わたしたちの無加工な「独立」の話 #8 morning after cutting my hair代表・田中美咲さん
どのように働くかを考えるとき、選択肢の一つとなるフリーランスや起業などの「独立」という働き方。では、実際に独立して働いている人たちは、どのようにその働き方を選び、「働くこと」に向き合っているのでしょうか。さまざまな状況のなかで「独立」という働き方を〈現時点で〉選んでいる人のそれぞれの歩みについてお話を伺っていきます。
morning after cutting my hair代表取締役の田中美咲さんは、東日本大震災をきっかけに防災に関わる活動を行う「防災ガール」、2021年にはインクルーシブファッションブランド「SOLIT!」を立ち上げるなど、社会に遍在する課題にさまざまな形で関わり続けてきました。「速さ」や「強さ」を求められる社会で、起業家として働くうえで感じてきたことをお話しいただきました。
─田中さんは新卒でサイバーエージェントに入社後、東日本大震災をきっかけに翌年会社を辞め、福島に移住して「防災ガール」を設立されていますね。
田中:東日本大震災以降、社会に違和感を感じるようになったときに、それを解決するような事業をやっている会社が見つけられなかったんです。それなら自分でつくるしかないという、どちらかというと消極的な意思決定での起業でした。
─当時、田中さんが、自分がすべきこととして行動しようと思ったのはなぜだったのでしょう?
田中:大学を卒業して、入社前の何者でもない時期に震災があったので、守るものが何もなかったんです。いろんな権利を持っているのに、チャレンジしないことが考えられませんでした。大学の非常勤講師の先生が、「お前たちはいろんな特権を持っているんだから、その権利を自分のために使うのか、社会を良くするために使うのかは自分次第だ」と言ってくれる方で。その方がいなければ、ただただ遊んでいたと思います。
─防災ガールは一般社団法人という形でしたね。
田中:法人格の選び方は悩みました。当時、有名なNPOはボランティアをベースとしたビジネスをしていることが多かったんですけど、立ち行かなくなっていくのも見てきました。良いものが存在し続けるためには、健全なお金の循環が必要ですが、お金を稼ぐことが目的の団体にはしたくなくて。それで株式会社じゃなくて一般社団法人という形にしたんです。
─2018年にはパブリックリレーションを通じて社会課題解決の支援に取り組むmorning after cutting my hairを立ち上げられます。そのような形で社会に関わっていこうと決めたのはなぜだったのでしょう?
田中:防災ガールはどちらかというと旗振り役として、一つ目の事例をつくるようなことをずっとやってきたんですけど、やればやるほど孤独感もあって。
─孤独感?
田中:政府や自治体や企業が、若者や女性に防災や気候変動について伝えたいという思いがあったとき、私たちにはチャンスやお金が集まるけれど、市場が変わっていかない感覚がありました。
私たちがお金を稼ぎたいだけなら、そのまま続けてもよかったんですけど、私たちはイノベーティブではあるほうがいいと思うのですが、ただお金を稼ぐことが目的の会社でありたくないということと、1社だけが変わっても意味がないと思っていました。だから、アクションを起こそうとする人たちの支援をするために、関係構築を集中してやることで、プレイヤーを増やしていこうと思いました。
─詩的な社名ですよね。
田中:「髪を切った次の日の朝」とか「クリスマスの次の日」とか「しんしんと降る雪の匂い」みたいな情景って、一言で表すのが難しいけれどそこに存在するものですよね。そこが社会課題とすごく似ていると思って。社名のせいか、銀行でなかなか申請が通らないし、はんこがQRコードみたいになってますけど(笑)、それはそれでいいかなと。
─起業当初、クライアントからお金以外の形で対価を支払ってもらう試みもされていたそうですね。
田中:野菜をつくられている方から、PRをする代わりに野菜をいただいたことがありました。すごく美味しい野菜だから、食べたかったんです(笑)。二者の関係性において、お金が媒介しなくても等価になるのなら、その方が気持ち良く、相互に安心した交換ができると思いました。市場での価格設定は、政治などのあらゆる癒着と偏りによって決まっていくので、すぐ側でつくられたトマトが、なぜか違う国を経由して来たり、地元でつくられたトマトより、遠い国でつくられたトマトの方が安くなるという、ありえないことが起きます。経済を生み出す産業があるからこそ、働く人が生まれて、お金を稼げることはわかるんですけど、そこへの違和感もあって。
─いまの資本主義経済のあり方に疑問も持ちつつ、経営者としてビジネスを成立させていくのは、とても難しいことではないかと思います。
田中:初めはバランスが悪くて、全員成果報酬型にさせてもらうことで、会社として成り立っていました。2年ぐらい経って、最低限の給与保障があったうえで変動がある状態にできたのは、長期スパンで社会課題を捉える企業が増え始めて、社会を良くしようとするお金の流れが生まれてきたからという背景があります。行き過ぎた資本主義の中で傷ついた人たちや違うやり方を探そうとしている人たち、そして私たちの活動に共感してくれる人も増えてきました。
─田中さんが2年ほど前に書かれた「女性起業家であることに不満はないが、それにより私たちらしさが窒息をする」というnoteが興味深かったです。改めてこのnoteを書かれた背景や思いを伺ってもいいですか?
田中:もともと女性が神聖化されすぎていることに違和感があったんですけど、『母親になって後悔してる』という本を当時読んで、すごく刺激を受けたんです。女性の起業家は、男性だったら絶対にしないであろう経験を山ほどします。たとえば投資を受けるうえで、投資家から結婚と出産の予定など、プライベートの話を聞かれたり。男性っぽく振る舞うことによって自分を守らなきゃいけないことが多すぎるんです。「女性活躍」と言って女性の席数が増えたとしても、それだけでは足りないから、投資家側にも変わってほしくて、noteを投資家の方々にも送りました。
─そうだったんですね。
田中:起業家仲間など、ヘルプを出せるような関係性もつくっていくべきですけど、どうしても投資家との間には上下関係が生まれてしまいますし、そもそも女性の起業家の母数が少ないという構造的な課題があるので、ちょっとでも変えられたらと思ったんです。
─同じnoteの中で印象的だったのが、田中さんのコメントの「拡大・成長を前提とする家父長制的・男性的な成功イメージを押し付けられているように感じる」という部分です。社会が求める働き方がこのような傾向にあるなかで、どうしたら違う道をつくっていけるのかな、と考えます……。
田中:難しいですよね……。いま私は35歳ですけど、プライベートを潰してごりごり働かなくても何らかの成果が出たり、やりたいことをやれていて、生活も困窮していないという先輩の事例が少なすぎるとは思います。
─田中さん自身のワークライフバランスはいまどうですか?
田中:いいとは思わないです(笑)。ただ、パニック障害があるので、働きすぎないように、だらだらする時間を意識的につくっています。精神的な負荷が少なく、裕福ではないけれど好きな人たちが周りにいて、挑戦することもできているので、「前例としてこういう人がいたらいいな」と思っていた人に徐々に近づけているようには思います。ヘルシーでいたいけど、すごく稼ぎたいという人が多分一番苦しいと思うので、自分が本当は何を求めているのかを自分自身に問うて、どんなルールの市場の下で生きていくのかを決められるといいですよね。