濱口竜介監督『悪は存在しない』公開。効率主義を掲げ、走り出した計画を覆すことができない今の日本を思い出す CULTURE 2024.04.26

濱口竜介監督の最新作『悪は存在しない』が、4 月26 日(金)に公開された。この作品は『ドライブ・マイ・カー』でタッグを組んだ濱口と、音楽家・ 石橋英子による共同プロジェクトであり、濱口にとっては『ドライブ・マイ・カー』以降初の長編映画作品となる。物語は、長野県の自然豊かな町を舞台に、そこにグランピング場を作ろうとする東京の芸能事務所の社員と、地元民との対立の様子を描く。『悪は存在しない』というタイトルに込められた真意とは?ライター・西森路代がレビュー。

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見た人によって、それぞれに思うことが生まれる

濱口竜介監督の最新作『悪は存在しない』は、『ドライブ・マイ・カー』で音楽を担当した石橋英子が、濱口に映像制作を依頼したことから始まったもので、試行錯誤の結果、本作と、ライブパフォーマンス用のサイレント映画『GIFT』が誕生したのだという。ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を受賞している。

『悪は存在しない』と言い切ったタイトルなのに、見終わった後は、そんな言い切りで終わらせないものがある。あまり単純な感想を書くのはなんとなく気恥ずかしくなるところもある映画だし、映画を見る前に、ここに書いたことが正解というわけではなく、あくまでも一人の見方としてほしいということをまず書いておきたい。それくらい、見た人によって、それぞれに思うことが生まれる映画であるということは、すでに見た人の反応からも伝わってくるのではないだろうか。

長野県の自然豊かな町に暮らす住人と、グランピング施設を建設しようとする芸能事務所

物語は、長野県の水挽町(みずびきちょう)という場所に暮らす巧(大美賀均)と娘・花(西川玲)を中心に描かれる。その町にある日、グランピング施設を建設しようとする芸能事務所から、高橋(小坂竜士)と黛(渋谷采郁)が説明会のためにやってくる。芸能事務所は、補助金狙いでこの計画をすすめていたのだった。

当然、住民からは反対の声があがる。それに対して、しどろもどろになりつつも、会社の意向をマイクを持って伝える高橋の姿を見れば、当然、見ているこちらにも反感が沸く。普段、テレビの中でよく見かける、説明を求められる企業の担当者や政治家に重ね合わされるからだろう。一方、自分から出た言葉のない(ように見える)高橋に対して、黛は、会社の立場を守りつつも、住民の声に揺れ、自分の考えを述べる場面もあった。

2023 NEOPA / Fictive
2023 NEOPA / Fictive

実は彼らとて、こんなことをしたくてしているのではない。矢面に立たされているだけで、すべては会社と会社が依頼したコンサルタントの受け売りなのであった。

会社やコンサルタントの言いたいことははっきりしている。とにかく効率主義で、ものごとはスピードが大事で、無駄はとことんはぶかないといけないということだ。もっというと、会社の経営はすでに破綻しかけており、苦しい状況を打破するには補助金にしか頼るところがないということも伺える。困窮した状態が、「コストカット」と結びつきやすいのは、現実社会も同じである。時間とお金と労力をカットすることは、彼らにとっては正義とでもいわんばかりである。

「コストカット」でしのげることはあるだろう。しかし、「コストカット」ばかりを強いられると疲れてしまう。高橋や黛もやはり、そんな毎日には疲弊していたようだ。二人が東京から長野へ向かう道中、車の中で交わす会話は、説明会で見せた姿とは違って人間的で迷いがあり、そのことでくすっと笑わされた。とくに説明会では嫌な人間にしか見えなかった高橋の「速さ」の側にいるからこそ、すぐにさまざまなことに影響を受けて変化してしまう”かわいげ”のようなものも見える。 「人間には二面性がある」ということが『悪は存在しない』ということなの?と思いたくもなるが、たぶんそんな単純なことだけではないだろう(もちろん、無関係とはいわないが)。

2023 NEOPA / Fictive
2023 NEOPA / Fictive

効率主義を掲げ、走り出した計画を覆すことができない今の日本

この芸能事務所の側が見せるスピード感と、長野に住む人々の時間のゆったりとした時間の流れのコントラスト、つまり「速さ」と「遅さ」のコントラストというのは、『ドライブ・マイ・カー』でも感じたことである。

カー・ステレオから流れる亡き妻による録音を反復して何度も何度も聞いてゆっくりとセリフを自分の体に入れていた主人公の家福悠介(西島秀俊)と、才能にあふれていて、のみこみが早いために、一度で演劇のなにもかもを把握したような気持ちになってしまう高槻耕史(岡田将生)のスピード感の違いが、どのような悲劇に発展していったか、映画を見た人なら強烈に覚えているだろう。

『悪は存在しない』でも、ゆっくりと毎日毎日、反復を繰り返す中で生活のリズムを作って暮らしている町の人々と、物事はスピードが大事とばかりに、リモート会議をはしごするコンサルタントや、それに従う芸能事務所の人たちのコントラストははっきりとしていた。そして、効率主義を掲げて一度走り始めた計画は、どんなに綻びがあっても、止めることは難しい。それによって、もしかしたらもっと大きな損失が待っているかもしれないのに......。

そんなことを考えていたら、効率主義(という名の資本主義的な利益の追及、つまりビジネスの発展になるという希望)を掲げ、走り出した計画を覆すことができない今の日本のさまざまなことを思い出してしまった。本当にその先に効率的な結果が待っているとも、ましてや明るい未来があるとは限らないことを多くの人は知っているのに、なぜか止めることができないことも。

2023 NEOPA / Fictive
2023 NEOPA / Fictive

ただこの映画にとって、ここまで私が書いたことが最も重要な部分ということではないだろう。これから見る人のために、映画の最後の部分まで語ることはしない。ありきたりにはなるが、ここに書かれたことを、もう一度問い直したくなる結末が待っていた。効率主義、つまり「速さ」を信じさせられていた側のものも、効率主義でしわよせを受けていた 「遅さ」の側も、決してどちらが善であるとか悪であるとかと、簡単に結び付けていいものではないということは感じられた。

映画を最後まで見終わると、果たして私が見て感じたことすらも、一度見ただけで何か分かった気になって急いで出した考えにすぎないのではないのか、まだまだ映画を咀嚼するには「速かった」と思えてくる。

『悪は存在しない』

配給:Incline
公開日:4 月26 日(金)
Bunkamura ル・シネマ 渋谷宮下、K 2ほか全国順次公開
HP:https://aku.incline.life/

text_Michiyo Nishimori edit_Kei Kawaura

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