自分に優しく、人に優しく。SDGsのニュールール。 【私と、SDGs】FILE #3/生物学者・福岡伸一さん「この世の生命体すべてを公平に扱うことが“フェアネス”」
環境、社会、経済……。SDGsの17の目標は多岐にわたりますが、その根底にあるのは「あらゆる人々、後から来る世代のために、今の社会や生活を変えよう」ということ。それは我慢することや楽しみを減らすのではなく、むしろ「なんでこっちのライフスタイルや社会にしなかったんだろう。早く言ってよ!」と言いたくなるようなモデルチェンジ。働く時間を減らしたり、家族との時間を増やしたり、大量消費ではなくモノを大切にする……。豊かな未来への原動力となるのは「優しさ」。「自分に優しく、人に優しく」をニュールールに、これからのSDGsについて考えました。今回は『私と、SDGs』をテーマに、生物学者・福岡伸一さんにお話を聞きました。
【BOOK】『ドリトル先生 航海記 』
ヒュー・ロフティング・著、福岡伸一・訳/シリーズ2作目。ドリトル先生とスタビンズ少年が初めて出会う。井伏鱒二の翻訳が広く親しまれているが、2014年に愛読者である福岡伸一氏が新訳を手がけた。(新潮社)
この世の生命体すべてを公平に扱うことが“フェアネス”。
多くの人の記憶に存在するイギリスの児童文学『ドリトル先生』シリーズ。動物の言葉がわかる博物学者・ドリトル先生とスタビンズ少年の冒険物語は、大人の私たちも教えられることがあると、生物学者の福岡伸一さんは言う。中でも『ドリトル先生航海記』は、虫と本だけが友だちだった恥ずかしがり屋の伸一少年を、生物学者へと導く運命の一冊だった。
「ドリトル先生とスタビンズ君が出会うシーンが非常にきれいなんです。雨の中で2人は偶然ぶつかって転んじゃうんです。そんなとき、大抵大人は子どもに何するんだって怒るわけですが、ドリトル先生は笑って、私も不注意だったけれど、君も不注意だったねと。ドリトル先生は、日本語訳ではスタビンズ君、原作ではMr.Stubbinsと名字で呼んでいます。スタビンズ君は、家が貧しく学校に通えない孤独な少年でした。親からお使いを命じられたり、お使い先でぞんざいに扱われたり。そういう風に子どもは大人と垂直の関係にあるんですよね。
でも、ドリトル先生は垂直の関係でも水平の仲間でもない、斜めの関係にある大人としてスタビンズ君にいろいろなことを学ばせてくれるんです。ドリトル先生の持ち味はフェアネス=公平さなんです。作品に出てくるインディアンやアフリカ人へ差別をしないし、それ以上に生きとし生けるものをフェアに扱っています。これは単なる博愛主義ではありません。ドリトル先生は家でアヒルの“ダブダブ”とかブタの“ガブガブ”とか、多くの動物と家族同然に暮らしているんですが、好物は“ベーコン”。ちょっとした偽善的な物語だったら“私は動物が好きなのでベジタリアンになります”となりそうなところを、ベーコンが好きだけど、生き物としてブタとも仲良くしている。それが、ドリトル先生の在り方で、フェアネスの一環なんですね。
人間は生きていくためには動物にしろ、植物にしろ、自分以外の命をいただきながらでしか生活できない。そのフェアネスは自然の循環においても言えます。植物を他の生物が食べ、その生物が他の生物の食料になり。食う食われる関係を弱肉強食と言いますが、弱者、強者ではなく、これは生命の連鎖であり、共存共栄なんです。多くの生命が絶えず動きながら均衡を保っているのが地球の在り方で。フェアネスとは、お互い支え合っていて、不必要な生命体は一つもいないということです。
人間も様々な食料を食べ、二酸化炭素を出し、排泄する地球環境の循環をまわす一員なんですが、その分際を超えて地球の資源をどんどん消費する一方で、分解できない物をつくり出しています。プラスチックやコンクリート、原子力発電の廃棄物でこの循環を袋小路にしている。人間はそのことを反省し責任を負って、それらを自然の循環に戻す努力をしなくてはいけない。ドリトル先生は生物たちの言葉に耳をすまし、行動し観察する、生命に向き合う人として描かれています。
私たちも同じように“自然”の会話に耳を傾けていれば、いかに“自然”に迷惑をかけているかがわかる。この作品は昔の物語で、携帯電話とか便利なテクノロジーは登場していないけれど、自然に対する、あるいは人へのフェアネスというのは、時代を経ても変わらない価値を持っていることを教えてくれます」
Profile生物学者・福岡伸一(ふくおか・しんいち)
『動的平衡』(木楽舎)など、“生命とは何か”を動的平衡論から問い直した著作多数。『ドリトル先生』シリーズを土台に創作した小説『新・ドリトル先生物語 ドリトル先生 ガラパゴスを救う』(朝日新聞出版)が7月発売予定。