月明かりのようにきらめく琥珀色。 [蔵前・蕪木]のネルドリップコーヒー | 液体の悦樂 #1
コーヒー、ティー、お酒。ドリンク=液体に魅せられたライターが、格別の一杯を “見たことのない景色”とともに掘り下げるドリンク偏愛譚。記念すべき第1回は、蔵前の名店〈蕪木〉のネルドリップコーヒーです。
ネルドリップ×ブレンドの誘惑。
蔵前にあるコーヒーとチョコレートの店〈蕪木〉。2016年のオープン当初から何度となくお邪魔しているけれど、店主の蕪木祐介さんと話すたび、コーヒー業界屈指の働き者ではないかと思う。
蕪木さんは自身でコーヒー豆を焙煎し、ネルドリップという一滴入魂の抽出法でコーヒーを淹れ、さらにチョコレート技師でもあるのでカカオ豆から仕入れてチョコレートを作る。コーヒー豆はシングルオリジンもあるが、店の真骨頂はやはりブレンド。たとえば3種の豆を使うならそれぞれ最適な焙煎を施してからブレンドするので、シングルオリジンよりもずっと手間暇がかかる。効率最優先の時代において、この店が傾ける情熱のベクトルはむしろ逆。いやもう、一体どれほどの仕事量なのだろう。
そんな〈蕪木〉らしさを味わえるのが看板ブレンドの一つ「オリザ」。恵の象徴である稲の学名であり、宮沢賢治の作品「グスコーブドリの伝記」にも登場するオリザと名付けられた中深煎りのブレンドが、個人的に大好きなのだ。
ブレンドは「エチオピア ベンサ」が7割、「ケニア ニエリヒル」が3割のバランス。エチオピアのブラックハニー・プロセス(果肉を除去後、豆に付着した粘液成分をそのまま残して乾燥させる精製法)ならではの艶のある華やかな甘みと香りに、ケニアでボディ感を加えたイメージだ。ちなみに収穫年によって豆の風味も異なるため、アクセントに「エチオピア イルガチェフェ」を加えたり、ケニアの銘柄を変えることも。毎年カッピングをしてブレンドの配合を微調整し、「オリザ」らしい味わいに仕上げている。
「かつてのブレンドは複数の豆を合わせて汎用的な味を作るという考え方がありましたが、今は自分たちの理想の味を伝える表現手段というか、バーのシグネチャーカクテルに近い気がします」と蕪木さん。はい、私も同感です。
ネルドリップで一滴一滴丹念に抽出し、白地に金彩が映える〈大倉陶園〉の名作カップ&ソーサー「ゴールドライン」に注がれたコーヒー液は、月明かりを反射する湖面のように琥珀色に煌めく。目を凝らすと、表面をごく薄い“何か”が覆っている。ネルドリップならではの、コーヒーのオイル成分だ。
「ネルはペーパーフィルターより繊維が粗いので、オイル成分が落ちてこうした“油だまり”ができやすいんです。クリーンできれいな味がペーパーフィルターの特徴ならば、ネルはこのオイルによってより強い香りと、こっくりとボリュームのある味になるのかも」(蕪木さん)
ひと口飲むと鮮やかで明朗な酸味や甘み、ツヤのある華やかな香りが広がり、なめらかな質感とともにスーッと喉の奥に染み込んでいく。「オリザ」は飲んでいて気持ちのいいコーヒーだ。
そして〈大倉陶園〉のカップ&ソーサーもこの店に欠かせない演者だろう。世界的にも類を見ないほど高い焼成温度で焼き上げることで生まれる、独特の透けるような青白さが「コーヒーの色を最も美しく見せてくれるから」と選んだそう。採光を抑えたほの暗い店内で、カップの青白い肌がぼうっと浮かび上がると、コーヒーがこの店の主役であることを実感する。薄い口当たりや指を通すのでなく摘むために作られたという小さく華奢な取っ手も、少し背筋を伸ばして一口ずつ大切に嗜む気持ちに誘導してくれる。マグでカジュアルにガブガブ飲むコーヒーも楽しいが、〈蕪木〉の丁寧な味わいにはやはりこの端正な器が合っている。
深煎りの醍醐味、とろみを帯びたアイスコーヒー。
もう一つ、〈蕪木〉の冷たいコーヒーも捨てがたい。この店で定番を張る「アイスコーヒー」は、由緒正しきコーヒー専門店の手順を見ることができる。
使うのは深煎りのブレンド。きれいな酸味を持つ「ケニア ニエリヒル」をメインに、「エチオピア ナチュラル」のエキゾチックさと「インドネシア」のアーシーさを加えて厚みを出した味わいだ。この深煎りを30gという通常の倍の量を使って濃厚に抽出する。
華やかな個性を生かすため浅煎りで仕上げることが多いエチオピアを、あえて深く焙煎するのは、蕪木さん曰く「深煎りにした時にしか出ない香りが存在するから」。焙煎を深くすると香りのボリュームは確かに減るが、豆の量を増やすことでそのボリュームを補い、何より深煎りにしてもきれいな酸味と香りの個性がしっかり残る力のある豆を使う。理想とする味わいに仕上げるには、抽出も腕の見せどころだ。
「とても感覚的な話ですが、渋みを(フィルターの中に)“置いてくる”というか…。どんな豆でも酸味はストンと落ちてくれるのに対し、苦味は時間をかければこっくりと出て、サラッと淹れれば軽い感じになる。ただ、遅すぎると苦味の先のエグみまで出てきて、舌に刺激のあるコーヒーになってしまう。えぐみ・渋みを液中に落とさず、かつ苦味はしっかり落とす塩梅というか…。こうした駆け引きを常に考えながら抽出しています」(蕪木さん)
最初は一滴ずつ“点滴”し、後半から最後はスーッと細く湯を注いでいく手順も「コクは出してエグみは置いてくる」ため。
さて、深煎りの抽出法を聞きウットリしていると、次は抽出したコーヒー液をカクテルシェーカーに入れ、氷屋さんが届けてくれる板氷(いたごおり)の上に置きクルクルと回転させて急冷していく。道具といい作業の所作といい、バーテンダーの洗練された手際を眺めるようだ。この手間が掛かる工程も「氷に注ぐ方法と違いコーヒー液が薄まらず、香りを閉じ込めることができるので。自分が大好きで通っていた福岡の〈珈琲 美美〉さんでいつも見ていたから、当たり前にそうやるものだと思っていた」と笑う蕪木さん。
そうしてシェーカーからグラスへと注がれたアイスコーヒーは、艶やかなとろみを帯びていることに驚く。ふくよかで厚みのある苦味とコクの後に、熟した果実のような酸味と香りが彩りを添える。厚いけれど決して重くない。昔ながらのドシンと重厚な深煎りとは異なる、なんと華やかで透明感に満ちた味わいだろう…!
板氷を砕いた氷の断面がグラスの中で琥珀の液色を反射し、それがまた涼やかで美しい。
〈蕪木〉でコーヒー豆を買い、ペーパーフィルターで自分で淹れてみると、後味のクリーンさにハッとする。何というか、風味豊かでいて心が静かになる味。そして店に行き、同じ豆をネルドリップで淹れてもらうと、ある種の強さと奥行きが生まれ、一つ「景色」が加わったように感じる。
「お客様にとって特別なものであってほしい訳じゃないんです。ただおいしくて良い時間であれば、そのぐらいがちょうどいい」と蕪木さん。その“ただおいしくて良い時間”を作るのに、どれほどの仕事を要するか。時間と人の手を介して生まれる琥珀色の一杯は、やはり店に足を運んで嗜みたいと思う。
蕪木
蕪木
2016年オープン。ブレンド珈琲(中深煎り〜深煎り)800円、アイスコーヒー(深煎り)850円。琥珀の女王1000円。珈琲ゼリー(季節限定)850円。ホットチョコレート(メキシコ、ハイチ、マダガスカルほか)各900円など。
住所:東京都台東区三筋1-12-12
営:月10:00〜18:00(コーヒー豆、チョコレートの販売のみ。ただし夏季は休業)、水木10:00〜18:00、
金10:00〜20:00、土9:00〜18:00、日祝9:00〜18:00
定休日:火曜
公式サイト: http://kabukiyusuke.com