『景観』を理由にしたくないとき

『景観』を理由にしたくないとき
自分の目で、世界を見たい Vol.23
『景観』を理由にしたくないとき
LEARN 2026.10.01
この社会で“当たり前”とされていること。制度や価値観、ブーム、表現にいたるまで、それって本当は“当たり前”なんかじゃなくって、時代や場所、文化…少しでも何かが違えば、きっと存在しなかった。情報が溢れ、強い言葉が支持を集めやすい今だからこそ、少し立ち止まって、それって本当? 誰かの小さな声を押し潰してない? 自分の心の声を無視していない? そんな視点で、世界を見ていきたい。本連載では、作家・翻訳家の松田青子さんが、日常の出来事を掬い上げ、丁寧に分解していきます。第23回は、「景観」について考えました。

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松田青子
松田青子
作家・翻訳家

まつだ・あおこ/『おばちゃんたちのいるところ』がTIME誌の2020年の小説ベスト10に選出され、世界幻想文学大賞や日伊ことばの架け橋賞などを受賞。その他の著書に、小説『持続可能な魂の利用』『女が死ぬ』『男の子になりたかった女の子になりたかった女の子』(いずれも中央公論新社)、エッセイ『お砂糖ひとさじで』(PHP研究所)『自分で名付ける』(集英社文庫)など。

散歩をするのが好きだ。

毎日とにかく歩いているのだけど、よく通る道に小さな公園がある。特に何の特徴もない公園なのだけど、何だか気になったのは、公園にある小さな駐輪スペースが、緑色の柵でバリケードのように閉じられていて、誰も自転車を停めることができないようになっていたからだった。

緑の柵に張り紙がしてあったので、立ち止まって読んでみると、公園を利用する目的以外での駐輪が多いので、駐輪スペースを閉鎖したと書かれていた。

松田青子さん連載イラスト

この場所は住宅地の真ん中で、電車の駅もはるか遠く、商業施設やお店からも離れている。バスならばしばらく歩けばバス停があるので、それ目的なのかもしれない。その観点でいえば、ルートを少し調整すれば、広い駐輪場がある、そんなに自転車の動向に厳しくないスーパーもあるので、ここに停める理由はよくわからない。ただ、そういう場所であることを踏まえると、公園で過ごさないのに自転車を停める人がいたとしても、駐輪スペースがごった返すほどではなかったのではないかと推察する。

近所に住んでいると気になる人はいるだろうし、他の公園でも、公園の隣の家に住んでいる人が「自転車警察」と化して、かなり神経質に取り締まっているのも知っている。そこまでせんでもと思わないでもないが、通りがかるだけの私にはわからないこともあるだろう。

ただ、そうやって「ルール違反」を正し、きれいな状態を保ったとしても、公園が「本当の利用者」にとって快適になるとは限らないのではないか。

というのも、どの時間に通っても、上記の二つの公園で誰かが何かをしているのを見たことがないからだ。小さな子どもを遊ばせながら談笑する親たちの姿もないし、子どもだけで遊びに来られるようになった年齢の子たちもいない。むしろ駐輪スペースで自転車がある程度自由気ままにしているような公園のほうが人で溢れているし、子どもたちが自転車をガチャガチャ停めて、遊んでいる。

緑色の柵を立てて誰も自転車を停められないようにしているのを見ると、公園で過ごしたいから自転車を停めたいのに停められない、という以前に、ちょっとこわいなと感じる人や、居心地が悪くなる人もいるだろう。また、近所の人が注意することを知っていたら、無理にその公園で過ごさなくても、他の公園に行きたくなるはずだ。

そうなると、この公園は誰のために、何のために存在しているのだろう、と考えてしまう。

松田青子さん連載イラスト

以前、隣町まで子どもの人の習いごとに自転車で連れていったあと、近くの神社にある公園で、習いごとが終わるまでの五十分間を過ごしていた。本を読んだり、かぎ針編みをしたり、それは人心地のつく「余白」の時間だった。ベンチのすぐ近くにはイチョウの木があって、秋になると、黄色い葉っぱが地面とベンチに積もっていた。

この公園にははっきりと決められた駐輪スペースがなくて、入ってすぐの邪魔にならないあたりに、子ども用の自転車や幼児用座席が後ろについた自転車が停められているところも、整備されすぎていなくて、昔っぽくて好感を持った。いつも子どもたちが走り回っていた。

それが、この前久しぶりにその公園を通ると、自転車が停まっていたあたりにカラーコーンが置いてあって、そのカラーコーンに張り紙がしてあった。まとめると、自転車の数が多いので「景観」が損なわれている、長時間停めないでほしい、場合によっては然るべきところに連絡する、という内容だった。

私が知っていた時期は、自転車が停まっているといっても、公園の隅に多くて六台も停められていなかった。その後自転車を停める人が増えたのかもしれないけれど、それぐらいのささやかな場所なのだ。

しかも「景観」を理由にしていることを考えてしまった。極端に言うと、コミュニティに属する子どもたちや大人たちが公園で気楽に過ごせることよりも、「景観」のほうが大事だと言っているようにも読めてしまう。

全面的に自転車を停めることを禁止しているのではないし、その時公園にいる人たちは以前と同じように自転車を停めていた。けれど、その張り紙があることで、その場所の印象は変わってしまう。

神社自体は公園に隣接しているのではなく、階段を上ったところにあるので、神社の見栄えが悪くなっていたわけでもない。管理している側もそんな張り紙をできるなら出したくないだろうし、程度やバランスの問題だから、どっちがどうとかは一概には言えることではない。ただ、先に書いた公園についてもだけど、観光地でもなく、人々が日常生活を送っている場所で、生活よりも「景観」をそこまで優先しなくてもいいのではないのかなと思うことがある。「景観」と言われると自動的に納得してしまいそうになるけれど、はたして理由になるのか、本来その場所で大切なことは何なのかを考えたくなる。

text_Aoko Matsuda illustration_Hashimotochan

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