養子縁組で子供を授かった池田麻里奈さん【後編】|工藤まおりが聞く、それぞれのチョイス
カップル間でのコミュニケーションや心理学を学びながら、フリーランスのPR・ライターとして活躍する工藤まおりさんが、結婚や妊娠について様々な選択をした女性たちにインタビュー。前回に引き続き、28歳で結婚し、不妊治療の末に養子縁組で子供を授かった池田麻里奈さんに話を伺いました。
★前編はこちら
特別養子縁組で息子と出会った
28歳で結婚し、不妊治療の末に43歳の時に特別養子縁組を行った池田麻里奈さん。
現在は夫と4歳の息子と3人で海の近くで暮らしている。
前編記事では、特別養子縁組を決意するまでを振り返った。今回の後編記事では、養子縁組をした時の気持ちや現在の子供との生活について聞いていく。
夫の誕生日の日に、特別養子縁組を行う団体から連絡
42歳の時に特別養子縁組を行う団体に登録し、あとは団体からの連絡を待つ状態になった。
待機の期間は人によって様々で、数年経っても連絡がこないケースもあれば数日経ってすぐに連絡がくるケースもある。池田さんが待機登録を行った団体は、待機期間をあけないように心がけているようで1年以内の紹介が多いそうだ。
数日後、「ご紹介したいお子様がいます」と団体から連絡がくる。
団体の担当者は電話口で池田さんにこう話した。
「明日の朝までに夫婦で話し合って、委託が可能か返答をください」
ーー子供がいると生活がガラリと変わるじゃないですか。実際に電話がきたあと、不安はありませんでしたか?
「当然、不安はありましたね。自分が決めて自分で進めてるのに、いざ電話かかってきたら生まれたばかりの赤ちゃんをこの手で育てることができるのかと不安を感じました。
その日は夫の誕生日で元々2人で食事をする予定があったので、『食事の時に話そう』とすぐに電話を切りました。
夕食を食べながら、私はどうしよう、どうしようって言ってたんですが、そしたら夫が『断る理由なんかないよね』とキッパリと言ってくれて。その言葉に救われ、翌朝『お受けします』と連絡をしました」
ーーお子様をお迎えするまでの間、どのような準備をされたのでしょうか。
「すぐに団体から生活必需品リストが送られてきたので、それを買いに行ったりしあわせ名前辞典を購入し、深夜まで名前を考えたり。ずっと心がザワザワしてて、お腹が減る感覚もなく、ご飯をあまり食べずに常にバタバタしていました。
期待を感じながらも、出産後に実母さんのお気持ちが変わるケースもあるので、自分自身には期待しない期待しないって言い聞かせてました。
不妊治療の時に何回も期待してダメで…を繰り返していたので、あんまり期待しないようにってクセがついてしまってて」
この命を大切にしなきゃ
ーー実際にお子様と対面されたときのお気持ちを教えてください。
「赤ちゃんっていうより、命っていう感じでした。一度死産して病室で対面したことを経験しているので、本当に本当に生きてるってすごいなって思いました。当たり前なんですけど『この命を大切にしなきゃ』と感じましたね。
それと同時に、もう一方の実母さんの強い覚悟を感じました。私達も覚悟して子供を受け入れますが、それ以上にお一人でご出産されて子供を他の人に託すという大きなご決断をされているので」
ーー実際に子育てを始められていかがでしたか?
「大前提として、自分で産んでないというのがあるじゃないですか。
帝王切開もしないし出産後のお腹の痛みもなく、前日まで睡眠もばっちり取れている。なので、実際に育児をするまでは元気な世話人になれるだろうって思ってたんです。
しかし、実際に2時間おきにミルクをあげたりしていると、寝不足と急激な自律神経の乱れがあって、3日ぐらいしかもたなかったです。
でも…子供に愛情をたくさん注いでも、また求められて。そういう日々を過ごす中で『これがやりたかったんだ』というのは日々実感していました。子育てってこんなに幸せなことなんだ。この幸せを噛みしめたからこそ、願いがなかなか叶わない不妊期間はやはり大変だと振り返りました」
ーー特別養子縁組の場合「血が繋がっていない」という事実を伝えなければならないと思います。すでに真実告知はされていらっしゃるんですか?
「そうですね。委託の日から伝えていけるように真実告知の研修や勉強会やワークショップに参加をしていたので、自然と小さい時から伝えていきました。
『あなたは養子だよ』というワードではなく『私のおうちに来てくれてありがとう』とか、お母さんが二人いるんだよという言葉を使って伝えました。
あとは、特別養子縁組の絵本などを読み聞かせたりしました。
養子の説明ではなく、いろんな家族の形があるっていう海外の本なんですけど、LGBT、シングルマザー、シングルファザーとか。そういうのが紹介されている中に、血が繋がらない養子というのもあって。自分だけが特別じゃなくて、いろんな家族があるんだよということも伝えています」
ーーお子様の反応はいかがでしたか?
「2歳ぐらいまでは何も質問がなかったので、もしかしたらこの子はみんなお母さん2人いるって思ってるのではないかと思っていました。
3歳になってから、ドラマとかYouTubeで出産の話を見ていると『ママはお腹痛くなかったでしょ?』とか『産んでくれたお母さんはお腹が痛かった?』とか、そういう質問をするようになってきて徐々にわかってきたのかなと思います」
ーー今後、どんな家族を作っていきたいなと思いますか。
「私たちの子育ては偶然にも、マイノリティの立場からのスタートになりました。不妊治療からの特別養子縁組というマイノリティの経験した身として、『こうじゃなきゃいけない』とか、そういう「普通」という枠が外れちゃった感じがあって、いい意味でゆるく子育てが今できてるんです。これがこの経験でプラスの面で得られたものなのかなと思います。
結婚した当初は、自分たちの人生でこのような経験をするとは思っていなかったですが、今とても幸せなので、子供に対してもあえてレールをしかずに、やりたいことはやらせてあげたいと思います」
恋愛、結婚、出産、子育て…。
20代後半に差し掛かると、これらのレールを全て通り過ぎなければならないというプレッシャーを感じてしまうが、その枠から外れたところに幸せが転がっているかもしれない。
絵本を子供に読み聞かせる池田さんと、その横で幸せそうに過ごすお子様を眺めながら「いいなぁ」と私はぼんやり思った。
池田さんの著書はこちら
■『産めないけれど育てたい。 不妊からの特別養子縁組へ』(KADOKAWA)
養子を迎えて「育ての親」になる。10年以上もの不妊治療、2度の流産、死産。それでも育てることをあきらめなかった夫婦が、「特別養子縁組」を決意するまでの葛藤と、ドタバタだけれど幸せな子育てを、夫婦それぞれの視点から綴ったエッセイ。「新しい家族のかたち」として注目の「特別養子縁組」の貴重な実例。