです。してやられたー!
まずはそのまま。大きくはむっと食らいつくと、おおらかな小麦の香りが応えてくれました。むにゅむにゅと粘り押し返す生地は気泡がたーっぷり。気泡から生まれた全ての隙間にはチーズがすかさずスライディングしています。チーズはちょこっとずつ入っているのではなくまとまってどんと入っているから、大きな気泡に閉じ込められたチーズゾーン、プレーンな小麦ゾーンと1枚のスライスの中でしっかりと“おいしい”が住み分けられていて、食べる箇所に合わせてどちらの主張にもじっくり舌を傾けられます(それをいうなら耳)。そしてお待ちかねトーストタイム!トーストは絶対勝ち戦だとわかっていたんです。だから簡単には気を許すまいって思っていたのに(あまのじゃく)、見事にその華麗なるトーストの転身にノックアウトされました。山型に膨らむクラストの天井部分はパリッと冴え渡り、全体をキリッと締める。そこに熱でとろけたチーズの濃ゆいコクと塩気が抱えきれず溢れ出します。全粒粉入りの生地の小麦の香りもより立ち上がり香ばしいけど、見逃せないのがやはりこのチーズ!熱を帯びてむにゅりとこちらに迫ってくるのです。ぶわっと押し寄せる香りとコクに絡めとられその渦に身を委ねかけたその時、トーストによって軽やかになったふわっと食感が現実に引き上げてくれました。1人では多いなっていう大きさだと思ったのに、おかしいな。次の日にはペロリとなくなっていました。夢かな?(食べただけです)。
新しいと懐かしいと…〈根津のパン〉
根津といえば、谷中エリア。細い小道や小さなお店がたくさんあり、昔ながらの街並みにオシャレでこだわりのあるお店も増えていて、お散歩が楽しい街ですよね。〈根津のパン〉は表通りから一本入った小道にあります。新しくも和風な店構えは、辺りのお店としっくり馴染んでいて、明るく立ち寄りやすい雰囲気に小さなお子さんからお年寄りまでたくさんのお客様が訪れていました。
触れてみたら、シュークリームかと勘違いするほど繊細な柔らかさ。一口かじれば、一つ一つの繊維の隙間からしゅわしゅわと小さな空気の粒が一斉に抜けて、ふしゅふしゅと口溶けていきます。甘く煮られたジンジャーが顔を出すと口の中でほろりと崩れゆっくりととける。ジンジャーと聞き、ガツンと強い瞬発力ある刺激が前に来るかと思ったら、甘さと共にじっくり広がるスパイス感でまったりムードなのが新鮮でした。生地の柔らかなテイストに馴染む穏やかさに頰が緩みきった私です。
この隙のないルックスを見よ!そして裏切らない、剃り落とした味わい。まず表面の硬さに驚きます。カリッというよりザクッに近い食感で、これぞ鉄壁。クロワッサンを半分に切るときって、潰れるのはしょうがないと諦めている節があるじゃないですか。この子はその魔法の鉄壁のお陰で全く崩れませんでした。内側はホワッと柔らかさはありながら湿度はなく、わりとドライな印象。バターのコクもしっかりあって甘さもほのかに漂いますが、どこまでも侍的な印象があるのはやはりその要塞のような守り故かもしれません。
表面はサクサクでカリカリ。そんな食感に遊ばれている間にも小麦の香り、4種のチーズからなる複雑な芳ばしさが片時も離れません。温めると内側は、チーズのトロッと蕩ける質感に似た水分量高めの感触に。確かにはじめはふわふわと舌にあたっていたはずなのに、チーズのねちっと感に呼応するように柔らかなとろみのある引きがうまれ、表面の軽やかな食感とのコントラストに最初から最後までやられっぱなしでした。
こちら常夏。じりじりと肌を刺す太陽の熱とじとっとした空気の暑さの中を突き抜ける夏の味。しっかり引きがある弾力性の高い生地は密度も高く、噛みしめるたびに小麦の旨味がにじみ出てお口の中でどんどん香ばしくワイルドになっていきます。そこにオレンジ、パイン、マカデミアナッツがコリコリとあっちにこっちに愉快なサンバを踊り行進していくから、もう口内は大渋滞。梅雨のうだつの上がらない曇り空を見上げながら、こんな小さなサンバカーニバルに参加してみるのも悪くないなと思いました。
誰しもが懐かしい気持ちになれる、引き戸の入り口が目印のパン屋さんには、ホッとする味から初めましての食感、元気がみなぎる味わいまで、日々の生活にエールを送ってくれるようなパン達と心地よい空間が待っていてくれました。ちょっと疲れた時、元気が欲しい時、心寂しい時…小さい頃、友達の家へ遊びに行った時のようにガラガラガラと扉を引いて、温もりチャージをしてみませんか?